| 横須賀和江[著] 1,800円+税 四六判並製 224頁 2019年3月刊行 ISBN978-4-8067-1568-9 東京の歌舞伎座、寺社仏閣から住宅まで、 日本の伝統的な木組の建築文化を支えた気仙大工。 その技を受け継いだひとりの棟梁と彼をとりまく人びとの家づくりと、 家に表われる、森の恵み、木のいのち、家づくりの思想。 あなたにもできる、年を経るごとに味わいが増す国産無垢材での家づくりをリポート。 ●河北新報5/19(日)河北春秋で紹介されました。 |
横須賀和江(よこすか・かずえ)
岡山県岡山市生まれ。遠浅の穏やかな瀬戸内海の風光と温暖な気候を享受して育つ。
東京で学生生活を送り就職、結婚後、宮城県仙台市に移住。在住五十年に及ぶ。
仙台では子育ての傍ら、自宅にかたくり文庫と名付けた家庭文庫を開き、地域の子どもたちに開放。
同時に「宮城の水辺を考える会」「水環境ネット東北」「環境保全米ネットワーク」などの
市民活動に機関誌担当として参加してきた。
東日本大震災後、隣に住む長女が自宅と職場であるこども園の建築を気仙大工棟梁にお願いしたことをきっかけに、
前々から関心のあった気仙大工と、彼を取り巻く、日本の木の魅力を輝かせる家づくりに関わる人びとを身近に知ることとなり、
本書が誕生した。本書が初めての著書である。
はじめに
唐桑(からくわ)御殿
こども園の園舎
棟梁に家を建ててもらった園長
ミズバショウの自生地と宅地開発
ブナの森と針葉樹の人工林
《コラム》『樹と暮らす│家具と森林生態』
序章 気仙大工・棟梁に会う
牡蠣の養殖と森づくり
棟梁の会社を訪ねる
《コラム》地元紙のキャンペーンについて
1 歌舞伎座も建てた気仙大工
気仙大工のはじまり
今に残る気仙大工の建物
《コラム》各地に根付いた大工集団がいた
《コラム》登米高等尋常小学校を建てた棟梁の遺族の物語
2 知るひとぞ知る棟梁
津波被害に立ち向かう
棟梁の修業時代
自分の工務店を立ち上げる
木材を殺してしまう現在の乾燥技術
「木の文化」と「森の文化」
自然の木を建物の木にするには
高温乾燥と低温乾燥
木の持つ二つのいのち――上棟式の意味
木の節、趣向の移り変わり
手刻みとプレカット
工業高校の生徒たち
スライディング・ウォール
木挽(こびき)さん
屋根葺きさんと北上川の葦(ヨシ)
気仙大工の故郷を訪ねる
棟梁の古民家再生
《コラム》ミズメザクラ
《コラム》カマ神さま
《コラム》北上川の葦原
3 棟梁の技を生かす建築士
建築士とこども園
由利さんは建築士として変わり者なのか
「日本昔ばなし」の世界でこども園をつくる
建築士の図面よりいいものが出来る棟梁の仕事
園児がつくる
ちいさなちいさなおうち
由利流の家づくり
由利組の職人たち
由利組の庭師・建具師――後継者のいる職人に頼むわけ
こども園「やかまし村」を育てる由利さん、園児といっしょに庭づくりをする庭師
子どもを森の中へ
《コラム》「やかまし村」の設計にあたって
《コラム》「やかまし村」建設にあたって建築士にお願いしたこと
4 森の木が家になるまでの長い旅
棟梁の右腕
化学物質フリーの安全な木材を供給したい
柔らかいスギ材をあえて床板に使う
森林・林業白書を読む
ハウスメーカーとビルダー
保育者に知ってもらいたい木のこと、森のこと
「日本史上、最も森が充実している」の意味
エネルギーから建材まで、すべてを森でまかなってきた日本列島の人々
日本に木を植え続けてきた人々
海岸林
林業を家業にしてきた人たち
職人がつくる木の家ネット
板倉構法による仮設木造住宅
月山を望む家を見学
染色家・芹沢_介の家
これからの森とこれからの日本の建築
《コラム》植林のDNAなのだろうか
《コラム》FSC認証とは
《コラム》徒弟制度
《コラム》居久根(いぐね)って知っていますか?
