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9つの森の教え

【書評再録】


●北海道新聞評(1996年3月10日)=マレーシア・サラワク州を5年間にわたり取材、先住民の暮らしを本にまとめた。森林伐採反対という視点だけでなく、困難な状況でも、人々が人間らしく幸せに生きる姿を語りかけている。
峠さんは、幸せに一生を送っている先住民族の生活を知り、「平凡であっても幸せな毎日の中でだったら、いつ死んでもいい」と、これまで持っていた価値観を変えたことを告白。森林伐採の反対闘争で仲間が逮捕されても、家族を守りながら団結する先住民族の姿に、「人間として本当の生き方を知っている」と尊敬する思いを載せている。峠さんは「森の人々の幸福な暮らしを知ってほしい」と話している。

●週刊現代評(1995年2月11日号)=足掛け5年にわたって、ボルネオ島の熱帯雨林で暮らした著者が、村人から学んだ“生きることの意味”を綴ったエッセイ集である。
子どもの育て方、家庭のあり方、人間同士の付き合い方など、「人間らしい生き方」が語られる。“いじめ”が横行する殺伐とした日本とは大違いで、自然の中で暮らす人びとが羨ましくなる一冊。

●山と渓谷評=まさにこれは「青い鳥」であり、現代の「桃源記」である。忙しい日々の暮らしの中で、生きる意味、働く意味を見失ってしまったとき、やさしさをなくしたとき、本書から学ぶことがあるかもしれない。

●教育新聞評(1995年9月25日)=壮大な自然と相対し、考えたこと、体験したことが凝縮されている。
紀行文でもあり、エッセイでもあり、人生論でもありと、そんな自由さも本書の中の世界を表しているようだが、もちろん楽しかった話ばかりではない。
「幸せになりたい。その『幸せ』とは?」--世界中、理想とするものはきっと皆そう大きな違いはないはず。近くにありすぎて見えないものや、気づかなかった大切なものにきっと近づける、そんな1冊である。

●出版ニュース評(1995年3月中旬号)=この本で紹介されているのは赤道直下ボルネオ島サラワク州の熱帯雨林に暮らす先住民族カヤン人たちの教えである。日本では考えられないことばかりだが、彼らは教えに従い、障害をもった者もごく当たり前に地域で暮らし、老人は安心して死んでいき、子どもたちは確かな自分をもった人間に育っている。著者は、足掛け5年にわたってここに通いつめた青年で、サハラ砂漠などを走破した経験をもつ冒険家。

●自然食通信評(1995年3月号)=日々の暮らしの中で自らが光であることを実感することは、なかなか難しいものだ。私の日々の暮らしなんぞは、仕事浸けである。まともに飯を食うヒマもない。光っているのは額の汗ならぬ冷や汗だけだ。そんな生活に猛省をうながすいい本。
冒険の反動で平凡を讃美しているたぐいの本ではない。日々、なによりも自らが光であることを体現している人々を描いているのだ。
伐採で森が失われ、生活が脅かされる中でも「この仲間がいるだけで十分に幸せだ」と言い切れる生活をしている森の民から著者が学んだものを、ほんの少し分けてもらおう。

●Womanなんでも情報評(Vol.17)=“大切なのは、自分自身がどうあるかということ”
ボルネオ島の熱帯雨林、サラワクという森に約5年間生活した主人公。
そこで目の当たりにした森の生活の穏やかさ、さりげなさ、自然さを通して、現代の日本の家庭、社会との大きな違いをわかりやすく表現している。サラワクの森の人々は、どんな相手に対しても自分の中にあるやさしさ、穏やかさ、尊敬、勇気を素直に表現する。その場面から相手がどんな人間であれ、自分は変わらず「自分」でいることの大切さを学ぶことができる。
その中でも特に読んでほしいのは、子供に対する大人の関わり方。
愛しながらも、まるで一緒に遊んでいるような雰囲気を持つ叱り方や、決してカッとした表情を見せないことなど、今の母親にはないめずらしい姿がたくさん書かれている。
子供を愛することは決して密着するのではなく、大人になっていく子供をそのまま認めることなども、心に残る内容の一つ。
本当の意味での「人を愛する」ことはどんなことか?
そんな誰もが持つ疑問に、「ポン」とヒントをくれるようなうれしい一冊です。

●聖教新聞評(1995年1月11日)=ボルネオの森の住民と一緒に暮らすなかで学んだ幸せな生活の秘密、それを今の日本が失ってしまったものと対比しながら記す。森の仲間との心豊かな生活を守るため、当局の森林伐採政策と戦う住民の姿も感動的である。
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