![]() | 柿澤宏昭+山浦悠一+栗山浩一[編] 2,700円+税 四六判上製 372頁 2018年11月刊行 ISBN978-4-8067-1570-2 成熟期をむかえる日本の人工林管理の新指標 オリンピックを契機として森林認証が注目されるなか、 環境に配慮した伐採をどう進めるかがクローズアップされている。 だが、生物多様性の保全に配慮した施業のガイドラインは存在しない。 本書は、欧米で実践され普及している、 生物多様性の維持に配慮し、林業が経済的に成り立つ「保持林業」を 第一線の研究者16名により日本で初めて紹介。 保持林業では、伐採跡地の生物多様性の回復・保全のために、 何を伐採するかではなく、何を残すかに注目する。 北海道道有林で行なっている大規模実験、世界での先進事例、 施業と森林生態の考え方、必要な技術などを科学的知見にもとづき解説。 生産林でありながら、美しく、生き物のにぎわいのある森林管理の方向性を示す。 |
柿澤宏昭(かきざわ・ひろあき)
北海道大学大学院農学研究院教授 博士(農学)
北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、北海道大学農学部助手・助教授を経て現職。
主な研究テーマは欧米諸国の森林管理政策の比較研究、地域森林ガバナンスの構築。
主な著書は『日本の森林管理政策の展開』『欧米諸国の森林管理政策』(ともに日本林業調査会)など。
山浦悠一(やまうら・ゆういち)
国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所 森林植生研究領域主任研究員 博士(農学)
東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了後、長野県林務課に勤務。
その後、同研究科博士課程修了、森林総合研究所非常勤研究員、北海道大学農学部森林科学科助教を経て現職。
山村に生まれ育ち、森林や林業、野生生物の保全に関心をもち研究を行なっている。
近年の著作は「人工林の主伐は生物多様性保全のチャンス!? ── 木を伐って、残して守る日本の自然」(林業経済)など。
栗山浩一(くりやま・こういち)
京都大学大学院農学研究科教授 博士(農学)
京都大学大学院農学研究科修士課程修了、北海道大学農学部助手、早稲田大学政治経済学部専任講師・助教授・教授を経て現職。
専門は環境経済学で、自然環境の経済価値を評価する手法の研究を行なっている。
主な著書は『初心者のための環境評価入門』(共著、勁草書房)、『環境経済学をつかむ 第3版』(共著、有斐閣)、
『環境と観光の経済評価 国立公園の維持と管理』(共編著、勁草書房)など。
明石信廣(あかし・のぶひろ)
北海道立総合研究機構林業試験場研究主幹 博士(理学)
京都大学大学院理学研究科修士課程修了、北海道立林業試験場(現北海道立総合研究機構林業試験場)において、
森林におけるシカ対策や林業と生物多様性保全の両立に向けた試験研究を行なっている。
主な著書は『シカの脅威と森の未来 ── シカ柵による植生保全の有効性と限界』(分担執筆、文一総合出版)
『日本のシカ ── 増えすぎた個体群の科学と管理』(分担執筆、東京大学出版会)など。
井上大成(いのうえ・たけなり)
国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所 多摩森林科学園チーム長 学術博士
千葉大学大学院自然科学研究科博士課程修了、森林総合研究所四国支所、本所を経て現職。
学生時代より樹木の害虫・森林昆虫の生活史と多様性の研究を行なってきた。
近年の共編書に『チョウの分布拡大』(北隆館)、『昆虫ワールド』(玉川大学出版部)、
幼児用絵本に『チョウのふゆごし』(福音館書店)など。
伊藤 哲(いとう・さとし)
宮崎大学農学部教授 博士(農学)
九州大学大学院農学研究科修士課程修了、九州大学農学部助手、宮崎大学農学部助手・助教授を経て現職。
日本有数の林業県にある大学で、プレッシャーを感じながら造林学を教えている。好きな研究対象は萌芽林と渓畔林。
主な著書は『22世紀を展望する森林施業 ── その思想、理論そして実践』(共著、日本林業調査会)など。
近年の著作は「低コスト再造林の全国展開に向けて ── 研究の現場から」(山林)など。
大澤正嗣(おおさわ・まさし)
山梨県森林総合研究所特別研究員 博士(農学)
筑波大学大学院農学研究科修了。研究テーマは森林の病害虫対策、森林昆虫の多様性。
岡 裕泰(おか・ひろやす)
国際農林水産業研究センター林業領域長 博士(農学)
東京大学教養学部教養学科卒業。林業試験場、熱帯農業研究センター、森林総合研究所林業経営・政策研究領域チーム長などを経て現職。
主な研究テーマは、森林経営および林産物需給の長期推計などで、個別経営から地球規模の問題までを対象とし、林業の環境影響にも関心をもっている。
主な著書は『改訂 森林・林業・木材産業の将来予測』(共著、日本林業調査会)など。
尾崎研一(おざき・けんいち)
国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所 研究ディレクター(生物多様性・森林被害担当) 博士(農学)
東京農工大学大学院農学研究科修了後、農林水産省林業試験場(現在の森林総合研究所)に就職する。
それ以降は数年間をのぞき、北海道支所で北海道の森林を対象に、世界的な視野で研究を行なう。
3年前に管理職になり、つくば市に転勤。森林昆虫研究領域長を経て現職。
主な著書は『オオタカの生態と保全 ── その個体群保全に向けて』(共編、日本森林技術協会)、
"Galling arthropods and their associates: Ecology and evolution"(分担執筆、Springer-Verlag)など。
五味高志(ごみ・たかし)
東京農工大学大学院農学研究院教授 Ph.D.
