| 西川力[著] 2,000円+税 四六判並製 176頁 2016年2月刊行 ISBN978-4-8067-1504-7 急峻な地形、高い人件費など、日本以上に厳しい条件の中で、なぜ、林業が栄え、バイオマス産業がビジネスとしてなりたつのか。 木質バイオマスが地域の重要なエネルギー源として確立し、産業として成立するためには林業家やボイラーメーカーだけでなく、それにまつわる技術、サービス、ソフト、流通、振興を図る行政部門など、さまざまな課題を遂行する人びとが必要だ。 実践事例を集めた本書では、バイオマス産業を支える要所の林家企業・組織をそれぞれの仕事場で取材。 最先端で奮戦中の「人」をリポートすることで、日本での林業と木質バイオマス利用普及に必要なことを、鮮やかに浮き彫りにする。 |
西川力(にしかわ・つとむ)
1947年、京都市生まれ。立命館大学卒業。日本生気象学会会員。ドイツ健康運動療法協会会員。
貿易商社に勤務後、1991年にドイツ・バートホンブルクに移住、オーストリア、ドイツ、スイスの
バイオマス・再生可能エネルギーや健康保養地クアオルトに関する情報を発信している。
環境と健康の分野において数多くの日本企業との提携を手掛ける。
自らの健康管理のためにトレーナーとなり、ジャイロトニックを行っている。
訳書:
『バイオマスは地球を救う』(アウグスト・ラッガム著、現代人文社、2015年)、
『シュツットガルトのグリーンネットワーク』(ハンス・ルーツ著、マルモ出版、1997年)、
『気候療法入門』(アンゲラ・シュウ著、パレード、2009年)など。
映画:
『腐植土─地球を救う忘れられたチャンス』(エコ地域カリンドルフ)の日本語版。
1章 地域に根ざした家族経営林業家
2章 牧草牛乳と高品質チップ製造ビジネス
3章 バイオマスボイラーの開発
4章 ヒートポンプとペレットボイラー活用の大規模温泉プール
5章 燃焼効率九割超 バイオマスボイラーのセールスマンに聞く販売と利用の実際
6章 ジャガイモから丸太まで、バイオマス保管シートを世界市場で売る
7章 バイオマス集積場ビジネス
8章 自由化後の電力市場と自然エネルギー
9章 「エネルギー林」を栽培する
10章 太陽熱による木質チップ乾燥装置/開発・製造・販売のコナ社社長に聞く
11章 地域エネルギー自立と発熱所建設のためのエンジニアリングとは
解説 木質エネルギービジネスの先端をいくプレーヤーたち/熊崎実(筑波大学名誉教授)
オーストリアでは朽木村で夢見たバイオマス利用が現実になっていた
滋賀県朽木村商工会(当時)のバイオマス調査プロジェクトは2002年に行われた。
商工会の中尾さんから委員として参加の依頼があり、喜んで引き受けた。私の事務所がドイツにあるので、主に海外の情報を集めてほしいということだった。
朽木村(現高島市)は琵琶湖の西側に位置し、その面積の90%以上が山林である。木が朽ちるほど豊富にあることからこの地域に朽木という名前がついたらしい。
古くは奈良の大仏殿の造営にも、ここ朽木の木が使われたといわれている。
このバイオマス調査プロジェクトでは、地域資源である木を活用して熱エネルギーとして利用する可能性を探る調査があった。
資源量や活用事例の調査、ペレットの製造やボイラー工場の見学、専門部会での勉強会などを行った。
私は乾燥機、ペレット製造機、バイオマスボイラーの海外の機器や事例の資料を集める担当になった。
半年ぐらいの調査でバイオマス利用の方向性や費用の試算をまとめた報告書が出来上がった。
資源活用の提案の一部は実現したが、熱エネルギーの利用は実現には至らなかった。しかし、これが私のバイオマスとの最初の出会いになった。
それから10年以上がたち、東京の会社とオーストリアのバイオマスの設備製造会社との契約交渉の通訳を引き受けることになった。
その設備製造会社を訪問するためにオーストリアへ行って驚いたのは、
10年前に朽木村商工会の調査プロジェクトで私たちが夢見たバイオマスの熱エネルギー利用が、オーストリアでは広く普及していたことである。
一般住宅ではバイオマスボイラーはあたりまえの選択肢であり、地域では里山の残材を利用した地域熱供給が普及している。
統計を見ると、2000年からのペレットの生産量は10倍に増えている。
オーストリアの省エネメッセには800社もの出展があり、最新鋭のバイオマスボイラーが何百台とならぶし、
ボイラーだけでなく搬送機、乾燥機、貯湯タンク、制御装置などの関連機器も一日では見きれないほど数多く展示される。
10年の間に、オーストリアには世界をリードするバイオマス産業が形成されていた。
オーストリアでは、どのようにバイオマス産業が育ったのか
一方、日本ではもう数十年もバイオマスの利用はあまり進んでいない。
