| ルース・カッシンガー[著] 井上勲[訳] 3,000円+税 四六判上製 384頁 2020年8月刊行 ISBN978-4-8067-1605-1 プールの壁に生えている緑色のものから、 ワカメやコンブといった海藻、 植物の体内の葉緑体やシアノバクテリアまで、 知っているようでよく知らない藻類。 だが、地球に酸素が発生して生物が進化できたのも、 人類が生き残り、脳を発達させることができたのも、 すべて、藻類のおかげだったのだ。 この1冊で、一見、とても地味な存在である藻類の、 地球と生命、ヒトとの壮大な関わりを知ることができる。 ――――― [識者、有力紙誌の評価] 生命にとって藻類ほど重要な生物は存在しない。 ルース・カッシンガーは、過小評価されてきたこの生き物の本当の姿を示してくれた。 藻類は時にねばねばして不愉快だが、本書は、藻類が実際は魅力的で、 とてつもなく有益な生き物であることを教えてくれる。 ――エリザベス・コルバート 『6度目の大絶滅』でピューリッツァー賞受賞。 喜びと驚きに満ちた書籍である。 藻類は世界の隠れた支配者で、酸素、食物、そしてエネルギーをもたらしてきた。 本書は、我々の過去と未来が互いに絡みあっている事実を、 藻類を通して美しく描き出すことに成功している。 ――デヴィッド・ジョージ・ハスケル 『木々は歌う』の著者、『ミクロの森』(ともに築地書館刊)でピューリッツァー賞最終候補者。 著者は、漠然とした話題をとても楽しい読み物に変えてしまう……。 有益で魅力的な入門書に仕上がっており、藻類に関する書物に何の期待もしていなかった読者でさえ、 それが「世界で最も強力なエンジン」であることを認めざるをえない。 ――パブリッシャーズ・ウィークリー 藻類は地球で最も古い生命体の一つで、池の浮きカスから原油まであらゆる所で見られる……。 カッシンガーは、将来における藻類の重要性を示す説得力のある書物を書き上げた。 ――ニューヨークタイムズ |
ルース・カッシンガー(Ruth Kassinger)
米国メリーランド州ボルチモア出身。
イェール大学で学士号を、ジョンズ・ホプキンス大学で修士号を取得。
科学、歴史そしてビジネスが交差するテーマで執筆活動を続けている。
青少年向けの科学と歴史に関する八つの受賞作品があり、
ワシントンポスト、シカゴトリビューン、ナショナルジオグラフィック・エクスプローラー、
ヘルス、サイエンスウィークリーなど全米主要紙誌に執筆している。
井上 勲(いのうえ・いさお)
筑波大学大学院生物科学研究科博士課程修了。理学博士。
ナタール大学研究員、国立環境研究所客員研究員、筑波大学生物科学系講師、同助教授を経て、
筑波大学大学院生命環境科学研究科教授(構造生物科学専攻)。
現在、筑波大学名誉教授。藻類産業創成コンソーシアム前理事長。
近著に『藻類30 億年の自然史 藻類からみる生物進化・地球・環境』(東海大学出版会)がある。
プロローグ
第1部 藻類と生命誕生
1章 池と金魚とアゾラ
有機農法に効くアゾラ
2章 酸素を放出! シアノバクテリア
藻類がネバネバしている訳
3章 原核生物の支配は続く
微細藻類の誕生
4章 藻類、上陸への第一歩
乾燥と紫外線に強いシャジクモ藻類/陸上植物の先駆者、苔類
5章 地衣類の登場
土壌を作った地衣類
6章 地衣類観察ツアー
大気汚染の監視役
第2部 海藻を食べる人々
1章 脳の進化と海藻
進化の鍵はヨウ素とDHA/人類が辿ったケルプ・ハイウェイ
2章 日本の海苔を救ったイギリス女性藻類研究者
日本人と海苔/海苔の成長の謎を解いたドリュー博士
3章 韓国の海苔事情
国家プロジェクトで海苔生産/活気に溢れる海苔産地