北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、ブリティッシュ・コロンビア州立大学森林学部博士課程修了後、
京都大学防災研究所研究員、東京農工大学大学院講師・准教授を経て現職。
主な研究テーマは、森林流域を対象とした森林の水土保全機能評価、砂防や山地保全対策に関する研究。
庄子 康(しょうじ・やすし)
北海道大学大学院農学研究院准教授 博士(農学)
北海道大学大学院農学研究科博士課程修了、日本学術振興会特別研究員、北海道大学大学院農学研究院助教を経て現職。
主な研究テーマは、環境経済学的手法を用いた自然資源の価値評価、自然保護地域の管理施策の評価。
主な著書は『入門 自然資源経済学』(共訳、日本評論社)、
『自然保護と利用のアンケート調査 ── 公園管理・野生動物・観光のための社会調査ハンドブック』(共編、築地書館)など。
長池卓男(ながいけ・たくお)
山梨県森林総合研究所主幹研究員 博士(農学)
新潟大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了。現在の研究テーマは、ニホンジカの森林や高山帯への影響把握・管理や人工林の生態的管理など。
主な著書は"Restoration of boreal and temperate forests 2nd Edition"(分担執筆、CRC Press)、
『日本のシカ ── 増えすぎた個体群の科学と管理』(分担執筆、東京大学出版会)など。
中村太士(なかむら・ふとし)
北海道大学大学院農学研究院教授 博士(農学)
北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、北海道大学農学部助手・講師・助教授を経て現職。
河川を中心にさまざまな生態系の相互作用を流域の視点から研究している。
近年のテーマは、生態系を生かした防災・減災で、グリーンインフラの機能評価と配置計画を検討している。
主な著書は『河川生態学』(編集、講談社)、『森林と災害』(共編、共立出版)など。
森 章(もり・あきら)
横浜国立大学環境情報研究院准教授 博士(農学)
京都大学大学院農学研究科修士課程修了、サイモンフレーザー大学博士研究員、横浜国立大学助教、カルガリー大学訪問研究員などを経て現職。
生物多様性がどのようにして形成され、生態系の維持にどのように貢献するのかを主に研究している。
主な著書は『エコシステムマネジメント』(編集、共立出版)、『生物多様性の多様性』(共立出版)など。
由井正敏(ゆい・まさとし)
東北鳥類研究所所長 博士(農学)
東京大学農学部林学科卒業。1966年林業試験場保護部鳥獣研究室勤務。小鳥の生態調査やセンサス法研究に従事。
森林総合研究所東北支所保護部長から岩手県立大学教授を経て、退職後は一般社団法人東北地域環境計画研究会会長などを併任。
主な著書は『野鳥の数の調べ方』(日林協)、『森に棲む野鳥の生態学』(創文)など。
吉田俊也(よしだ・としや)
北海道大学北方生物圏フィールド科学センター教授 博士(農学)
新潟大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了、北海道大学農学部附属演習林助手、北方生物圏フィールド科学センター准教授などを経て現職。
北海道の天然林を主な対象として、生態系の保全を考慮した森林の施業方法を研究している。
主な著書は『森への働きかけ ── 森林美学の新体系構築に向けて』(分担執筆、海青社)など。
はじめに
第1章 保持林業と日本の森林・林業………………山浦悠一・岡 裕泰
コラム1 ニホンジカが多い時代の林業とは……………長池卓男
コラム2 針葉樹人工林の海に浮かぶ広葉樹……………大澤正嗣
コラム3 広葉樹が混交した針葉樹人工林の社会的価値……………山浦悠一
コラム4 草原性チョウ類の保全場所としての幼齢林……………井上大成
コラム5 イヌワシと林業との共存……………由井正敏
