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明六社の人びと

【内容紹介】本書「はじめに」より


 幕末維新期において西洋流の学者=洋学者たちは、新しい進取の知識を取り入れることにおいて当時を代表する知識人であった。変革の時代において、リーダーたちは豊かな個性と指導力をもち、それは実践に移されることによって、時として英雄的行為となった。歴史の転換期にはそうした個性が時代をリードすることが多い。
 明六社の人びともまた幕末期の変革に際して、その個性を存分に発揮して進取の学問=洋楽を修め、また、なかには実際に欧米に留学してすでに海外での生活体験をつんだ者もあった。しかも、彼らは欧米にはその豊かな個性が結集する「ソサエチー(Society)」の存在することを知ったのである。
 この国においては占い師、村の古老や村長、僧侶や神官など、永年蓄積された〈経験知〉を日常的にいかす人びともまた知識人であった。彼らは経験知だけにとどまらず、つねに時空的に自らの〈日常〉を超えた思考形態をもちえる存在として、やはりすぐれた知識人であった。その後、有徳人、知徳人そして学者と呼称された人びとは、おもに儒教、儒学を素養としてもった儒者・儒官であり、いわば官製の知識人であった。そうした素地のうえに、さらに洋学に学んで外国に目を配ることによって、新しい時代の先覚者として西洋流の学者=知識人が登場してきたのである。幕末維新期、知的閉塞から開放された〈学者〉たちは、江戸中期からの蘭学の漸進的な展開を背景にしながら、その系譜上に、あらためて洋学のもつ科学的合理主義に学んだといえる。
 民俗学者・柳田国男は、〈都市〉を内外の境にたてて、そこがまた「外国文化の最も主要な入口」であることを説いている。「都下の名家」たちを主要な構成員とする〈集団〉としての明六社は、こうした時代の転換期に遭遇した個性豊かな洋学者の集まりであった。それはいまだ多分に日本的な個が結集して、進取の知識である「ソサエチー(Society)」の形成を試みたものである。
 さまざまに個性豊かな個の集合は、ひとつの集合体を超える集団としてそれ自体自律的な個性をもつ。それゆえに、ここで試みようとしているのは、いわば集団の伝記であり、今様にいえばひとつの「集団の社会史」である。
 この国では長い間いわゆるタテ社会の特徴として身分的な上下の結合原理が重んじられ、いわばヨコに連帯する集団の形成が難しかったように思われる。それゆえに、こうした集団を扱った研究事例をあまりみない。ここにいわば歴史的伝記的手法によって集団としての明六社の活動軌跡を辿ってみたい。また、そうすることによって、実は森有礼と福沢諭吉を中心にした維新期の豊かな個性を逆照射しようとするのが小論での試みである。
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