![]() | ピーター・グレイ[著] 吉田新一郎[訳] 2,400円+税 四六判並製 352頁 2018年4月刊行 ISBN978-4-8067-1555-9 異年齢の子どもたちの集団での遊びが、飛躍的に学習能力を高めるのはなぜか。 狩猟採集の時代の、サバイバルのための生活技術の学習から解き明かし、 著者自らのこどもの、教室外での学びから、学びの場としての学校のあり方までを 高名な心理学者が明快に解き明かした。 生涯にわたって、良き学び手であるための知恵が詰まった本。 【本書への賛辞】 ピーター・グレイは、「子どもの遊びの進化学」に関する世界的な権威の一人です。そして、心理学の百科事典的知識と慈悲深い口調を、差し迫った課題である学校改革に応用しています。彼が本書で提案しているすべてには賛同しなくても、彼は私たちに、子どもたちの自然な学び方に順応した学校がどうあるべきかを、再考するように迫っています。 ――スティーブン・ピンカー(ハーバード大学心理学教授) すべての子どもは、学ぶことが好きです。でも、ほとんどの子どもは、学校(勉強)が嫌いです。この矛盾について私たちは話すのを避けていました。好奇心の塊であるあなたの子どもが不機嫌な怠け者になってしまうのはなぜなのか不思議に思ったことのある読者に、本書は答えと対処法を提供しています。 ――『自由に羽ばたける子どもを育てよう』の著者、レノア・スクナージ ホーム・スクーリングをしている親や、子どもの幸福を願っている者にとってかけがえのない本。 ――ホーム・エデュケーション(在宅教育)マガジン誌 著者ピーター・グレイは、科学と進化生物学を通して、人類は遊ぶようにデザインされていること、遊びを通して成長すること、そして子どもにとって遊びは学ぶことと同義であることを証明しています。本書は、私たちに前提(パラダイム)の劇的な変化を迫り、適応し続ける人類の長期的な生存にとって欠かせない書になっています。 ――スチュアート・ブラウン(全米遊び研究所理事長/カリフォルニア大学サンディエゴ校准教授) |
ピーター・グレイ(Peter Gray)
ボストン・カレッジ心理学部で1972年〜2002年の間教鞭をとる。現在は研究教授。
テキスト用の本『Psychology(心理学)第7版』の執筆者。
『Psychology Today(一般読者にも分かり易い心理学専門誌)のネット版に、
「Freedom to Learn(学ぶ自由)」というタイトルのブログも執筆中。
現在の主な研究分野は、子どもの遊び、自立的な学習、人間の生物学的・文化的進化に果たしている遊びの役割等。
米国マサチューセッツ州ノーフォーク在住。
吉田新一郎(よしだ・しんいちろう)
元々の専門は都市計画。国際協力にかかわったことから教育に関心をもち、1989年に国際理解教育センターを設立。
参加型のワークショップで教員研修をすることで、教え方を含めて学校が多くの問題を抱えていることを知る。
それらの問題を改善するために、仕事/遊びとして、「PLC便り」「WW/RW便り」「ギヴァーの会」の3つのブログを通して
本や情報を提供している。
趣味/遊びは、嫌がられない程度のおせっかいと日曜日の農作業。
質問・問い合わせは、pro.workshop@gmail.comへお願いします。
プロローグ─息子が校長室で発した言葉から教育の生物学的意味を考え始める
第1章 子ども時代の過ごし方の大きな変化
人生に必要な知恵はすべてルービー・ルーから学んだ
50年かかって教育環境から失われたものとは
外遊びをしないで育つ子どもたちの心理的障害
子どもたちの自由な遊びの減少と心理的障害の増加
第2章 狩猟採集民の子どもたちは遊びでいっぱいだった
狩猟採集民の断固たる平等主義
寛大さと信頼にあふれた子育てはどこから来るのか
狩猟採集民の子どもは集約的にスキルと知識を身につける必要がある
社会的なスキルと価値観を学ぶのは、子どもたちだけで無制限に遊ぶ時間
並外れた自制心は、どのように育まれるのか
第3章 学校教育の歴史
誰の必要から、いまのような学校はできたのか?