環境やエコロジーへの関心が高まり、バイオマスのエネルギー利用の話は出るが、実際の普及が停滞している。
エネルギー利用の統計においても増加は見られない。
オーストリアでは木質バイオマスによるエネルギー供給が全エネルギーの14%を占めるほどに拡大しているが、日本では1%前後にとどまっている。
当時の朽木村でバイオマスが地域資源として見直されたように、日本各地で森林や里山の木質資源の活用が検討されたに違いないが、
オーストリアのように普及することはなく、一大産業が形成されることもなかった。
この10年間に生じた両国の差はあまりにも大きい。一体、何が違ったのだろうか。素朴な疑問だった。オーストリアではふんだんに補助金が出るのだろうか。
あるいは、国や自治体がバイオマスを普及させる特別な政策を行っているのだろうか。
調べてみると、補助金や政策が追い風になっているのは確かである。しかし、最初からそのような施策があったわけではなく、
制度や補助金は日本にも数多くあるのだから、オーストリアでバイオマス産業の興隆をもたらした推進力は、もっとほかのところにありそうだった。
日本でバイオマスの普及が停滞している間に、なぜオーストリアで飛躍的に拡大したのかはっきりわからなかった。
その後、仕事や翻訳の調査のためにバイオマスに携わる多くの人と会うこととなった。
森の残材を整理する人、移動チッパーを引いて各地で木を破砕する人、乾燥チップをつくる人、エネルギー林の栽培をする人、バイオマスボイラーを売る人、
設備工事をする人など、さまざまな職種の人たちだった。
会った人たちは職種に関係なく、バイオマスエネルギーを支える小さな部分を担っていることに自負があった。
バイオマス産業は新しい産業である。みんながその先駆者として誇りを持っていた。
新しい産業の先駆者としての誇り
小さな家族経営の会社で設備投資をするのは大きな決断である。ましてそれが隣近所の誰もまだ知らないような新しい産業分野であればなおさらである。
少し規模の大きな会社でも同じである。新規事業は冒険であり、成功させるには思い入れがなければ難しい。
私が会った人々は、バイオマスという新しいエネルギーに惹かれ、それに資金と時間を投入した人たちである。成功していることに誇りがあるのは当然である。
余談ではあるが、「一番」が好きなのは日本人だけではないようである。オーストリアやドイツの人たちも「一番」が好きだった。
「乾燥チップの販売は私がこの地域で一番に始めました」「設備のサービスコンテストで一番になりました」「一番大きな会社にチップを納めています」などと、
話の中に「一番」がよく出てくる。
これは個人だけではなく州でも同じであった。バイオマスの普及率について、
「アッパーオーストリア州が一番です」と最初に聞いたのでずっとそう信じていたが、その隣のフォアアールベルク州に行った時にも、
「わが州が一番です」という話があり、どちらが本当なのかと思った。ところが南部のシュタイアーマルク州に行ってもまた、「わが州が一番です」と言う。
結局どこが一番なのかはいまだにわからないが、地域や州でのバイオマスの広がりに対する喜びや先駆者としての気概の表れだろう。
訪問した人々には共通することがあった。それは、バイオマスの仕事が次の若い世代に受け継がれていることである。
アイブルさん(1章)、ビューラーさん(2章)、フマーさん(10章)やそのほか訪問したところは、役所や大企業を除くと、
どこも親子二世代で仕事をしている。そこに後継者問題はなく、若い世代が積極的に働き、
父親の仕事や事業を息子や娘らが彼らなりの新しい感覚で引き継いでいる。
バイオマス産業の現場の人々のリアルな姿を伝えたい
2013年の夏に、築地書館の土井さんよりオーストリアやドイツでのバイオマスのエネルギー利用について実践的な事例を書きませんかとお話をいただいた。
どのようにまとめたらいいか思案しながら、今までに取材した多くの事例を振り返ってみると、印象に残っているのは見学した施設よりも、
その時に説明や話をしてくれた現場の人だった。この事例集はそうした、地に足をつけた人を中心にして書いてみようと思った。
だから、この本に登場するのはすべて直接に会って話を聞いた人たちである。内容が単なる訪問記にならず多少は資料としても役に立つように数字は正確にし、
引用した資料はできるだけ新しいものを集めた。
理論よりもバイオマスエネルギーの最も末端でバイオマスに毎日触れて生活している人々のリアルな姿が見え、声が聞こえるように具体的に書いた。
バイオマスの先進的な事例をつくりだしているのは等身大の人々である。
化石燃料や原子力からバイオマスエネルギーへの転換は遠大な計画ではなく、もっと身近なものであるはずだ。
オーストリアのバイオマス産業を支える最前線の人々の、生の姿が本書を通じて伝わることを願っている