4章 ウェールズ人も海苔が好き
ラバー海苔の可能性
5章 持続可能な海藻採取
味噌汁の効能/昔からの海藻採集法/天然ものへのこだわり
6章 広まる大規模海藻養殖
貝養殖から海藻養殖へ/養殖が天然ものを守る
7章 子どもたちを救うスピルリナ
拡大を続けるスピルリナビジネス
第3部 高まる藻類の可能性
1章 農家と海藻の深いつながり
注目を集めるロックウィード/海藻抽出物の力/海藻とプレバイオティクス
2章 微生物研究と藻類
需要が高まる藻類コロイド/救世主、寒天誕生
3章 イスラエルで海藻養殖
陸上海藻養殖の未来/広がる魚の陸上養殖
4章 藻類からランニング・シューズを作る
ガラス製造とケルプ/藻類プラスチックができるまで/原料を探し求めて/新たな生分解性プラスチック
5章 夢の燃料、藻類オイル
原油価格と藻類オイル開発/苦難が続く藻類オイル生産/世界初の屋外藻類農場/光合成をしない藻類の活用
6章 魚とヒトの栄養食
減少を続ける飼料用魚/天然魚を救う藻類/藻類関連企業の躍進
7章 コストの壁に阻まれる藻類エタノール
藻類エタノールを最初に思いついた男/遺伝子改変に成功/藻類エタノールの敗北
8章 藻類燃料の未来
オイル生産に最適な藻類を探せ/地球温暖化がもたらす巨額の損失/電気自動車の弱点
第4部 藻類をとりまく深刻な事態
1章 サンゴの危機
美しいサンゴ礁の風景/サンゴと褐虫藻の共生関係/海水温上昇と窒素の流入
2章 サンゴ礁を守る人々
サンゴの移植作業体験/サンゴが生き残る条件/サンゴ礁は待ってくれない
3章 有毒化する藻類
藻類ブルームの大規模発生/「死の海域」の出現
4章 藻類による浄化
芝生状藻類の活用/人工湿地の限界/浄化までの長く険しい道のり
5章 暴走を始めた藻類
大発生が止まらない
6章 気候変動を食い止められるか
鉄散布の是非
エピローグ
謝辞
料理の幅を広げる海藻料理のレシピ
参考文献
索引
訳者あとがきにかえて──地球進化と生物進化を再構築できる藻類研究の魅力
藻類。この単語を聞いて、あなたの頭に何が浮かぶだろう? 屋外の排水管についている緑色のネバネバの輪っか? 魚の水槽のガラスを曇らせる暗緑色の産毛? 真夏の池を覆う豆のスープ?
それがどんな不愉快なイメージでも、私にはわかる。この本を書く前は、藻類という単語を聞いて、すぐに中学校の女子ロッカールームを思い出した。シャワーカーテンの縁が、緑色の粘着物で汚れていた。海藻も藻類だが、もう一つの不愉快な思い出がよみがえった。
子どもの頃、私はサマーキャンプの汽水湖で水泳を習っていた。初級クラスで始まり、中級クラスに進んだ。中級クラスでは、岸から10メートルほど先の、胸の深さの場所で泳ぎを練習した。泥っぽい湖底に海藻が塊を作って生えていたが、私は水中で目を開けて、海藻に触れないように泳ぎをコントロールしていた。でも、下のクラスの子が浅瀬をかき混ぜて水が濁ると、うっかりして海藻に触れることがあった。むき出しの手と足に触れた海
藻の感触でパニックに陥り、まるで、ツルツルの藻類が私に巻きついて水中に引きずり込もうとしていると思った。足がこわばり、息が切れて、海藻から逃れるのが大変だった。
その後、8歳で上級クラスに進んで、埠頭の向こう側の深いところで泳げるようになってから、そして大人になってからも、藻類のことを考えることはほとんどなかった。しかし、10年ほど前の2008年の12月、突然のことだったが、私は藻類のことを深く考えるようになった。