農業が変えた子育ての目標
子育てに覆いかぶさる封建主義と産業のさらなる影響
学校の誕生──初期の神学校の洗脳と服従訓練
カトリック教会と学びのトップダウン[垂直]型の支配
プロテスタント主義の台頭と義務教育の起源
義務教育制度──どのようにして学校は国家に奉仕するようになったのか
高まり続ける学校のパワーと画一化
第4章 強制された教育制度の7つの罪
子どもは無能で、信頼に値せず、強制されることが必要な存在
学校と監獄
罪1 正当な理由も適正な手続きもなく、自由を否定している
罪2 責任能力と自主性を発達させる妨げになっている
罪3 学びの内発的動機づけを軽視している(「学び」を「勉強」ないし「苦役」に転換している)
罪4 恥ずかしさ、思いあがり、皮肉、不正行為を助長する形で生徒を評価する
罪5 協力といじめの衝突
罪6 クリティカル・シンキングの禁止
罪7 スキルと知識の多様性の減少
第5章 母なる大地は現代においても有効である
管理された学びと遊びから自由をとりもどした学校
本当に民主的な学校
教育機関としての学校
卒業生の成功はどうして説明できるのか?
サドベリー・バレーは、どのように狩猟採集民と似ているか
● 遊びと探究するための時間と空間
● 生徒たちは年齢に関係なく自由に交流できる
● 知識があって、思いやりのある大人たちとの接触
● 様々な設備・備品へのアクセスと、それらを自由に使えること
● 考えを自由に交換できること
● いじめからの解放
● 民主的なコミュニティーに浸っている
生徒たちの学校での活動と卒業後のキャリアとの継続性
第6章 好奇心、遊び心、社会性
インドで見る子どもたちの自己教育力
学習能力がある動物
好奇心─探究し、理解しようとする欲求
遊び心─練習することとつくり出すことの欲求
6つの遊びのタイプ
●肉体的な遊び
●言葉遊び
●探索的な遊び
●建設的な遊び
●空想的な遊び
●社会的な遊び
人間の社会性・情報や考えを共有したいという欲求
学校はどうやって子どもたちの教育への本能を阻止しているのか
第7章 遊びのパワー
心理学が解き明かす学び、問題解決、創造性
遊びのパワー・4つの結論
●いい結果を出すような圧力は、新しい学びを妨げる
●創造的になるように求める圧力は、創造性を妨げる
●遊び心を誘導すると、創造性や洞察のある問題解決力が高まる
●遊び心の心理状態が、年少者が論理的な問題を解くのを可能にする
遊びについて深く考える
●遊びは自己選択的で、自主的
●遊びは結果よりも過程が大事
●遊びの規則は、参加者のアイディアに導かれる
●遊びは想像的
●遊びは、能動的で、注意を怠らず、しかもストレスのない状態で行われる
遊びのパワーは些細なことにある
まとめ
第8章 社会的・感情的な発達に果たす遊びの役割
遊びとしてするスポーツからの教訓
教訓1 試合を続けたければ、全員を満足させ続けなければならない
教訓2 ルールは修正可能で、プレーヤーたちによってつくられる
教訓3 対立は、話し合い、交渉、妥協で解決する
教訓4 あなたのチームと相手チームの違いは一切ない
教訓5 よいプレーをして、楽しむことの方が、勝つことよりもはるかに重要
ごっこ遊びからの教訓
ホロコーストにおける子どもの遊び
「危ない」遊びの価値
共感能力の低下と自己中心主義の増大
ビデオゲームはどうでしょうか?
