中井亮佑（なかい・りょうすけ）

1983年生まれ。2007年、広島大学生物生産学部卒業。2012年、同大学大学院で博士（学術）を取得。
博士取得後、国立遺伝学研究所で日本学術振興会特別研究員（SPD）や特任研究員などを経て、
2017年、産業技術総合研究所つくばセンターで産総研特別研究員。
2018年より、産業技術総合研究所北海道センターで研究員（現職）。
微生物生態学を専門とし、砂漠、温泉、北極、南極など辺境に生きる微生物たちを探索する。
2011年、日本学術振興会育志賞を受賞。共著書に『微生物の生態学』（共立出版）など。

はじめに

第１章  砂漠
サハラ砂漠で微生物ハンティング／ラクダに揺られて／微生物を飼う／「名前のない」微生物たち／培養できない微生物／
マトマタ菌は何者か？／新「綱」微生物の発見／本当の極限環境って何だ？／空飛ぶ微生物たち／砂に乗ってどこまでも／
塵は厄介物？

コラム�@　現地の食文化に触れる

第２章  温泉
赤い海の住人に魅せられて／もう一つの赤い海／秘境の湯「東温泉」へ／お熱いのがお好き／東温泉の住人の正体は／
もっとお熱いのがお好き／オマーンで高アルカリ温泉めぐり／真っ白な川／炭酸塩をつくる生き物たち／
炭酸塩形成微生物を捕まえろ／小さな世界のものづくり／すべてがすべての場所に

コラム�A　宇宙と生命

第３章  北極
はじめての北極圏／いざ、スピッツベルゲン島へ／世界最北の温泉／温泉水から微生物を見つけ出せ！／
再びスバールバルへ／氷河探訪

コラム�B　世界種子貯蔵庫

第４章  南極
もう一つの地球の果て／南極の露岩域／コケ坊主に潜む微生物／南極へ続く道／目指すは南極大陸／
ラングホブデにて調査開始／憧れの地、スカルブスネス／未調査の地、インホブデ／南極湖底の王国をめぐって

コラム�C　極地での服装

第５章  極小
さらに小さな世界／ものすごく小さな微生物／海の覇者ペラギバクター・ユビーク／変身する微生物／
「ゆとり」のない生命／生物と無生物の間／広がる超微小微生物たちの世界

おわりに
参考文献・資料

    みなさんは「生き物」と聞いて何を想像するだろうか。イヌやネコなどの動物、あるいはカブトムシやクワガタなどの昆虫を思い浮かべる人が多いかもしれない。アサガオやヒマワリなどの植物を思いつく人もいるだろう。

    私が小学生の頃なら真っ先にセミと答えたに違いない。毎年夏休みになると、母の実家に遊びに行くのが何より楽しみだった。実家に着くと、いつも祖父は私を近所の公園に連れていってくれ、アブラゼミを捕まえる技をあれこれと教えてくれた。さらに、セミがよく羽化する秘密の場所を祖父は知っていた。羽化したばかりのあの真っ白な姿と、ゆっくりとひろがるうすい緑色の羽を見た時の衝撃を今でもはっきりと覚えている。そこで見つかるいろいろな大きさのセミの抜け殻は大切な宝物だった。そういえば、その頃よく読んでいた昆虫図鑑の表紙はセミが羽化する瞬間をとらえた写真で、当時の私にとってセミはかっこいい生き物の代表だった。

    34歳の今、私はある生き物をあれこれと調べる生物学者である。しかし、それはセミではない。正直に言えば、小さい頃に夢中だったセミはどうも苦手になってしまった。あんなに好きで仕方がなく、図鑑のセミのページを食い入るように眺めていたのに。木陰からセミが急に出てきて、悲鳴を上げてしまったことがあるくらいだ。こんなことでは生物学者として失格かもしれない。

    だが、私が調べている生き物はセミのような「目に見える」昆虫ではない。微生物と呼ばれるものだ。「目に見えない」くらい小さな生き物たちである。みなさんは普段その存在を意識することなどないかもしれない。

    微生物とは何者か？実は、微生物という呼び名はある決まった生き物を指す言葉ではない。そこにはカビや酵母などの菌類、アメーバなどの原生動物、小さな藻類、細菌（バクテリア）と呼ばれるさまざまな生物が含まれる。納豆をつくる納豆菌や、私たちのお腹に棲んでいる大腸菌も細菌の仲間だ。

    微生物の中でも細菌は特に小さい。たとえば、大腸菌の大きさは長さ１〜２マイクロメートル、直径0.5〜１マイクロメートルである。１マイクロメートルは1000分の１ミリメートル。細菌の大きさは髪の毛の太さ（約0.1ミリメートル）の100分の１ほどだ。細菌がいかに小さな生き物か想像できるだろう。しかしその小ささゆえに、自分の目で簡単に確かめることができない。そのため微生物は得体のしれない生き物と思う人たちが多いようだ。例にもれず私も、研究をはじめるまでは、微生物と聞くと「バイ菌」や「病気を引き起こす厄介者」という発想しかできなかった。