第2章 アメリカ合衆国における保持林業の勃興……………中村太士
コラム6 順応的管理……………中村太士
第3章 カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の事例
── 保持林業が渓流生態系に及ぼす影響……………五味高志
第4章 保持林業の世界的な普及とその効果
── 既往研究の統合から見えてきたもの……………森 章
第5章 北海道の人工林での保持林業の実証実験……………尾崎研一・山浦悠一・明石信廣
第6章 保残木が植栽木・更新へ与える影響……………吉田俊也
第7章 保持林業と複層林施業……………伊藤 哲
第8章 諸外国の生物多様性を保全するための制度・政策……………柿澤宏昭
第9章 日本における生物多様性配慮型森林施業導入の課題と可能性……………柿澤宏昭
第10章 生物多様性の保全を進める新たな手法……………栗山浩一・庄子 康
おわりに
索引
戦後さかんに造成された日本の針葉樹人工林が主伐可能な時期を迎え、各地で皆伐されるようになった。成熟しつつある資源状況を背景に、木材自給率の向上が期待されている。一方世界的には、森林の皆伐に対する批判を受けて、保持林業という伐採方法が1990年代以降大きな注目を浴びるようになった。森林を伐採する際に樹木をすべて伐採せず、一部をその後の生物多様性や生態系の回復のために残すのが保持林業(retention forestry)である(注)。本文中で詳しく紹介されているように、例えば多くの国々で森林認証の要件になるなど、保持林業は世界的に普及し、保持林業の有効性を検証する実証実験も世界各地で実施・継続されている。
このような状況のなかで、日本でも生物多様性の保全に配慮して人工林を管理することは重要な論点になるだろう。実際、2000年代以降、国内でも人工林における生物多様性の研究が行なわれ、知見が蓄積されるようになった。しかし、得られた知見は現場に落としこんで保全の実践につなげる必要がある。そのためには、国内で生物多様性の保全に直接関連する野外実験を行ない、生物多様性の保全に配慮した施業の具体的なモデルを構築する必要があると感じていた。人工林の主伐は、人工林の構造を変える決定的なイベントであり、そして森林の生物多様性の保全を推進するための大きなチャンスにもなると考えられる。
こうしたなか、北海道道有林課の理解と協力のもと、アジア地域で初となる保持林業の大規模操作実験が開始された。この実験が2012年に計画されてはや6年が経過した。主要な伐採はすでに終了し、2017年にはすべての伐採区の事後調査が初めて一斉に行なわれた。本書はこの実証実験の状況について紹介しつつ、世界的に注目されるようになった保持林業を多角的に検討し、今後の保持林業の日本での展開、さらには森林における生物多様性の保全についてまとめたものである。さまざまな観点からなる章を通読することにより、日本の林業の進むべき方向が見えてくると期待している。
第1章では、まず保持林業の紹介を行ない、各章を紹介しながら日本での保持林業の展望と課題についてまとめている。続いて、保持林業のアメリカ合衆国での勃興(第2章)、カナダでの保持林業(第3章)、既往研究の知見の整理統合(第4章)と、保持林業の世界的な動向を整理する。カナダでの実践の報告は、渓流生態系に森林の伐採と保持林業が及ぼす影響がまとめられている。国内で林業が行なわれている場所は渓流生態系を含むことが多く、保持林業にかかわらず一般的な施業にとっても大いに参考になるだろう。
その後、国内の事例として、北海道の実験(第5章)、富山の事例(第6章)を紹介している。富山のカラマツ人工林の報告は、国内ですでに実施されている保持林業の稀有な事例である。こうした国内の事例の紹介を通じて、読者に保持林業を身近に感じてもらえれば幸いである。