それは、私の他の本のための取材で、テキサス州、エルパソのほこりっぽい郊外にあるバルセント・プロダクツというバイオ燃料のスタートアップ企業を訪ねたときのことだった。創始者のグレン・ケルツは、投資会社から何百万ドルもの投資を受けて、縦に数十枚並んだ透明のプラスチック・パネル(一基、長さ3メートル、幅1.2メートル、厚さ10センチほど)で藻類を育てていた。パネルの内部で、曲がりくねった通路を水と藻類の混合液が流れていた。
その日の頭上から照りつける太陽の光を受けて、パネルは、この世のものとは思えない緑色に輝いていた。ケルツは、率直そうな青い目を持つ男だった。パネルの中の藻類が倍々に増えると、だんだん色が濃くなり、最後にはほとんど真っ黒になる、と彼は説明した。一日に一回、パネルの半分を回収して、強力な遠心分離機で藻類と水を分離すると、藻類の糊状のペーストが残る。その後、藻類のペーストを高圧下で加熱してオイルを抽出する。このオイルは、精製所に販売されて、ガソリン、ディーゼル、またはジェット燃料に加工される。毎日新しい培養液がパネルに追加されて、藻類は休むことなく仕事を続ける。
ケルツは、成功はすぐそこの角まで来ていると主張した。バルセントは間もなく1エーカーあたり10万ガロン(約38万リットル)の燃料を生産すると言った。多くのジャーナリストが好意的な記事を書いたように、私もそれが実現することを確信した。結局のところ、原油は何百万年もの間、地下で圧縮された古代の藻類から作られたものだ。バルセントは、地球が長い時間をかけてゆっくりと行ってきたことを短時間でやっていた。自動車で化石燃料を燃やすと、長期にわたって隔離されてきた炭素が大気に放出される。しかし、藻類燃料を使えば、その分の二酸化炭素の大気への放出を防ぐことができる。
世界の二酸化炭素排出量の14%は輸送燃料の燃焼によるものだから、藻類オイルへの切り替えは、気候変動に重要な影響を及ぼすだろう。さらに良いことに、藻類を育てるために、耕作地や淡水は必要ない。どちらも、私たちの惑星で、ますます希少になりつつある貴重な資源だ。
投資家にとって残念なことに、ケルツは大科学者でも大エンジニアでもなかった。私の訪問後まもなく、バルセントは石油ビジネスから撤退した(彼の率直な目も力尽きた)。ケルツのオイルは、原油に比べて少なくとも10倍は高かった。藻類燃料の科学的背景は間違いなく正しい。また、藻類を扱う他の多くの企業(大部分は小規模な新興企業だが、大手のエクソンも含まれていた)は複数の関連技術の開発を始めていた。私はこれらの起業家の事業の進捗を懸命に追跡し、実際に何が可能なのかを見極めようとした。私は藻類企業の核となる小さな緑色の細胞にますます興味を惹かれ、最終的に夢中になっていることに気がついた。しかし、実のところ、バイオ燃料は、藻類が約束することのほんの一部にす
ぎない。
私が感じてきた藻類の魅力がこの本になった。電話、飛行機、車、ボート、ドローン、スキューバ・フィンを駆使し、また、アメリカ全土、そしてカナダからイギリスのウェールズ、そして韓国に至るまで、地球上を駆け回った。本書は、惑星上で最も強力な生物である藻類が、善かれ悪しかれ、私たちの生活に及ぼしている影響、そして藻類が私たちの将来に果たし得る役割を理解する旅の物語である。私は地球の歴史の奥深くから始め、現代の生物工学の最先端へと旅をした。旅の過程で、多くの科学者や起業家に出会った。彼らは、藻類という小さな発電所を活用して、私たちの健康を改善し、増え続ける地球の人口を養い、私たち自身が招いてきた地球の混乱した惨状を解決しようとしている。
藻類は、正真正銘、地球の錬金術師である。太陽光を動力として、厄介ものの二酸化炭素と、水と微量のミネラルを生命の材料である有機物に変える。さらに良いことに、藻類は、組み合わせの魔法で、酸素を吐き出す。息をしてみよう。あなたが吸い込む酸素の少なくとも50%は藻類が作ったものである。藻類にとって廃棄物である酸素は、呼吸するすべての動物にとって、なくてはならない。藻類が存在しなければ、われわれは空気を求めてあえぐはめになる。