    微生物は小さい。しかし、ただ小さいというだけで、その存在を無視していいわけではない。微生物、特に細菌は、膨大なる数で私たちの身近に存在している。たとえば、私たちの大腸の中に棲む細菌たち（腸内フローラと呼ばれる）の数は約39兆個にも達する。これは人間の体をつくる細胞の数（約37兆個）とほとんど変わらない。腸内細菌がつくりだすさまざまな物質、そして腸内フローラの多様性は、私たちの健康と深く関わっていることもわかってきた。あなたも私も体内は細菌で満ちているのだ。そして微生物なしで私たちは生きていられない。

    身の回りに暮らす微生物たちの数もまたすごい。1998年にアメリカの研究グループが地球上に存在する細菌の数を真面目に計算して、その数が10の30乗個にもなると見積もった。その重さ（正確には炭素重量）はなんと約3500億〜5500億トンである。これらの値は大まかな見積もりであったものの、最近の研究成果をもとに計算しなおしても約520億〜2700億トンという数値が出た。想像すらできない重さである。

    微生物一つ一つは小さいが、そのすべてを集めると数も重さもとんでもない大きさになる。そして、ある微生物は光合成を行ったり、また別の微生物は多くの生き物が利用できない空気中の窒素ガスを利用できるもの（アンモニア）に変えたりと、自然という大舞台の中でさまざまな能力を発揮している。すなわち、目に見えない微生物たちが肉眼で見える世界にまで影響を及ぼし、他の生き物の生を支えているとも言える。

    さて、この本の主人公は微生物である。その中でも特に細菌を取り上げる。本書で「微生物」や「菌」と書いた時には、細菌のことを指している。しかし残念ながら、私が主に調べているのはみなさんの身近にいる微生物ではない。実は、微生物たちは地球上のいたるところに棲んでいる。地球の最果てである北極や南極、そして大気中や海の底など、私たち人間が決して住むことができないような場所、いわゆる「極限環境」や「辺境」と呼ばれる場所でさえも微生物はたくさん存在する。私は、そのような厳しい環境に生きる微生物たちに魅せられている。こうした微生物を本書では特に「辺境微生物」と呼ぶことにする。

    辺境微生物は私たちには想像もできない性質を持つ。いくつか例を挙げてみよう。海の底から見つかった122℃で増殖できるもの、凍った土より発見されたマイナス15℃で活動するもの、他には40万Ｇの重力（地球上の重力は１Ｇ）に耐えるものさえいる。念のため断っておくが、これらは空想上の生き物ではない。微生物ハンターたちが発見してきた実在する微生物である。普段目にする「ふつう」の動物や植物とはまったく違う生き物ばかりだ。

    微生物たちの能力を見ていると、地球上の生き物がいかに多様であるか、また驚くべき可能性を秘めているかを考えなおすことになる。なぜ海底にいる微生物は100℃を超えても生きていられるのか？　一方、なぜ私たちはそんなところで暮らすことができないのか？　疑問がいくらでも湧いて出てくる。そんな、常識をひっくり返す微生物の存在に私はワクワクし続けている。

    では、どのようにして辺境に生きる微生物たちを調べるのか？

    その答えは簡単だ。微生物の生き様を知るための第一歩は現場に行くことに尽きる。私はこれまで辺境のフィールドで調査を行いながら、そこに暮らす微生物を見たり、捕まえたり、飼ったりしてきた。時には、辺境微生物に含まれる遺伝物質（ＤＮＡ）というものを細かく調べたりもした。

    この本では、それぞれの辺境での体験を紹介していきたい。第１章は不毛の「砂漠」、第２章は強酸性や強アルカリ性の「温泉」、そして第３章と第４章では極寒の「北極と南極」。そして最後の第５章は、ちょっと見方を変えて、微生物の世界の中でも特に小さな「極小」世界について触れる。さまざまな辺境を見ながら、微生物たちがどこにでもいることを伝えたい。また、微生物の生態だけではなく、フィールド調査の様子も盛り込んでいる。現場での調査の雰囲気が少しでも伝わればと思う。本書を通して、辺境微生物たちの世界に興味を持っていただけたなら、著者としてこの上ない喜びである。

微生物のためなら、ライフル銃の使い方を習ったり、ボートの操縦の特訓を重ねたり、どんな努力も怠らない。
学生の頃から憧れていた調査地に、初めて自分の足で立てた時の喜びや、
世界的に有名な研究者との謎の微生物をめぐる熱い議論。
研究者の情熱とフィールドワークの醍醐味、驚きに満ちた発見、研究の最前線もわかる充実の一冊。