第9章 なぜ異年齢の混合が子どもの自己教育力を飛躍的に伸ばすのか
異年齢混合──教育機関の秘密兵器
年少の子どもたちにとっての異年齢混合の価値
●「今日誰かの助けがあってできたことは、明日一人でできるようになる」を遊びで練習し続ける
●年長者のすることを観察することで学ぶ
●ケア(気づかい)と精神的なサポートを受ける
年長の子どもたちにとっての自由な異年齢混合の価値
●育てたり、リードしたりすることを学ぶ
●教えることを通して学ぶ
●年少の子たちの創造性が喚起する影響
第10章 「最悪の母親」と信頼にあふれた子育て
3つのタイプの子育て
●信頼にあふれた子育て
●指示的で支配的な子育て
●指示的・保護的な子育て
信頼にあふれた親が減少する理由
●近所の弱体化と、子どもたちの近所での遊び友だちの喪失
●子育てについての常識の低下と世界的な不安の上昇
●未来の雇用の不確実性の増大
●学校の力と、学校が押しつける抑圧的な諸条件に従わせる必要性の高まり
●学校中心の子どもの成長と子育てモデルの増大
より信頼にあふれた親にどうしたらなれるのか
●自分の価値を検討する
●あなたが子どもの未来を左右するという考えを捨てる
●子どもの活動をモニター(監視)したいという誘惑に耐える
●子どもが遊べて探索できる安全な場所や機会を見つけるか、つくり出す
●従来の学校に代わる別の可能性を考える
将来的なビジョン
訳者解説─自立した学び手をどう育てるか
索引
訳注で紹介した参考文献
「くたばれ」
この言葉で私は大きな打撃を受けました。これまでにも何度か同じ言葉を投げかけられたことはありますが、今回ほど差し迫ってはいませんでした。それらは、私の頑固さに苛立つ同僚や、私の愚かな発言に対して友人が言った言葉でした。それらの場合、「くたばれ」は場を和ませたり、生産的とはいえないやり取りに終止符を打ったりするための手段でした。でも、今回のは切実でした。今度は本当に地獄に落ちるかもしれないと思ったのです。それも、自分が愛し、自分を必要として、そして自分に依存している者を失敗させてしまったという事実を突きつけられることによって、この世の地獄に突き落とされたと思ったのです。
この時の「くたばれ」は、公立小学校の校長室で、私の9歳の息子のスコットによって発せられたものでした。それは、私だけでなく、彼と対置する形でそこに居合わせた7人の分別のある大人全員に対して言い放たれました。その中には、校長先生、スコットの二人の担任の先生、児童指導員、教育委員会に所属する児童心理の専門家、彼の母親(今はなき私の妻)が含まれていました。息子が学校に通わなければならないことや、先生に言われたことは何でも大人しく従わなければならないことを彼にはっきり伝えるために、私たち全員が、息子に対して共同戦線を張っていました。それぞれが、自分が言うべきことを厳しく言った後に、スコットは私たちをまっすぐに見ながら、私たちが予期していなかったこの言葉を発したのです。
私はすぐに泣き始めました。その瞬間、私は息子に対置するのではなく、彼の側にいなければならないことを悟りました。涙ながらに妻を見ると、彼女も泣いていました。その涙を通して、彼女が私と同じことを考え、感じていたことがわかりました。その時、二人とも自分たちがすべきことを理解したのです。それは、スコットがずっと私たちにしてほしかったことです。つまり、彼をその学校から移すだけでなく、その学校のようなところには通わせないということです。彼にとって、学校は刑務所でした。しかし、彼は投獄されるようなことは何もしていないのです。
あの時の校長室でのミーティングは、それまで何年間にもわたってもたれたミーティングや面談の最終結論でした。度重なる面談で、私たち夫婦は、息子の問題行動についての最新の報告を聞かされ続けました。息子の問題行動は、教師たちにとっては特に耐え難いものでした。それは、教師たちが慣れている元気な男の子が自分の意思に反して犯すわんぱく振りとは、根本的に違っていました。むしろ、計画的な抵抗でした。彼は系統的に、そして意図的に教師の指示とは逆さまな行動をとり続けたのです。教師が計算問題を特定の方法でやるように教えたときは、自分なりのやり方を考え出して解いてしまうのです。句読点や大文字の使い方を学ぶときは、詩人のカミングスのように、大文字や句読点を自分が使いたいところで使ったり、あるいはまったく使わないで書いたりします。出された課題に自分が意味を感じられないと、まったくやりません。時には(それが、最近は頻繁に起こるようになっていたのですが)、許可を取ることなく、教室から出て(力づくで拘束されないと)、帰宅してしまうのです。
私たちは最終的には、スコットが気に入った学校を見つけることができました。それは、あなたが想像できるような学校ではまったくありません。あとで、その学校については、その学校が世界的な教育のうねりを巻き起こしていることといっしょに紹介します。しかしながら、本書は一つの学校についての本ではありません。そうではなく、教育に関する人間の本質についての本です。