藻類が不足することはない。海洋は、密集しているが目に見えない、厚さおよそ200メートルの藻類の層を持つ。海洋の藻類は、宇宙のすべての銀河にある星の数よりも多い。一滴の海水を飲んでみるとよい。数千の目に見えない藻類を飲み込んでいることになる。藻類は、海洋の食物連鎖の底辺を構成する微視的な捕食動物の欠かせない食物である。明日、すべての藻類が死んだら、小さなオキアミからクジラまで、おなじみの水生生物はすぐに飢えてしまう。
実際、藻類が30億年以上も前に進化して、大気を酸化していなかったなら、海洋で多細胞生物が優雅に泳ぐことは決してなかったはずだ。5億年前、陸上の生活に適応し、地球のすべての植物に進化したのは、緑色藻類の一種だった。食料となる植物が存在しなければ、3億6000万年前に水から陸に這い上がった最初の海洋動物は生き残ることも、さらに進化を続けることもできず、私たち自身を含む今日知られる陸生の生物に多様化することもなかっただろう。数百万年前に、祖先のヒト族が、魚や、藻類を食べる海産動物を摂取できなかったら、つまり特別で重要な栄養素を摂取できなかったら、私たちは大きな脳を進化させることはなかっただろう。藻類が存在しなければ、すべての生命が藻類に依存していることを知ることもなかっただろう。
藻類の影響は、彼らの死後も長く続く。彼らのミクロな炭素質の死骸──水生動物やバクテリアの餌になることを免れたもの──は、静かに降り続ける雪のように漂流し、沈降していく。死骸は海底に堆積し、その中の炭素は計り知れない年月にわたって隔離される。大気中の二酸化炭素を大気から隔離して長期貯蔵に移すことで、藻類は耐え難い高温の温室になることから地球を守っている。およそ5000万年前、北極に氷がなかった最後の時代、80万年にわたる藻類の爆発的増殖が、大気を冷やし、今日の寒冷な状態を作り出した。
藻類を研究する科学者である藻類学者は、これまでに約7万2000種の藻類を記載した。しかし、その10倍もの、まだ名前がつけられていない種(しゅ)が存在している可能性がある。今日、南極の氷の下、シエラネバダ山脈の雪上のピンク色の藻類、砂漠の砂の中、岩の中、木の上の藻類、さらに3本のかぎ爪を持つナマケモノの毛皮の上に生える藻類(ナマケモノはそれを食べる)など、藻類は地球のあらゆる場所に生息している。藻類はサンゴの内部にも共生しており、サンゴは相棒の藻類なしには生き残れない。世界の魚種の25%の生息地であるサンゴ礁は、何億人もの人々に経済的利益を提供している。温暖化する海は藻類とその宿主の重要な関係を崩壊させ、今日、サンゴは衝撃的で悲痛とも言える速度で死に続けている。
それでは、藻類とは正確に言うと何なのか? 確かな答えはない。藻類という言葉は、動物界やホモ属、ホモ・サピエンスのような、分類学上のカテゴリーではないからだ。藻類algae(単数はalga)は、多様な生物のグループを含む包括的な用語である。進化の順に3つのタイプがある。最も小さく、最も古い藻類は、単細胞で、細胞内部の構造が単純な藍藻である。現在、一般にシアノバクテリア(または、より親しみやすいシアノズ)として知られる。次は、肉眼では見えない、単細胞だが複雑な細胞構造を持つ微細藻類である。
シアノバクテリアと微細藻類を合わせて、古代ギリシャ語で「植物漂流者」を意味する植物プランクトンと呼ぶこともある。最後は──風味豊かな──目に見える海藻、または大型藻類である。シアノバクテリアが髪の毛の10分の1の幅しかなかろうと、50メートル以上の長さになるジャイアント・ケルプであろうと、藻類には特定の特徴がある。最大の共通点は、ほとんどすべてが光合成をすることである。光合成をしない少数の種も、かつては光合成をしていた。