おわりに
主な引用及び参考文献一覧
仙台に家族で住むようになってあっという間の半世紀だったようにも思う。この間に2011・3・11があった。望んで東北を選んできたのだったが、いつの間にか東北の視点で見聞きし考えている自分に気づくようになった。仙台に来て間もなく夏の唐桑半島で、思いがけず唐桑御殿に出会って、気仙大工のことを知った。心に残る出会いではあったが、心の片隅にかすかに残っていたとしても毎日の暮らしの中に溶け込んで次第に遠い記憶になっていた。
その遠い記憶がおよそ50年のときを経て現実味を帯びて目の前に現れたのである。少なからず昂奮した。プロローグのところで書いたように、こちら側にも会いたいと思う条件がかなりそろっていたということもあった。
長女の家づくりを通して佐藤棟梁、由利建築士、白鳥営業部長と親しくお話しできる機会に恵まれた。佐藤棟梁と由利建築士についてはなんとかまとめることができたが、白鳥さんは難しかった。
ハウスメーカーが2000万円の建築費で建てた家の木材の総額は100万円程度だといわれている。大勢の社員と巨額の宣伝費をつぎ込むので、建築資材費は少しでも安く上げなければいけない。だから製材業者からは材木を買いたたいて仕入れているのだという。コマーシャルの多さは感じているが、本当にそんな額なのだろうか、私には信じられない数字に思われて、業界に詳しい人に聞いてみたら、大体当たっていますね、と即答された。
翻って考えれば、白鳥さんは〈興建ハウジング〉の営業と広告宣伝を我が身一つに背負って忙しく動き回っているようで、自分のことはいつも後回しになってしまうようだった。白鳥さんはこう考えているのではないか、と思いながら書いた部分が多くなってしまった。許していただきたい。
佐藤棟梁には故郷の陸前高田での東日本大地震という未曽有の地震と津波による想像を絶する体験からやっと立ち直ろうとしているときにお会いしたことになる。それまでの棟梁を知らないので、間違っているかもしれないが、ある決意を持って仕事に臨もうとしていらしたように思う。職人魂、もっといえば職人の矜持といえるものなのかもしれない、ある種の気迫を感じる瞬間が何度かあった。「やかまし村」と同じ時期、寺院を建ててほしいという注文があったが、棟梁は敢えて「やかまし村」を選んでくれたことを後で耳にした。大震災を経験してなによりも子どもたちが安心して過ごせる場をつくってやりたいという思いに突き動かされて、利害を超えた判断をされたのではないか。落札価格が想定を超えて低かった、と聞き、相当に無理をすることを承知で、引き受けてくれたようにも思えた。
棟梁がふと口にする言葉をそのまま理解するにはこちらの知識があまりに乏しかったので、関連のある本を手あたり次第目を通して、やっと追いつける有り様だったが、棟梁への畏敬の念ただならぬ由利さん、白鳥さんの二人に初歩的な疑問も含めて、諸々の疑問をぶつけて応えてもらうことで、棟梁のような伝統的な大工の世界が少しずつ見えるようになっていったのだと思う。
〈興建ハウジング〉と初めて一緒に仕事をしたSKホームの担当者Sさんの「日本昔ばなし」の世界ですね、と佐藤棟梁や由利建築士の仕事ぶりを評した言葉が今も繰り返し蘇える。
ついこの間までの日本人は祖父母のもとで昔ばなしを聞きながら眠りについた。わらべ歌で遊びながら子ども時代を送った。昔ばなしやわらべ歌を耳になじませることで、想像力を養い、言葉を覚えていった。日本経済が高度成長をとげる中で、いつの間にか、昔ばなしは語られる場を失い、社会の片隅に追いやられることになった。今では昔ばなしは幼児教育や児童館、文庫という場で、昔ばなしの持つ魅力、教育力を知っている語り手によって伝えられるものになった。
みどりの森幼稚園では昔ばなしやわらべ歌を楽しんできた幼児が家に帰り祖母に聞かせたら、祖母が一緒に歌いだし、認知症が治ってしまった、というエピソードがある。同様の出来事はほかの場所でも生まれているという。昔ばなしの今を象徴するような話である。
テレビで長寿番組になった「まんが日本昔ばなし」をSさんも楽しんでいたのかもしれない。今まで携わってきたハウスメーカーとは全く違う価値観で仕事をする集団に突然入ってきたSさんには、同じ建築業界に働きながら、今までの職場とのあまりの違いに驚くこと、迷うことの多い現場だったろう、と推測するばかりだ。
