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愛の一字 父親 福沢諭吉を読む

【内容紹介】本書「父母の教えとは?---福原義春」より


 原稿を拝見すると、読書会とはいい條、本当に行き届いてわかりやすい解説である。どうして私などの余計な解題がいるのだろうか。でも私にできることがあれば、令名高い福沢学者の方々ばかりでなく、実業の世界にも、政治の世界にも、福沢先生の建学の精神を継いで、さらに学び、語り伝えようとする者がいるという慶応義塾の社中一同の在りようをお伝えしようと思うのだ。
 思えば、明治維新前後の動乱期にエネルギーを蓄えられた福沢先生の青春は、天保7年に数え歳わずか3歳でお父上が病死されたことに始まるのかも知れない。
 もちろんお父様のお顔も知らない末っ子が、お母上の於順の許で兄弟5人で苦労しながら育つうちに、儒教的な秩序と礼儀を教えられる他方で、公正さと臨機順応の大切さを知り、さらに自らの合理性をたしかめるということは、人並みなことではない。のちに福翁自伝にも取り上げられた、お稲荷様のご神体をひそかに入れ替えてみるというようなことは、幼稚舎時代の私にすら大きな影響を与えたことであった。
 当時としても早死にはされたが、学者の父を持ち、格式を重んじることのない開けた「心正しき母」に育てられたことは、その後の福沢先生の波瀾万丈の体験と勉強の大きな土台となったにちがいないことだ。
 そして「おおそうか」の一言で福沢先生を勉強に送り出す母上の人生観もまことに広いものだ。
 やがて一太郎・捨次郎の二人のご子息をもうけられるようになって、建前としての教育論は、実学としての子育てに当面することになる。
 ことに当時の社会常識であった父厳母慈を男尊女卑の思想であると排し、父母も、また使用人たちとも分け隔てなく、お子さんがたを育てられたことは何とすばらしいことであったか。しかしそのことは二人のご子息ばかりに及んだのではない。福沢先生を敬慕してやまなかった吉田小五郎先生も、担任のとき十歳前後の幼稚舎生の私たちに一人の人間として接してくださった。お話やお書きになったものによく「子供たち」という言葉が出てくるのだが、先生にとっては子供も成人と同じに公平に扱われるのを見てきた。その体験がまさに私が会社で役員になっても、社長になっても、全社員が一個の人間として平等でありたいという念に駆られて今日に至ったことにもなる。
 福沢先生は、ただにご自分と家族の生き方に厳しいだけではなかった。一太郎さん宛の文章のエッセンスは、「律義正直親切」に生きることであり、桑原先生がこの本の中でいわれるように、教育とは、この世を先に生きている人が、愛する後輩に自分の信念を伝えることなのだ、というくだりに大きな共感を覚えないではいられない。
 すべては「人の上に人を造らず」の理念にその根源があり、父母といえどもその子には先達として、その生き方、考え方を伝えようとするものだということを改めて悟とともに、子たるものもそれに負けずに自ら発育することが福沢先生の願いであったのだろう。
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