藻類は、自身が持たない性質によっても定義される。光合成をするにもかかわらず、藻類は植物ではない。20世紀になるまで、藻類は植物界のメンバーと見なされていた。植物と藻類にはわかりやすい類似がある。多くの海藻は植物のように見えるし、湿った土壌の上で成長する微細藻類の集団はコケのように見える。それにもかかわらず、藻類は根本的に植物と異なる。藻類は、いわばアダムとイブの堕落以前の世界の住人である。ほとんど、あるいは全く努力せずに水に浮かび、太陽のエネルギーを浴びて温まり、細胞壁を簡単に通過して細胞質に入ってくる水中の栄養素を吸収することができる。藻類は、植物のように花を咲かせ、香りを漂わせ、あるいはタネや果実を見せびらかすことは決してない。植物は、この世界の、派手に着飾った光合成生物であり、対して藻類は目立たない女の子のようだ。地味な藻類は、花びらや蜜腺、雌しべや雄しべ、乾燥を防ぐ樹皮や直立するための木質を持たない。だから、利用できる太陽エネルギーのほとんどを、自身を増やすことに使える。これは、価値のある炭水化物、タンパク質、ビタミン、油脂、そしてミネラルを蓄積する点で、植物より何十倍も生産的であることを意味する。
海藻を食べることで、藻類の栄養上の恩恵──特に健康に重要なオメガ3オイル──を直接摂取することができる。毎年、60億ドル以上の価値を持つ2500万トンあまりの海藻が、東アジアの広大な養殖場や、ニューイングランド沖あるいはヨーロッパ北部の海岸の岩から採取されている。海藻は、日本と韓国の食生活の約10%を占め、世界中で売り上げが伸びている。アメリカでも、コストコからホールフーズ・マーケットまで、食料品店の棚にさまざまな種類の乾燥海藻が置かれており、ヨーロッパと同様に、広く販売されている。海藻の人気が高いのはよくわかる。多くの海藻は栄養価が高いだけでなく、舌で感じる5つの基本的な味のうちの一つ、食欲をそそる「うま味」が含まれているからである。
巻末にいくつかの海藻料理のレシピを挙げた。あなたの料理の幅を広げることができるだろう。
私たちが食べる藻類のほとんどは大型藻類だが、微細藻類とシアノバクテリアを扱っている多くの企業は、人間が活用するために、どのように処理し、販売すればいいか考えている。本の後半で、サンフランシスコの有望な企業のテスト・キッチンに立ち寄り、卵やバターの代わりに藻類のタンパク質とオイルを使ったクッキー、パン、その他の食品を試食する。結果は満足できるものだった。
藻類を直接食べなくても、魚介類を食べることで藻類の栄養を享受できる。海の動物は藻類を食べて藻類のオメガ3オイルを蓄積しているので、われわれは中古品の恩恵を受けることになる。しかし、今日、私たちが食べる魚の半分は養殖もので、餌としてトウモロコシと大豆を与えられることが増えている。魚に微細藻類を与え、栄養特性を維持することはできないだろうか? ブラジルの会社は、まさにそれを目的として、スチール製の巨大な容器で藻類を育てている。私は、それを見学に行った。
藻類は私たちの生活の中に入り込んでいる。キッチンで藻類を見つけることができる。アイスクリームでは氷の結晶の形成を防ぐために、チョコレートミルクではココアを溶け込ませるために、サラダ・ドレッシングでは成分をうまく混ぜ合わせるために使われている。他の多くの食品でも、藻類が使われている。また、あなたが使っている水道水は、浄水場で窒素とリンを除去するために生きた藻類でろ過されたものかもしれない。あるいは、粒子状の物質を除去するために化石藻類でろ過されたものかもしれない。
