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女たちの大地 [開発援助]フィールドノート

【内容紹介】本書「あとがき」より


 援助の“現場”は、華やかではない。日々の仕事と生活の連続だ。喜び、怒り、嫉妬、野心、恐れが渦巻いている点では、日本の日常と変わらない。ザンビアでの時は、ゆったりとした流れではあったが、慣れてくるにつれて、流されていく自分に気がついた。少しずつでも、日常の中でたまっていく言葉を書き綴っていくことにより、自分や他者を見つめ直したいと思うようになった。
 この本は、ザンビア滞在中、そんな思いのもと日本の友人たちに書き送っていた「モンゼ便り」、折々に綴っていた日記、個人的な書簡などがベースとなっている。とりわけ、医療分野を通して第三世界にかかわりつづけている友人三砂ちづるさんとの約150通におよぶ往復書簡は、当時の私の内なる声を掘り起こしていく助けとなった。
 ザンビアの状況も、南部アフリカ全体の状況も、私がザンビアをあとにしてからの二年間に変わっていった。また、私自身の勉強不足、分析の甘さから、真実とは違う記述をしてしまっているところもあるかもしれないが、あえて、その時々の人々の声や私が感じたことを中心に書かせていただいた。さらに、これは、ザンビアのモンゼという限られた地域が主な舞台となっている。第三世界がますます多様化するなかで、私の経験はほんの一側面でしかない。これらの点も考慮にいれて読んでいただければ幸いである。
 ザンビア一国にしても、さまざまな側面を持つ。そのザンビアを一言で語れないとわかっていても、あえて、私なりのザンビアのイメージをいえば、それは“太陽の光”と“夜の闇”だ。
 ザンビアに赴任してすぐ、底抜けに明るく力強い人々は、まるで太陽からエネルギーを吸収しているかのように感じられた。その印象は終始かわることはなかったし、私の栄養源は彼らの明るさとたくましさだったといっても間違いではない。
 しかし、しばらく暮らすうちに、明るさの陰にある闇の大きさにも気づかざるをえなかった。ザンビアでは“飢えのエチオピア”や“アパルトヘイトの南アフリカ共和国”などに比べたら、闇は闇として浮き彫りにされにくく、日本の新聞の見出しとなることも少ないが、闇はさまざまな形で存在していた。同僚や近所の人の死。なかでも、子どもの死とその死を嘆き悲しむ母親の姿は、何度目にしてもやりきれないものだ。経済・社会状況の悪化。そのなかで翻弄される人々。能力や個性を生かしきれない人々の苛立ちと諦め。決定するということ以前に少なすぎる選択の余地。
 こうしてザンビアで光と闇の両方を認識し、行動を起こしていく過程は、最初の第三世界経験となった南アジアでの体験をも消化しなおす助けとなった。南アジアを訪れたあと、あふれでてきた言葉をうけとめてくれる器は、アフリカに来てはじめて見つかった。それは、ちょうどザンビアで老婆が土をこね形をつくり焼き上げていく素焼きの壺のように、時をかけていく必要があったのだ。
 私は、“南”の太陽の光と夜の闇をくぐりながら、自分のなかの霧が晴れていく気がしている。いまだに、霧の向こうに何があるのか、何を見つけようとしているか、はっきりとした答えにいきついてはいないが、歩き続けたいと思っている。
 これからも、“開発援助”というさまざまな思惑・利害が渦巻き、北側のあらゆる意味での“価値規範”をおしつけるという部分を拭いさることのできない仕事にかかわっていくだろう。その際、たとえ、青臭いといわれようと、ナイーブすぎるといわれようと、南の市井の人々の哀歓によりそっていける人間でありたいと思っている。これは決してセンチメンタルにいっているのではなく、それこそが“開発援助”にかかわるあらゆる人間の最低限の条件だと思うのだ。
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