子どもたちは、熱烈な向学心をもち、学ぶための並外れた能力を遺伝子にプログラムされてこの世界に誕生します。子どもたちは、小さな学ぶ機械です。最初の4年間ぐらいの間に、まったく教えられることなく、測ることのできない量の情報とスキルを身につけます。子どもたちは、歩き、走り、飛び、登ることを学びます。自分が生まれた文化の中の言語を理解し、話せるようになります。そして、それを使って、自分の考えを主張し、異議を唱え、楽しませ、いらつかせ、仲良くなり、質問をすることを学びます。自分の周りの物理的、社会的な世界についての信じられないほどの量の知識を獲得します。これらすべては、生まれながらの本能によって突き動かされ、もって生まれた遊び好きと好奇心をさらに活性化します。子どもたちが5歳や6歳になっても、学ぶことに対するこの計り知れない欲求と能力が止まることはありません。
しかしながら、学校という強制的な制度によって、私たちはこれを止めてしまうのです。学校で得るもっとも大きく、揺るぎない教訓は、学ぶことが可能な限り避けたい苦役だということです。息子が校長室で放った言葉は、私の職業人生と私生活の両方を大きく変えました。私は、当時も今も、生体心理学の教授です。哺乳類の衝動や感情の生物学的基盤に興味をもっている研究者です。ネズミの不安を調節する特定のホルモンの役割について研究していました。最近は、ネズミの母性行動の脳のメカニズムについて調べ始めていました。あの日の校長室での出来事が、私の研究の焦点を徐々に変える引き金になったのです。私は教育を生物学的な観点から研究し始めるようになりました。最初は、私の研究は主として息子への関心に動機づけられていました。専門家たちによって決定づけられた道ではなく、息子に自分で選んだ道を歩ませることが間違っていないことを確かめたかったのです。しかしながら次第に、息子の自律的な教育がとてもうまくいっていることを確認できたので、私の関心はスコット一人から子どもたち一般と教育の生物学的な基盤に移りました。
私たちを文化的な動物にしている、人間という種の特性とはいったい何なのでしょうか?
言い換えると、地球上のどこであろうと、人間性のどのような側面が、新しい世代が前の世代のスキル、知識、考え、理論、価値観を身につけ、そして発展させているのでしょうか? この質問は、私に標準的な学校制度の外で行われている教育について調べさせることになりました。たとえば、息子が通学していた素晴らしい学校とは言えないところなどです。たとえば、「アン・スクーリング」の運動に参加した家族の子どもがどのように教育されているのかを理解するために、世界的に広がりつつあるそのうねりについて見てみました。狩猟採集民の社会における子どもたちの暮らしと学びについて知るために、文化人類学の文献を読み、文化人類学者を対象にアンケート調査も実施しました。ちなみに、狩猟採集民の社会は人類の進化史の99%を占めています。子どもの遊びに関する心理学と文化人類学のすべての文献を検討しました。私の学生たちとは、子どもたちは遊びを通してどのように学んでいるかを理解するための新しい研究も行いました。
そのような調査を通して、子どもの遊びと探究への強い欲求が教育を可能にしているということについて、私は理解するようになりました。それは、狩猟採集民の社会だけでなく、私たちの社会でも同じです。子どもが遊びの方法を使って、自らを教育する力を最適化するための環境や条件についての新しい知見を与えてくれました。私たちに意思さえあれば、強制的な学校から子どもを解放し、子ども時代の正当な楽しみを奪うことなく、子どもが自分自身を教育するための「学習センター」をどのように提供することができるのかという理解を得ることもできました。
本書には、こうしたことすべてが書かれています。
教育にかかわり始めた1985年ぐらいから
「自立した学び手をどう育てるか」をテーマに一貫して模索してきました。
国際理解教育センターを通して出した本も、2000年以降、書いたり訳したりした本も
すべてそのテーマで書いてきたつもりです。
そして、今回の本は私のテーマに見事にフィットしているだけでなく、
視野を大きく広げてくれるものでした。
「自立した学び手」は教育(ましてや、教科)の専門家だけに任せておいて、よくなるものではないことを
この本は示してくれています。
一人ひとりの子どもをトータルに見てアプローチしないと! と同時に、
もっと子どもたちに学びの責任を委ねないと。
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私が本書を日本に紹介した4つの理由:
学校での知識の詰め込みよりも、「自立した学び手になること」が、
子どもたちが将来、急速に変化し続ける社会で
生き延びるために最も大切なことです。
@日本の学校、教育、学び、そして遊びについて見直すのにとてもいい本だから。
A教育関係者とは異なる切り口のお役立ち情報をたくさん提供してくれているから。
(狩猟採集という人類の歴史の99%がしていたことの詳しい情報!)
B学者にありがちな、単なる知識の書ではなく、アクションの書にもなっているから。
(息子の校長室での発言にショックを受けての、極めて個人的な物語でもある)
C楽観主義/信頼/ユーモアをベースに据えているから。
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