あなたが食べている果物や野菜は、藻類を加えた土壌で栽培されたものかもしれない。浴室でも藻類を見つけることができる。藻類は、ローションを濃くし、ヘア・コンディショナーを乳化し、歯磨き粉をゲル化し、毎日飲む錠剤をコーティングしている。そして今や、あなたは藻類を履くことさえできる。私がふと立ち寄ったミシシッピ州の企業では、池の藻類からランニング・シューズの靴底を作っていた。
藻類は役に立つが、迷惑なこともある。地球温暖化と海や湖への肥料の流出が絶えないこの時代に、湖と湾の多くで、藻類の異常増殖がますます猛威を振るっている。これら藻類の「ブルーム(大発生)」は概ね景観上見かけが悪いだけだが、なかには私たちを含む動物を毒で汚染することもある。近年、フロリダは特に大きな打撃を受けた。2018年、州知事は七郡に非常事態宣言を発令した。メキシコ湾の海岸に数百万匹の死んだ魚が打ち上げられ、ブルームから空気中に放出された毒によって、呼吸器疾患で病院に行く人が50%も増えた。
毒を生産するまでもない。藻類は、間接的に、溶存酸素がほとんどなく生物が棲めない、「デッドゾーン」海域を作り出している。現在、世界中に数千ヘクタールにおよぶ400以上のデッドゾーンがあり、毎年拡大している。
爆発的に増殖する藻類は人間の生命と生活を脅かしているが、その驚異的な生産力を、環境を改善するために活用することはできないだろうか? 森林火災と戦うために背中に火傷を負う消防士のように、私が訪問したフロリダの会社は、より多くの藻類を用いて藻類がもたらす厄災と戦っている。世界中で自動車、工場、発電所が大気中に二酸化炭素を放出し続けているが、それを除去する役割も負えるかもしれない。南氷洋では他の海域よりも藻類が少ないが、科学者たちは、そこで藻類を増やすことで、大気からより多くの二酸化炭素を取り込み、それを海底に隔離する方法を研究している。
藻類の物語は、過去に深く根ざしたブドウの木のようで、現在さまざまな方向に枝を伸ばし、将来の新たな価値を見つけるために、新しい巻きひげを作り出している。豊かな主題に秩序を持たせるために、本書は四部構成にした。第1部で、藻類の誕生とその地球征服の歴史をたどる。次に第2部では、海藻を食することの楽しみを探る。そのために、私たちの食卓に海藻を届けるという数十億ドルのビジネスをしている人々に会う。第3部では、七世紀のガラス製造から今日のプラスチックや燃料に至るまで、藻類のさまざまな用途を発見した人々の物語を語る。最後に、第4部で、善かれ悪しかれ、温暖化した大気と汚染された水を変える藻類の力を調査する。
しかし、30億年の旅を始める前に、ほんの数年前の自宅の前庭から話を始めさせてほしい。
筆者が藻類に関わり始めた1970年代初頭は、藻類の多様性がわずかながら垣間見えてきた時代だった。顕微鏡の下で、さまざまな色、形、動きを見せる微細藻類の姿に魅せられた。以来、いろいろな藻類を培養して、細胞の微細構造や系統的位置を調べる研究に携わった。当時、藻類の研究は海藻が中心で、微細藻類については珪藻類、渦鞭毛藻類そしてユーグレナ(ミドリムシ)藻類に関心を持つ研究者がいたが、それ以外の微細藻類の研究者は皆無に等しかった。それから半世紀近くを経た今日、培養技術の向上、電子顕微鏡の本格活用、そして遺伝子情報の導入によって、藻類の多様性や系統、進化、生態そして藻類の生物学に関する理解は飛躍的に進んだ。
藻類が起こしてきた地球史の重要事件
この間、地球科学の発展もめざましかった。おかげで藻類の研究と地球科学の研究が呼応しあうことで、大まかながら地球史の重要事件と藻類の系統や進化を対応づけることが可能になった。たとえば、生物進化を推進する大気中の酸素濃度の急激な増加はおよそ24億年前と6.6億年前の二度あったことが明らかになってきた。
