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朝鮮の食べもの

【内容紹介】本書「まえがき」より


 食べものには人間の知恵がこめられている。食べる材料が選ばれたのも、料理が考え出されたのも、人間が食べてみて有益であることが確認されたからにほかならない。長い時間をかけ命をフィルターにして、食べものの知恵は積み重ねられてきたわけである。だから食べものをめぐる知恵を総称する「食文化」ということばがあるのだろう。
 この知恵の働かせ方は、それぞれの地域や民族によってちがうところがある。しかし、よりよく生きていこうという点においては共通といえるだろう。
 朝鮮半島に生活した人びとの永い歴史の中でも、生きるための食べものに多くの知恵が働かされたといえよう。その食べものにこめられた民族の知恵とはどんなものなのかというのを浮き上がらせてみたかった。
 朝鮮半島と日本列島は一衣帯水の関係にある。マクロにみれば同じ文化圏にある。生活の文化、とくに食生活においてみるとしても、そう大きな差があるとは思えないが、現実には朝鮮料理と日本料理とは同じではない。日本に居住して朝鮮と日本の両方の食べものに毎日接していると、そのことをより強く感ずる。
 日本では朝鮮料理がかなり普及し食べられるようになった。しかし、焼肉とキムチがその代表かのように受けとめられているのが現状であろう。実際にはそればかりでない多様な調理法による料理が豊富にあることをも、この本を通して紹介したかった。
 食べものを通して朝鮮の民族性なり文化性を知ってもらえたらと思ったわけである。
 しかし、この本は料理法の本ではない。あくまで食品や食べものが、どのような経緯の中で考え出され、つくり出されたかということに焦点を合わせたつもりである。
 同時に、近年急速に変容をみせている私たちの食生活が、果たしてこれでよいものだろうかという疑点をも合わせて提起したかった。
 食べるものが人間の「知恵の結晶」とするならば、消えてなくなるもの、新しく生まれ変わるものは「知恵のうつりかわり」なのかもしれない。永く続いた食べものにこめられた、先人の知恵を大切にしたいという気持ちも、この本を書くひとつの動機であった。
 そのような筆者の考えが十分に書きつくせたかどうか、読者の批判を待つ次第である。
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