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沈黙の川 ダムと人権・環境問題 【内容紹介】本書「この書を読まれる方へ」より | |||
本書は、著者の長年にわたる現地調査と実践活動に裏打ちされている。本書において貫かれている著者の河川思想は、これを一言で表現すれば、「川は流れるものである」という見方にある。言い換えれば、人間が、科学・技術でもって川を制御できるとの考えに基づいて、川を押さえ込もうとするのは、基本的に誤りであるとの視点に立っている。より広く言えば、人間が自然を征服することができるとするのは、人間の浅はかな奢りであり、単なる幻想にすぎないとの見方である。こうした観点から、本書においては、河川の自然な流れがダムで堰き止められ、転流され、直線化されることにより、一方において河川生態系と河岸住民の生活基盤が無残に破壊されるとともに、他方において塩害、堆砂などの解決困難な問題が発生してきている状況が描かれている。読者は、ダム建設により、いかに多くの経済的、社会的、環境的問題が生み出されてきているのかを知ることができよう。
しかし、読者のうちには、ダム建設にはいくぶんかのマイナス影響があるにしても、こうした「費用」に対して、「便益」の方が上回るのではないかと反論する人びとも多いのではないかと思われる。事実、日本でも、建設省やダム産業界は、このような論法を展開してきている。さらに、地球温暖化への懸念が高まる中で、ダム建設推進を画策する人びとの間からは、水力発電は、火力発電や原子力発電に比べて、「クリーン」であるとの主張がなされてきている。 しかしながら、本書においては、こうしたダム建設推進論者の言い分は、具体的な事例でもって、ことごとく論破されている。本書を通読していただければ、一方においてダム建設の「費用」がいかに過小評価され、他方において「便益」がいかに過大評価されてきているのかが、容易に理解していただけるだろう。 | |||
【内容紹介】本書「日本語版への序文」より | |||
世界各地の「沈黙の川」のうちでも、日本の河川の静かさは、とりわけ群を抜いている。中国とアメリカでは、ダムは、絶対数という点では、日本よりも多いのであるが、1000平方キロメートル当たりで眺めてみるならば、日本における大規模ダムの数は、平均でアメリカのおよそ12倍、中国の約3倍も多いのである。日本の河川は、随所で堰き止められ、転流され、また水路化されており、もはや「川」と呼ぶに値しない状況を呈している。
他の多くの先進国においては、大規模ダムの建設は、今日では、もはや過去の遺物となってきているのであるが、それらの国々とは異なり、日本のダム建設業者は、狂気とも言える速度で、地中にコンクリートを打ち込み、ブルドーザーで踏み固めている。最新のダム建設産業の統計によれば、日本では、1995年の時点で、140個ものダムが建設中である。これは、世界における川殺しリーグ戦において、中国とトルコに次ぐ建設数である。 しかしながら長期的な視野で眺めてみれば、今日では、事態は変わりつつあるように思われる。日本における破壊的で不必要なダムに反対するキャンペーン活動は、その勢いを増しつつあり、また一般大衆の支持を得つつあるように思われる。その代表的な例が、長良川河口堰、諌早湾干拓事業、川辺川ダム、細川内ダムである。「公共事業チェック機構を実現する議員の会」の活動もまた、ダム建設の既存体制の旧態依然たる腐敗的なやり方が、もはや通用しないことを示す極めて顕著な兆候である。 日本における今日の河川状況は、1970年代におけるアメリカでの状況に酷似している。当時、アメリカでは、専横的なやり方で利益を追求する政府機関と政治家によって推進された破壊的で浪費的な水利プロジェクトに対して異議を唱える地方レベルでの市民グループの動きが、国中のあちらこちらで現れ出ていた。今後、日本でも、アメリカと類似の状況が続くものと予測される。アメリカの場合には、地方グループは、徐々に横のつながりを強め、ついにはワシントンDCにおいて全国規模の声となるに至った。多数の人びとの犠牲において少数者の利益にしか資するにすぎないプロジェクトのために税金を支出することへの納税者の嫌悪感とあいまって、反ダム活動家は、次から次へとダム建設を中止することに成功した。こうして、1990年代の初期までには、アメリカにおけるダム建設の時代は、明らかに終わった。 日本の活動家は、1990年に、インドにおける悪名高いサルダル・サロバル・ダムへの日本の援助を中止させるという点で大きな勝利を収めた。しかしながら、日本の企業と援助機関は、世界各地における巨大ダムの建設を推進する上での大きな役割を演じ続けている。それ故、日本の反ダム活動家にはまた、海外における河川そのものと河岸に住む人々を救う上で、いっそうの努力を払うことが期待されている。 こうした意味で、「沈黙の川」の日本語版の刊行は、とりわけ重要な時期に符合しているように思われる。この書物が、日本における大規模ダムの時代の終了の時期を早める上で、またこの点での一般の人々の見方を変える上で、つまり河川が、制御されるべき不埒な敵として眺められるのではなく、私達の生命、文化および社会の不可欠の一部として尊重されるべき存在であるとの認識が広まる上で、一つの役割を果たすことができるものと確信するものである。 | |||
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