それぞれ第一次大酸化事変(Great Oxidation Event 1: GOE1)、第二次大酸化事変(GOE2)と呼ばれる。正確な年代はまだ不明だが、GOE1が引き金になって真核生物が進化し、GOE2をきっかけにして単細胞生物の多細胞化が進んだと考えられている。そして、GOE1後の原核生物から真核生物への進化で細胞の体積が100万倍に増加し、GOE2後の単細胞生物から多細胞生物への進化で体積が再び100万倍に増加したこともわかってきた。いずれも大規模な酸素濃度の増加によるものだったことは明白である。原核生物から多細胞生物への進化としてとらえると、体積が実に一兆倍に増加したことになる。単細胞の大腸菌と縄文杉の違いと考えれば想像しやすいだろう。このことから、生物界が、藻類が作り出した利用可能な酸素分子にかくも依存して進化し、現在も依存し続けていることが理解できる。
GOE1とGOE2の間の、本書でも登場する退屈な10億年についてはまだ評価が定まっていない。しかし、決して停滞した退屈な時代ではなく、実際には真核生物の多様化が進んでいた期間だったと考えられている。紅藻類と緑色藻類の化石もこの時期に遡ることも明らかになってきた。このように、藻類研究の最大の魅力は、藻類の進化と関連づけて地球進化と生物進化を再構築できることだと言ってよい。これまでに明らかにされてきた多くの事例がある。時系列に沿っていくつかの成果や可能性を紹介しよう。
現代の海洋生物の主役になった微細藻類と褐藻類
生物の陸上進出の基盤である緑色藻類の進化は、藻類研究の主要な課題の一つである。植物の陸上進出は4.5億年前とされている。そこに至る過程で地球と藻類の相互作用があった。系統解析の研究から、約7.5億年前の全球凍結(スノーボール・アース)事変であるスターチアン氷河期の後、緑色の藻類は緑藻植物と陸上植物につながるストレプト植物に分岐したと考えられる。その後の二度の全球凍結(6億年前のマリノアン氷河期と5.8億年のガスキアス氷河期)を経て、シャジクモ藻類のさまざまなグループが分岐して、4.5億年前に、ついに最初のコケ植物である苔類が陸上への進出を果たした。
なお、現存する動物のほとんどのグループが一斉に出現したカンブリア爆発は5.4億年前の事件である。これらの経緯から、動物の進化がシアノバクテリアに加えて緑色藻類の寄与によって実現した背景が見えてくる。
その後3.5億年前の古生代石炭紀に入るとシダの巨木からなる最初の本格的な陸上生態系が出現し、それ以降現在に至るまで、水圏の藻類と陸上植物が地球生態系を支えるようになった。しかし、藻類の世界では大きな変革が進んでいた。2.5億年前の古生代と中生代の境界(ペルム紀・三畳紀境界:P/T境界)は生物進化史上最大の生物大絶滅を示す事件として知られている。
この時、海産動物の95%が絶滅した。原因は特定されていないが、海洋で長期にわたる酸素欠乏状態が続いたとも言われている。特筆すべきは、P/T境界を挟んで海洋の微細藻類の主役が一次植物の緑藻植物から二次植物の藻類に変わったことである。おそらく古生代に進行した複数回の二次共生によって多様な二次植物が進化したことが、中生代以降の藻類と地球環境の関係を大きく変えることになったと思われる。
代表的な二次植物の微細藻類に渦鞭毛藻類、円石藻類、珪藻類があるが、これらの化石が中生代以降の地層から出土する。渦鞭毛藻類と円石藻類は中生代初期に出現して大いに繁栄したが、6500万年前の隕石の落下(白亜紀・古第三紀境界:K/Pg境界)後の新生代以降に多様性を減少させながらも海洋の主要な植物プランクトンとして現在に至っている。
