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明六社の人びと

【書評再録】


●朝日新聞評(1991年5月26日)=新鮮な明治の知識人像。
著者は従来の研究を引き継ぎ、そのスタートから、彼らの考え方、民撰議院論争、政府の言論取り締まりに対応する「明六雑誌」の停刊、定例会での演説の中止と親睦会明六会への転換、そして会の構成メンバーによる明治12年東京学士会院の設立経緯に至るまで、資料を博捜し、その足跡を克明に追っている。構成メンバーの確定や雑誌の販売ルートに至るまでの調査は本書の第一の価値である。

●毎日新聞評(1991年6月10日)=明六社は、1873年に結成された、わが国最初の学術・思想団体。著者はこれを、アメリカのソサエテー(社会)であるよりも、日本的な「仲間」に近いものであった、と推測しつつ、その「集団の社会史」を試みようとしている。

●日本経済新聞評(1991年5月26日)=明六社は明治七年、森有礼が中心になって結成され、福沢諭吉、西周、箕作秋坪ら当時の洋学者が参加した知識人結社。本書はこの集団の一年あまりの活動の軌跡を追いつつ、日本近代化の過程で、個と集団の関係という問題が、この先進的な集団でどのようにとらえられていたかを探っている。福沢や森は独立した「個」を基盤にした集団という課題を提示したが、その課題はいまだ未解決という。

●京都新聞評(1991年5月6日)=明六社という近代社会建設のための稀有な試みと模索の過程を、森有礼と福沢諭吉という相対立する個性を中心に詳細に描き、その全業績を歴史の中に明確に位置付けた労作である。

●信濃毎日新聞評(1991年7月28日)=「明六社」という洋学派エリートの「社中」が、どのような背景を持ち、どのように形成され、どのような矛盾を抱えこみ、どのように解消を遂げたかを克明に追っている。この本を読み進めるにしたがって、われわれは改めて、近代日本の言論において「公」と「私」が、対立的に形成されるに至ったかを具体的に辿ることができる。

●歴史読本評(1991年7月号)=明六社の結成から集散に至る過程をたどり、「下からの近代化」の提示した諸問題をさぐる。ここで明らかにされるのは、明六社の主要メンバー、森有礼と福沢諭吉との間の〈官〉と〈民〉、〈個〉と〈集団〉の関係をめぐる意識の断層が、今日もなお、現代的課題として残されている、という事実である。

●歴史と旅評(1991年7月号)=明六社に所属した森有礼・福沢諭吉・西周・加藤弘之など、個人として華々しい活動をした人びとは多いが、本書が試みようとしたのは、著者自ら言うように、集団としての伝記であり、今様にいえば、集団の社会史であった。
機関誌ともいうべき「明六雑誌」の諸論説が個々に論じられることは多かったが、本書では個と集団の緊張関係を重視し、集団としての明六社の全体像を把握することから、近代日本の原初形態を探ろうとする。

●史学雑誌評(1991年11月20日)=本書は、福沢研究を深める中で、明六社へ焦点を当てての成果であり、同社の軌跡を辿りつつ、森と福沢の個性を逆照射しようというのが意図である。
各方面の吟味は、同社についての理解を深めてくれるが、とくに諸新聞の投書などによる読者層の考察は、新たな試みである。

●出版ニュース評(1991年6月中旬号)=西洋文化をとりいれる窓口としての明六雑誌に登場した人びとについて、集団としての流れと個的な在り方とのジレンマを見る。

●読書人評(1991年5月20日)=高度に専門細分化された〈技術知〉と個別特殊な〈経験知〉が尊重される現在、内省の限りを尽くした〈個〉の自覚を基層においた明六社の軌跡は、そのまま21世紀を前にした私たちの〈近代〉の課題でもある。

●月刊This is 読売評(1991年9月号)=明六社の結成経過、活動、明六社に加わった知識人と彼らの思想、明六社は明治8年9月機関誌「明六雑誌」の刊行停止を決めてから以後変質衰退し、明治12年1月の東京学士会院の創設とともに自然消滅するが、その事情、そして機関誌「明六雑誌」の経営状態や読者層、など詳細な分析を通じて、明六社の全体像を初めて明らかにした本である。
分析の手法は手堅く、関連する史資料に広く目配りしながら、実証的に進められている。明六社とその活動、それを支えた人たちが、維新後間もない明治初期の政治的、社会的文脈の中で、興味深く画き出されている。
近代日本における最初の知識人集団たる明六社の全景を、鮮やかな照明のもとに浮かび上がらせた労作として、本書を評価したい。

●福沢手帳評(No.69)=本書は、明治維新後の日本の近代化過程において、啓蒙的思想団体として大きな役割を果たした明六社の研究である。明六社という名前が明治六年創設を物語るように、明治思想史に鮮やかな光芒を描くこの団体は、これに参加した知識人のひとりびとりが、幕末・維新の動乱をくぐり抜け、生き延びた人びとであったが、同時に著者も指摘するように、「おもに儒教、儒学を素養としてもった儒者・儒官であり、いわば官製の知識人であった。そうした素地のうえに、さらに洋学に学んで外国に目を配ることによって、新しい時代の先覚者として西洋流の学者=知識人」として活動したのであった。
著者戸沢氏が、本書において意図したことは、「さまざまに個性豊かな〈個〉の集合は、ひとつの集合体を超える〈集団〉としてそれ自体自律的な個性をもつ。それゆえに、ここでこころみようとしているのは、いわば集団の〈伝記〉であり、今流にいえばひとつの「集団の社会史」であるということである。
本書は、第二次世界大戦後の明六社研究を総括するものともいうべき力作である。

●海外子女教育評(1991年11月号)=明六社の軌跡と、そこで中心的役割を果たした福沢諭吉の執筆活動をたどることにより、「個」と「集団」の問題とそこに生じた明六社に集まった人びとの葛藤を、記録として残っているものを通じて描き出している。
明六社の理念とそこでの活動は、その遺産と同時に提起した課題も大きく、今日の教育摩擦や国際化の状況を考えるうえで、また欧米での生活経験を持つ帰国子女を理解するうえでも、多くの示唆が含まれている。

●赤旗評(1991年5月13日)=森有礼、福沢諭吉など新しい知識を得た知識人が幕末・維新期に集まった明六社。そこでの実践に西洋近代のやり方考え方がどのように具体化されていたかを、機関誌ともいうべき「明六雑誌」によりつつ明らかにしています。
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