さらに第7章では、傘伐〔さんばつ〕や複層林施業といった、国内の非皆伐施業が総括されている。非皆伐施業は国内でも長い歴史があり、今後の保持林業を含めた施業を有意義に展開するために、国内の歴史は大いに参考にすべきであろう。第8章、第9章では海外での森林の生物多様性保全の制度を整理し、国内での保全への展望を述べている。最後に第10章では、環境経済学的視点から、森林における生物多様性保全の課題を整理している。
持続可能な森林経営が叫ばれるようになって久しいが、生物多様性の保全はそのなかで重要な位置を占める。日本は国土の67%が森林で覆われた、森林大国である。日本の生物多様性を保全するためには、森林で生物多様性を保全しなければならない。木材消費大国の日本では、人工林は森林の42%を占める。この値は決して小さくなく、日本の森林で生物多様性を保全するうえで、人工林は重要である。そして言うまでもなく、人工林は木材を生産するために造成された存在であり、伐採による木材生産も重要である。実際、現在伐採活動のほとんどは人工林で行なわれている。森林、そして人工林における生物多様性の保全については、世界各地で数多の実験や研究が行なわれている。しかし、森林を構成する樹木や生息する生物、森林を取りまく社会経済や歴史の地域性を考えると、欧米の研究成果をそのまま日本での生物多様性の保全に適用することはできない。日本で森林の生物多様性を保全するためには、日本で実験や研究を行なう必要がある。本書が日本の森林における生物多様性の保全に貢献することができれば幸いである。
なお、本書は、独立行政法人日本学術振興会平成30年度科学研究費助成事業(科学研究費補助金、研究成果公開促進費)の助成(JSPS科研費JP18HP5244)を受けたものである。
注 ── 本書において保持林業という用語はretention forestryの全般的概念を指し示すものとして用い、保持林業のもとでの一連の具体的施業を保持林施業、保持林業のもとでの伐採(主伐retention harvesting)を保持伐・保持伐採、保持伐で残存させた立木・枯損木など(retained tree)を保持木とする。自然攪乱跡地に残った樹木などのbiologicallegacyは生物遺産とした。
第1章 保持林業と日本の森林・林業………………山浦悠一・岡 裕泰
自然攪乱、生物遺産と保持林業
── どんな強度の自然攪乱でも、樹木を枯らすことはあっても、その場から持ち出すことはない。
これは、アメリカ合衆国で保持林業の開発・普及を主導してきたジェリー・フランクリンの言葉である。噴火や山火事、風倒(台風などの強い風で木が倒れること)といった、短期間で生態系を変化させる出来事は「攪乱」と呼ばれる。主として人間によらない攪乱は「自然攪乱」、伐採などの人間による攪乱は「人為攪乱」と呼ばれる。フランクリンが言うように、自然攪乱の後には、立ち枯れた木(立ち枯れ木)や倒れずに残った生きた木(生立木〔せいりゅうぼく〕)、倒木などが残され、これらは「生物遺産」と呼ばれる。生物遺産は、攪乱跡地で多様な生物が生き残ることを可能にし、その後の生態系の回復に重要な役割を担う(この過程については、第2章で詳しく整理されている)。このため、生物遺産は攪乱前後の生態系を結ぶ「糸」とも表現される(Franklin et al. 2000)。
森林を伐採して樹木を持ち出した後、残った枝葉を集めて整地し(地拵え)、種を蒔く(播種)、あるいは苗木を植える(植栽) ── この一連の作業によって仕立てた森林を「人工林」と呼ぶ。これに対して、播種や植栽によらない森林の再生は「天然更新」、天然更新によって成立した森林を「天然林」と呼ぶ。人間の力によって均質に整地された植栽地は、自然攪乱跡地とは攪乱後の生態系として対照的である。フランクリンの冒頭の言葉は、このように単純化された伐採跡地や植栽地と自然攪乱跡地の対比を示したものである。
1970年代から80年代にかけて、フランクリンは相反する二つの要求の間で揺れた。一つは、高まる木材需要を背景とした残存原生林の伐採であり、もう一つは老齢木や絶滅危惧種、森林の審美的な価値の保全である。森林を木材生産に特化した「木の畑」と伐採を行なわない「保護区」に二分する以外に方法はないのか?