それに対して、珪藻類は白亜紀(1.45億年〜6500万年前)の初期に出現し、K/Pg境界後に多様性をさらに増して、現在の海洋植物プランクトンの主役の座を確立した。これらはそれぞれユニークな微細藻類である。ウェブで検索してみて欲しい。芸術的とも言える二次植物の不思議な姿の数々に触れることができる。褐藻類は多細胞化を果たした二次植物の海藻で、現在の海洋で圧倒的に優占している。現在の海洋は二次植物の世界であると言ってよい。
陸上に目を向けると、花を咲かせる被子植物が出現したのは中生代の白亜紀で、新生代に急速に多様性を拡大して、現在、陸上植物の95%を占めるに至っている。藻類は古い生き物と思われがちだが、珪藻類が出現したのは被子植物よりも後のことだったことは特筆すべき事実である。陸上でも海洋でも生物進化は並行して続いているのである。
ほとんどが未知の世界──発見のフロンティアである藻類
最後に、地球史との関連以外のことにも触れておこう。長い歴史を持ち、かつ多様な系統からなる藻類は、体制や体の大きさ、光合成色素、細胞の微細構造、すみか、さらに栄養・生活様式が極めて多様で、それに応じて、細胞機能や代謝産物も多様である。カラギーナンやアルギン酸、寒天、オイルなど本書でも素材としての藻類の活用の可能性が取り上げられている。まだ研究が十分進んでいるとは言えないが、生理活性物質やさまざまな薬効を持つ物質が発見される可能性は極めて高く、天然物有機化学の重要な研究対象である。本書が主張している藻類オイルの開発、実用化も必然の課題で、我が国でも研究が盛んに進められている。
藻類の生産生態学のさらなる発展も強く望まれる。長年にわたって海洋藻類の生産力は陸上植物のそれに比べて低く評価されてきた。これは調査海域が十分でなく、また水深200ートルまで垂直に分布する植物プランクトンの生産力を正確に把握することが技術的に困難だったことによる。1973年の時点で海洋の一年間の生産力は275億トン(炭素換算)で、陸上の537億トンの半分ほどと評価されていた。2007年になると、観測の回数と測定精度が上がったことで、海洋の生産力は650億トンと測定され、陸上の600億トンを上回った。
しかし、まだ過小評価されているようだ。2000年から2009年の10年間に、80を超える国から2700名の研究者が参加して実施された540回の海洋調査の研究成果をまとめた『Census of Marine Life 2010』が出版された(海洋研究開発機構HPから入手できる)。この中に驚くべきことが書かれている。海洋には10億種近くの微生物が生息している可能性があり、しかも、これらは全海洋のバイオマスの90%を占めているというのである。
これをもとに考えると、そのうちの90%以上が食物連鎖を底辺で支える生産者で、光合成細菌とシアノバクテリアそして微細藻類を含む光合成生物であると考えられる。それぞれが占める割合はわからないが、シアノバクテリアと微細藻類も相当部分を占めていると想像できる。これまでに記載された植物プランクトンは6000種ほどだから、海洋には何百倍もの未知の種が存在していることになる。つまり海洋の真の生産量、そしてそれを実現している生産者の実態はまだ何もわかっていないのである。地球生態系を理解するためには、藻類の真の多様性とバイオマスを把握することが不可欠である。
藻類はほとんどがまだ未知の世界で、ダーウィンやウォーレスが一九世紀に世界で新たな動植物を探索していた時代と同様に、ナチュラルヒストリーを進めていく必要がある。藻類は発見のフロンティアである。