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昆虫放談

【内容紹介】本書「あとがき」より抜粋


 昆虫放談はこれまで3回単行本として上梓されている。昭和16年6月25日発行の大和書房版、昭和23年12月15日発行の組合書店版、「昆虫日記」と改題された昭和38年2月28日発行のオリオン社版である。
 大和版初版の売れゆきは当時としてはなかなかのものであったと思われる。本人は売れるとは思っていなかったらしい。昆虫放談は初め「オール女性」という雑誌に連載されたものだが、一本にまとめるという話があったとき、「本にしたって売れやしない」と父は小林清之介さんに語ったそうだ。売れゆきは別にして、評判になったという証拠がある。昭和16年8月9日の父の日記に、「昆虫放談は伊馬鵜平氏の脚色で、来たる15日午後8時頃から30分放送されることになった」とある。
 次が組合版だ。これは戦後23年の発行で、父の死後出たものだ。この版も同じく句読点はないが、新仮名に直してある。そして、全体を23に分けて、各々小題がついている。組合版には何箇所か削除がある。主として、戦争にまつわる記述だが、これらがあるとないのでは本全体をみると大変な違いだ。
 次がオリオン版である。この版は新仮名、句読点つきで、全体を27に分けて、組合版とは違う小題がついている。大きな変更は、「昆虫日記」と改題されたことだ。この版は発刊後になって、知人の報せで知ったような事情で、この間のことを私どもは一切承知していない。
 組合版と並んでオリオン版が古書店に並ぶようになり、段々に父をなつかしむ人たちも減ってゆく。まあ、これで完全に忘れ去られるものと思った。ところが昭和41年「ひろば」誌が父の絵を特集した。そしてまた父の生前交際のなかった人たちのうちで、意外な愛好者が現れた。例えば、「愛蝶記」の浅田孝二氏がそうであるし、クセジュ文庫「蝶」の参考文献に昆虫放談が入っていたりした。あるいはまた北杜夫氏は「どくとるマンボウ小辞典」の中で昆虫放談に言及しておられる。しかし、何よりも驚いたのは、G社の人に連れられて瀬田貞二氏にお会いしたときのことだ。瀬田氏は私の知らない戦前の父の著書を沢山集めておられた。
 まだ空襲にあいながら東京にいた頃、井の頭公園へ父と出かけたことがあった。その時、駅の近くの原でサイダーを飲んだ。白いチョウ、おそらくはモンシロチョウが飛んでいた。大学に入って、私は真っ先に井の頭公園へと出かけた。駅を降りて、私は驚愕してしまった。昔のままの原があったのだ。私はたちまち3、4歳の子供に戻り、泣き出したくなったものだ。
 あっという間に年月は過ぎ去り、来年は父の33回忌にあたる。ここにまた「昆虫放談」が陽の目を見るとは、地下の父にしろ、私にしろ予想だにしなかったことだ。
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