この答えとして、フランクリンのグループは、伐採しながら生物を保全する保持林業を提案した(Franklin 1989)。保持林業は、攪乱跡地における生物遺産の役割に注目し、森林を伐採する際にすべての樹木を伐採(皆伐)せず、立ち枯れ木や生立木を伐採跡地に残す森林施業である(図1.1)。これにより、木材を収穫しながら生物多様性を一つの林分(樹木の組成や構造が類似した一続きの区域で、森林管理の単位となる)内で保全する。彼らは保持林業を、従来の手法とは哲学が新鮮で異なるという意味でNew Forestryと呼んだ。これには第7章でふれられているように、従来の概念や手法の単なる焼き直しであるという批判もあった。だがNew Forestryは、樹木を残す目的として、それ自身が種子の供給源となることだけではなく、複雑な生態系の維持に焦点をおくことを強調している。保持林業の考案の契機となったアメリカ合衆国西海岸北部にあるセントへレンズ火山の噴火や保持林業の勃興期の経緯については、第2章で詳しく記載されている。当時、保持林業に懐疑的な人々から、伐採地に残された樹木は「避雷針」と揶揄されたという(中村太士 私信)。
その後の保持林業のアメリカ合衆国での普及に関しては、第8章を参照してほしい。
保持林業の定義、目的、展開
保持林業とは、森林の構造や生物を伐採する際に残し、長期的に維持する森林施業と定義される(Gustafsson et al. 2012; Lindenmayer et al. 2012)。第7章で整理されているように、主伐(上層木を伐採し世代交代を促す伐採)時に樹木を残す森林施業は非皆伐施業と呼ばれ、さまざまな方法がある。ほかの非皆伐施業と比較して、保持林業の特徴は残す木の選び方にある。典型的な保持林業では、生物多様性の保全のために重要な生立木や立ち枯れ木を優先的に残し、それ以外の樹木を伐採する。木材生産に主眼をおいた従来の非皆伐施業では、木材としての価値が高い樹木を伐採し、価値の低い樹木を残す。あるいは、将来の木材生産のために、経済的に価値が高い樹木(優良木)の一部を残しながら、その他の樹木を伐採する。
先述したように、保持林業はアメリカ合衆国西部で提案されたが、それより前から、あるいは同時発生的に、世界各地で類似の施業法が考案され、実施されてきた。その背景の一つに、皆伐への社会的な批判がある。例えばスウェーデンは、すべての伐採地で保持林業が用いられている数少ない国である。スウェーデンでの保持林業の普及の背景には、1970年代の皆伐への社会的な批判、それに続く環境に配慮しない木材商品のボイコット運動がある(Simonsson et al. 2015)(第8章参照)。皆伐への批判は日本国内でも行なわれており、国内では複層林施業(スギ・ヒノキ人工林を抜き伐りし、明るくなった林床にスギ・ヒノキを植栽し、スギ・ヒノキの二段林を造成するのが代表的)が皆伐に代わる方法として注目されてきた。皆伐への批判に対する新たな施業法の模索に関しては第6章、特に日本国内に関しては第7章を参照していただきたい。
保持林業には三つの目的がある(Franklin et al. 1997)。一つ目は生物や生態系機能の救済である。伐採跡地に樹木を残して生物に生息地を提供して、温度や湿度などの環境条件を改善し、そして自ら光合成ができない消費者や分解者にエネルギー源を提供する(図1.2)。二つ目は次の主伐までの間、森林の構造を複雑にすることである(図1.3)。これは、例えば大きな樹洞を有した大径木など、形成に時間がかかる森林の要素を維持するために特に重要である。三つ目は伐採されずに残された森林の間の連結性の向上である(図1.4)。森林性の生物にとって、伐採がさかんな地域の非伐採地は、伐採地という海に浮かぶ島のように映っているだろうが、樹木を伐採地に保持することにより、この海を浅くして移動を容易にする。
保持林業は現在世界的に注目され、1億5000万ヘクタールに上る亜寒帯と温帯の森林で実施されている(Gustafssonet al. 2012)。この世界的な普及には、FSC(Forest Stewardship Council:森林管理協議会)などの森林認証制度(詳しくは第8章を参照)が大きな役割を果たしている。先述したスウェーデンでは、1993年に改訂された森林法で、環境と生産は等しく重要で、森林は生物多様性を維持しながら持続可能な財の収穫をもたらすように管理すべき国家資源であると明記されている(第4・8章参照)。伐採地に樹木を残していないと認証材として認定されない。1997年に制定されたFSCの認証基準では、背の高い切り株の作成(第4章図4・3)、1ヘクタール当たり少なくとも10本の大径木・老齢木と、すべての枯死木の維持が盛りこまれた(Simonsson et al. 2015)。なお、スウェーデンでは日本同様、こうした施業地の多くは植栽によって更新される人工林だという(レナ・グスタフソン 私信)。スウェーデンで保持林業を支える社会的な仕組みについては、第8章で詳しく紹介されている。