Sさんが大工を下請けのように見る建築士のもとで長い間働いてきたのだとしたら、家づくりに欠かせない職人さんたちを同じ仕事仲間として対等に接する建築士の由利さんや職人としての誇りを持って仕事する棟梁を知った驚きは想像以上に大きかったのかもしれない。
半年余りを〈興建ハウジング〉と共に働いてきて、ふっとSさんの口から飛び出したのが、「日本昔ばなし」の世界だという言葉だったのではないか、と気づいた。
語り継がれてきた昔ばなしの世界、伝統大工の木のいのちとともに生きる世界、どちらも現在の私たち日本人を見えないところで支えてくれている木の根っこのような存在、それなくしては今の私たちの暮らしが根無し草のような頼りないものになってしまうように思えてならない。自然の中で暮らしてきた私たちの祖先が残してくれた貴い贈り物を守り育てて次世代に送り届ける手立てが欲しい、と思うもののどうしていいか分からず、日暮れて道遠しの思いに沈むばかりだったところに思いがけず「職人がつくる木の家ネット」のことを教えられた。伝統構法を守り伝えようとしている人たちがつくったネットワークだった。佐藤棟梁や白鳥さん、由利建築士のように出来得るならば、天然乾燥の無垢の木材を使い、プレカットではなく手刻みの木材を使って家を建てたいと志向する建築士や大工が参加する、そういうネットワークがあるのなら、直に会ってお話を聞きたい! と思いを募らせていると、なんということか、会うチャンスが思いがけずにやってきた。
その顛末は4章に書いた通りである。
先に紹介した「伝統を未来につなげる会」パンフに伝統構法を守り、継承しようとしても、「それを実践する職人は、近代化の波の中で激減、いまや『絶滅危惧種』です。私たちの世代でこの匠の技や職人文化を絶やしてはならないと考え職人宣言キャンペーンを立ち上げた」との一文を発見した。
確かに絶滅危惧種かもしれない。でも総会に集まった生身の人間である絶滅危惧種、一人ひとりに接すると不思議なことに勇気が湧いてきた。女性建築士も少なくとも10名以上は参加されていて同宿させていただいた。それぞれの方の物語をもっとじっくり聞きたかったという思いを募らせている。
築地書館の土井二郎社長に勧められて、書き始めたのだったが、気仙大工棟梁に始まって思いがけず日本の森を支えてきた人たちの世界に足を踏み入れることができた。これからもハウスメーカーのつくる現代的住宅が大勢を占めるだろうことは予想される中で、伝統的構法を守る大工を育て、その技が光る住宅をつくっていくことの大切さと同時に困難さがいっそう深く分かるようになってきた。反対に困難だからこそ、それをいとわずに取り組もうとしている人々が多くはないとしても生まれつつあるのも見えてきた。
もし、木の家を建てたいと思った場合は、大々的な宣伝でアピールする住宅展示場だけでなく、看板は目立たないかもしれないが、工務店を名乗る大工さんのもとを訪れて、どんな家を建てているのか、聞いたり、見学させてもらったりしてほしいと思う。そうすれば、今まで気づかなかったところで人知れず昔からの伝統を引き継ぎながら、木を生かし、山を守るという仕事を気負うことなく当たり前のことのようにしている人たちの世界、彼らの仕事の流儀、現代では失われつつある職人気質のカッコよさ、に目を瞠(みは)ることになることは確かである。(後略)
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県と岩手県にまたがる気仙地方。この地で、日本の林業から、製材、家づくりまでを一貫して視野に入れて仕事をする一人の大工棟梁と、彼を取り巻く建築士や様々な職人たちを描いたリポートです。
10年、20年と時を経るにつれて、輝きを増す本格木造建築。ていねいな乾燥を経た、無垢の木を贅沢に使い、大工の手わざで組み上げていく伝統建築の棟梁の技と心意気を取材する本書を読むと、読者はそうした夢の家造りが、30年で資産価値がなくなる大手ハウスメーカーの新築住宅とそう変わらない予算でできる可能性に気付くことでしょう。
全国には本書で描かれたような高い技能を持った伝統建築の大工棟梁が点在しています。本書は、棟梁と施主をつなぐ重要な役割を担う建築士のあり方にも焦点を当てることで、それぞれの地方の風土にあった1000年住宅づくりの実現可能性を探ります。