支倉清(はせくら・きよし)
宮城県石巻市(旧河南町前谷地)の支倉家に生まれる。元東京都公立小学校長。
宮城県前谷地の支倉家と、伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節の大使・支倉常長とどのようにつながるのか、長年研究を続けている。
本書で取り上げた仙台藩入会地紛争も、キリシタン禁制をおかし、一族の関係者が処刑される中、処刑を免れるため仙台から前谷地に逃亡した常長の次男・支倉権四郎常道(戒名「道伯禅定門」)の二十三回忌法要が行われた時期にあたり、当時の村の様子を知る目的で、本史料の研究に取り組んだ。

支倉紀代美(はせくら・きよみ)
宮城県東松島市に生まれ、石巻市前谷地で小学校・中学校・高等学校時代を過ごす。元神奈川県公立小学校教諭。
幼少期より、実父・本田雅童より習字の手習いを受ける。その後、日本書学館の初山祥雲に師事し、本格的に「書」を学ぶ。仙台藩入会地紛争に関する古文書も、「書」の知識を活かして、解読文を作成し、読解に取り組む。

もくじ
はじめに
主な登場人物

序章　新田開発と北村・広渕村
１　北村、広渕村の概況
２　新田開発による石高の急増
３　人口の増加

第１章　北村・広渕町紛争
１　訴状の表題と奥書
２　新屋敷誕生
【コラム】馬除け？　魔除け？
３　いぐね刈られる
４　大肝入と御代官様の御下知か？
【コラム】馬で乗り入れたわけは？
５　善右衛門 山人二人に縄を懸ける
６　夜中に山人を広渕町に連れて行く
【コラム】不定時法
７　北村と広渕町が衝突する
８　北村 清次郎、善右衛門 半死半生にされる
【コラム】殺されたの？
９　北村組頭 甚之丞、脇差をうばわれる
10　大肝入と広渕肝入より「善右衛門を見届けたい」と手紙が来る
11　広渕の者ども 山人を奪い返しに 善右衛門留守宅に押し込む

第２章　代官と大肝入への反論
１　大肝入作右衛門 手負いの清次郎を見届ける
２　代官による取り調べ
３　善右衛門の取り調べと北村の反論
４　善右衛門と両肝入の仕置
【コラム】江戸の刑罰、預
５　仕置の執行停止
６　御代官様への反論・その一（肝入の承諾を得ずに縄懸けした件など）
７　御代官様への反論・その二（入会地に「いぐね」を立てた件など）
８　仕置の不公平さ　110

第３章　北村百姓 主張を貫く
１　郡司（郡奉行）による取り調べ
２　手負い清次郎 打ち身再発して果てる
３　八郎左衛門子ども 助七に肝入役を命じてほしい旨の願書
４　助七肝入役の願書 返される
５　北村百姓 主張を貫く

第4章　事件の背景と歴史的意義
１　燃料不足を推計する
２　大肝入の苦悩と代官の立場
３　北村・広渕村紛争から見えてくるもの

付録　古文書・関係年表
あとがき

　本書では、仙台藩桃生郡北村と隣村広渕村（現在の石巻市北村と石巻市広渕）との入会地をめぐる紛争を紹介する。入会地をめぐる紛争といっても、入会権についての紛争ではない。燃料の薪不足に悩む広渕村の百姓たちが、入会地内に誕生した北村新百姓のいぐね（屋敷林）を伐採したことに端を発した、北村と広渕村との紛争である。

　この紛争で、広渕村は新田開発にともなう人口増加で深刻化する燃料不足・薪不足を何としても解消したいと考えた。一方、北村は半農奴的隷属状態に押しこめられていた二男、三男を新田開発によって何としても表百姓（本百姓）として自立させたいと考えた。ところが、新田開発によって表百姓として自立した北村の二男三男が屋敷を構え、いぐね（屋敷林）を廻した場所が、藩の許可を得たとはいえ、広渕村が燃料の薪を採取する入会地だったのである。そこで、燃料不足に苦しむ広渕村百姓たちがそのいぐねを伐採したというのが紛争の発端である。すなわち、この紛争は、新田開発にともなう人口の急増と社会構造の変化（小農自立、商品経済の発達、物流の増加など）を背景にして起きた、大開発時代を象徴するできごとであった。

　我が国では、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、全国的に大規模な新田開発が行われた。その結果、室町中期（一四五〇年頃）に九十六万四千町歩であった全国の耕作面積が、江戸時代中期（一七二〇年頃）には二百九十七万町歩と約三倍になったと言われている（大石慎三郎『江戸時代』中公新書）。