またアメリカ合衆国のFSCでは、認証基準(指標6.3.f)に伐採地での大径木や腐朽木、立ち枯れ木の維持が含まれている。地域によっては、一定面積以上で人工林施業を行なう際には、伐採地に生立木などを残すことも求められている(指標6.3.g.1)。カナダでも保持林業の普及が進みつつあるが、こちらについては第3章で現場の様子を含めて詳しく紹介されている。
(後略)
本書は2016年3月の日本生態学会企画集会「環境保全型林業:保残伐施業の日本における展開に向けて」の開催がきっかけとなっている。企画集会には、本書の執筆者に講演者あるいはコメンテーターとして参加していただいた。保持林業をはじめとした生物多様性の保全に関して多角的な視点で発表・議論できたことから、編者の一人の栗山が書籍化を提案し、執筆者の同意を得て書籍としてまとめることができた。企画集会の開催に協力してくださった学会・大会関係者、そして企画集会に参加してくださった方々に深くお礼申し上げたい。
本書を終えるにあたって、retention forestryを「保持林業」と訳した経緯についてふれておきたい。じつは編者の一人、山浦は長年、retention harvestingを保残伐と呼び続けてきた(山浦 2007)。これが原因となってか、第5章で紹介した北海道の実験も「保残伐施業」と名づけられ、現在にいたっている。本書を執筆するにあたり、執筆者全員でretention forestryの訳語について再度話し合った。この話し合いのなかで、造林学の分野では、非常に似通った言葉として「保残木作業(千葉 1981)」がすでに定着していることがわかった。第7章で述べられているように、保残木作業は天然更新を意図して主伐の際に母樹を残す手法であり、母樹はその後伐採・収穫されることが念頭におかれている(ちなみにアカマツ林では1ヘクタール当たり30本以上残すと、天然更新した後継樹の成長を阻害するという)(千葉 1981)。
Retention forestryでは、生物多様性や生態系の保全・回復に主眼をおいて残す木を選択し、残された樹木はその後伐採されず、林分の構造や組成の複雑化に貢献することが期待される。したがって、保残木作業とretention forestryは木を残す発想や目的、方法が大きく異なる。そのため、retention forestryに保残伐や保残伐施業という訳語をあてて本書を出版すると、retention forestryと保残木作業との混同を招いてしまい、今後のretention forestryの検証や普及の障害になってしまうのではないか、と考えられた。そこで、保残伐や保残伐施業に代わるretention forestryの訳語として残ったのが「保持林業」である。ほかにも「保存」や「保全」「保留」といった単語も検討されたが、保残以上に誤解を招きかねない面もあり、スタンダードな「保持」という訳語をあてることになった。
読者の皆さんは本書を手に取って、どういった感想をもたれただろうか。つい20年前まで、林業や林学分野では、生物多様性という単語や概念はほとんど扱われていなかった。しかし現在では、植えた木以外の樹木や動物を研究する教員も多くの大学で増え、時代は変わった。木材消費大国かつ森林大国の日本で森林は今後どのように管理され、人間とかかわってくるのだろうか。編者の一人、柿澤がアメリカの生態系配慮型森林管理(エコシステムマネジメント)(柿澤 2000)を日本に紹介してから20年が経過しようとしている。また、保持林業先進国・スウェーデンの環境配慮型森林施業の翻訳書(The National Board of Forestry Sweden 1997)が出版されてからは20年が経過した。日本では森林の生物多様性にかかわる研究は進んできているものの、実践へと落としこむ試みはまだ限定されている。日本で生物多様性を組みこんだ林業のモデルを構築し、普及していくにあたって、本書がそのきっかけとしての役割を果たせればと希望する。
【引用文献】
千葉宗男(1981)天然更新 堤 利夫・川名 明編 新版 造林学 朝倉書店 130-155
柿澤宏昭(2000)エコシステムマネジメント 築地書館
The National Board of Forestry Sweden(1997)豊かな森へ――自然保護とエコロジーの1990年代の最先端技術 日本語版
(神崎康一+沼田邦彦+芝 正己+鈴木保志ほか訳)こぶとち出版会
山浦悠一(2007)広葉樹林の分断化が鳥類に及ぼす影響の緩和 人工林マトリックス管理の提案 日本森林学会誌 89: 416-430