　仙台藩でも、この時期、藩主伊達政宗が土木技術者の川村重吉（通称・川村孫兵衛）を家臣に召し抱え、北上川の大改修事業を行った。三陸海岸に流れ出ていた北上川を真っ直ぐに南下させ、それに迫川と江合川を合流させて北上川の水量を安定させ、仙台湾内の石巻港にそそぐようにした。この工事は寛永三年（一六二六）に完成した。この河川改修工事によって北上川両岸の広大な地域の物資が石巻に集中するようになり、石巻が仙台に次ぐ藩内第二の町として発展した。また、河川改修にあわせて、北上川、迫川、江合川の三河川ぞいの広大な湿地帯で大規模な新田開発が行われた。その結果、野谷地の多い桃生郡では、この時期に一万九千石から四万九千石へと、二倍以上に石高が急増した。

　本書で紹介する北村、広渕村は桃生郡の中心地であり、石巻の西方約五キロメートルに位置する。この時期、北村では六百七十六石から約千三百石に、広渕村では八百二十九石から約三千石に石高が急増した。それにともない、百姓の人口（武士は除外して）は両村とも二倍から三倍に増加したと推定される。

　紛争は、元禄九年（一六九六）七月、広渕村の町場（広渕町）に住む百姓たちが北村の新百姓のいぐねを伐採したことをきっかけに起きた。その年は広渕村肝入が「申し訳なかった。今後はいぐねを刈らないように村人たちに申し付ける」と返事をして、事態が収まる。ところが、翌年に事件が再発する。そして、ついに元禄十年（一六九七）六月二十三日の夜九時過ぎ、両村の百姓それぞれ三十人ほどずつ、合計六十人ほどが衝突する大事件へと発展する。ちなみに陰暦の二十三日は夜半を過ぎないと月が出ない。互いに顔も判別できない真っ暗闇の中で、両村の百姓たちが衝突したのである。

　桃生郡深谷二九か村を束ねる大肝入と広渕代官所の代官は、事件当日の深夜から紛争解決に向けて動き出し、最終的に北村側を一方的に「不届（違法）」とする落居（判決）を言い渡す。しかし、北村側はこの判決を不服として、命がけで仙台の郡奉行に越訴（大肝入と代官をとばして直接訴状を提出）する。事件は近郷の村々をも巻き込んで、さらに進展する。

「いぐね伐採事件」は、街道筋に形成された町場の深刻な薪不足を背景にして起きた。電気はもちろん石油もガスも石炭もない時代にあって、薪不足は生活上深刻な問題であった。本書では、二つの村の言い分に耳を傾けながら、事件の経過をていねいに追っていくことにする。同時に、この事件を通して、この時期全国的に起きた新田開発にともなう人口急増と燃料不足、薪不足の問題を考えてみたい。

　また、大肝入や代官、郡奉行が両村衝突事件を解決しようとする過程から、武家政権の村支配のあり方が見えてくる。代官の判決を不服とする北村の越訴を、仙台藩はどのように扱うのか。これは、藩にとって村支配の根本にかかわる大問題である。事件の経過を通じてその実態を詳しく見ていきたい。

　訴状で北村は、代官が下した判決の不当性を鋭く指摘する。その論拠として、両村衝突の経緯を微に入り細に渡り描き出す。とりわけ大肝入と広渕村肝入の行動を丹念に記述する。古文書を声に出してゆっくり読んでいると、事件の場面場面が眼前に浮かんでくるような気さえする。訴状は物語として読んでも実に面白い。

　この紛争の史料として、北村が郡奉行に提出した訴状写しと、訴状提出後の郡奉行による取り調べや紛争解決の経過を記した文書綴りとが残されている。二つの文書とも北村側が作成したものであり、残念ながら広渕村作成の文書は発見されていない。したがって、広渕村側の主張については、『片言訟を断ぜず（片方の言い分だけで訴訟を判断してはいけない）』という法格言を肝に銘じて、状況証拠から想像で補っていく。

　最後に、僭越ながら、本書の読み方について一言申し述べる。

　本書の元になった北村の訴状とその後の経過を記した古記録の写真を、本書の末尾に載せている。古文書の心得のある方は、「原文書き下し」を参考にしながら、是非訴状そのものをお読みいただきたい。私の拙い現代語訳では感じ取ることのできない、書き手の迫力が直に伝わることと思う。

　一般の読者の方は、「原文書き下し」をとばして、「訴状現代語訳」から読んでいただいて構わない。その方が、事件を一つの物語として楽しむには適している。