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ホームレスになった 大都会を漂う

【書評再録】


●朝日新聞「天声人語」(1994年2月21日)=なぜ人は路上生活を始めることになるのだろうか。「経済的貧困だけが理由ではない。決定的なことは、人間関係を失ったことである」と、都労政部課長補佐の金子雅臣さんが著書『ホームレスになった』の中で指摘している▼労働相談の窓口にきた大手企業の管理職や出稼ぎの人が路上生活を送るに至った軌跡を記した本だ。多くが、確たる意志なしに、職場や家庭で起きたささいなことがきっかけとなり路上生活には入り込む。身元の保証を失うと、抜け出せない悪循環に陥る。一方で、その生活に一種の安堵感を抱いている様子がつづられている▼路上生活者の増加は、もちろん不況が大きな原因だろう。だが背景に現代のもろい人間関係があるような気がする。

●朝日新聞評(1993年12月19日)=仕事で相談を受け付けた人たちの中には、ホームレスになったケースもある。そうした人たちとの付き合いを通して、普通の暮らしをしていた人びとがどのようにして路上生活者になっていくかを知り、淡々とつづる。彼らの日々の暮らしぶりも描く。

●読売新聞「顔」欄(1994年4月22日)=20年以上、都庁で労働相談にかかわってきた。大企業の管理職やまじめ一方だったタクシー運転手が、職場でのつまずきをきっかけにホームレスに変ぼうしたり、行方知れずになったケースを目の当たりにした。
失業を機に、家庭や人間関係が、いとも簡単に崩壊していく。そんな「だれでもなりうる」ホームレスの姿もあることを、伝えたかった。
「こちらの世界」を変えなければ、原因はなくならない、というのが持論。不況に加え、企業社会のストレスが加速するなか、東京、大阪だけでなく、地方都市でもホームレスの姿は目立ってきている。

●共同通信全国配信記事(1994年3月21日)=不況が長引くとともに、日本でもホームレスが増加しているといわれる。確かに東京の地下道や地下鉄の駅などを歩いていても、こうした人々を目にすることが多くなった。彼らはどのような生活をしているのか、なぜホームレスになったのか。
「ホームレスになった」は、こうした人々の実態を描いた力作である。著者は、じかにホームレスの人々と接し、助力を求められることも多い都庁職員。興味本意に流れることなく、その実像と彼らを追い詰める社会的背景を明らかにしていく。

●時事通信全国配信記事(1994年3月12日)=なぜ、ホームレスになったのか。本書では、東京都庁で労働相談に携わっている著者が出会ったさまざまなケースからその実情を明らかにしている。肩たたきにあった中高年の技術部長が家庭崩壊ののちにホームレスになった例、単身赴任の寂しさから破滅した例など、人間関係が失われた時、人は路上生活を始めるしかない。そして人間関係の希薄な現代は、あなたもその例外ではないという。
彼らを見る著者の目は常に優しい。行政の現場としての歯がゆさも伝わってくる。彼らは人生の落後者というよりは社会への警鐘だという指摘もうなずける。

●日本経済新聞評(1995年2月26日)=ビジネス社会にひそむ転落の道。
ホームレスの問題が今後、日本でも社会問題として浮上しそうな兆候が読み取れる。そんな見方に立ち、東京都の労政事務所の現場から、ホームレスの個別ケースの実像に迫った。

●北海道新聞・西日本新聞評(1994年3月6日)=都庁で労働相談に携わっている著者が、具体的にホームレスになる過程を追った実録記だ。経済戦士と呼ばれ管理職になっていたサラリーマンが、会社に忠実だけの人間になり果てており、そのせいで解雇されても転職もうまくいかず、ついには家に帰らず路上の“ダンボール長屋”に寝起きする毎日になっているといったような実例には、こちらも何と言っていいかわからない。

●週刊朝日評(1994年4月8日号)=東京都で労働相談を担当している著者が、仕事を通じて出会った人たちがホームレスへ「転落」してゆく過程を報告する。
賃金不払いに遭って仕送りが減り、故郷へ戻れなくなった東北からの出稼ぎ者、人間関係がうまくいかなくてトラブルを起こし、辞職に追い込まれた電機関連企業の技術者、事故を起こした元タクシー運転手……。一緒に路上で酒を飲みつつ著者がつきあったホームレスたちに共通しているのは、「経済的貧困」よりも「人間関係の貧困」だという。身元保証人がいないとアパートも借りられない日本では、結局、人間関係が切れたときがホームレスへの入り口というのだ。

●週刊現代評(1994年4月2日号)=本書は、この大都会東京で、いかにして人はホームレスになるか、をテーマにしたノンフィクションである。出来は水準以上、というより、他書と決定的にちがう点は、筆者の現職が東京都労働経済局労政部計画課勤務ということだ。従って、職場でのトラブルからホームレスになっていく過程を担当者として捉えている。このリアルさ、一人一人の心情の痛切さは、通常の取材からは決して得られないものだ。
我々のほとんどがホームレスに対して「見たくない人たち」「関係ない人たち」というイメージを抱いているが、本書を読むとそれが根底から覆されてしまう。“あなたもホームレスになりうる”という身近さに誰しもが戦慄を覚えるに違いない。
これからの日本に提起するものは多大である。

●週刊文春評(1994年5月26日号)=本書は、著者がその本業を通じて知り合った労働者たちと、さらに仕事の範囲を超えて付き合い、ゆく先を見つめてきた記録である。
ルポは単にホームレスの行動や生活の描写にとどまらず、内面の世界にまで踏み込み彼らの心情を代弁しようとしている。

●レタスクラブ評(1994年6月10日号)=トラブルの末、サラリーマンや出稼ぎ労働者、タクシードライバーがキレて、社会のグレーゾーンに消えていく様を取材し、ケーススタディ的に紹介しています。
プライドが高く、友達もなく、夫婦の会話もない。そんなタイプが危ないようです。とくにリストラには要注意!

●図書新聞評(1994年3月19日号)=新宿に存在する、ホームレスに落ちて行った人々の経緯を語っている。
彼等は会社や家庭から疎外されて、精神的に追い込まれ、逃げる場所として、あるいは行き着く場所として都心の路上に住むようになった人達というのが大半である。
そんな平凡なサラリーマンたちは、どこにでもいる人達なのだ。外資系企業の管理職、大手電気会社から関連会社へ移籍になった技術部長、タクシー運転手、単身赴任者、女性の場合のホームレス、それに出稼ぎ労働者たちの流れがとりあげられている。
著者は東京都の労働経済局労政部計画課に勤めて、労働相談を受けもっている。
著者は職業上、路上生活者になる前に、少しずつ路上化していく者、ついに変貌して驚くほどのホームレスの姿となっていくのを目の当たりに見る。その変化が、とてもおもしろく読ませるし、入り込んで書いているな、と感じるところだ。

●読書人評(1994年4月15日号)=職場の人間関係も無視して「会社」を信じてがんばる管理職の人、単身赴任の現実を自分に言いきかせつつ耐える人、家のローンと子どもの塾のため働きつづけるトラック運転手、店でトップになりたいとわが身を責めつづける美容師などなど、紹介される人間はみんな、私たち自身の姿。その人たちが全ての人間関係から切れるとき、ホームレスになっていく……。
今の私たちの生活の底の底で何が続いているのか、そしてどこへ行こうとしているのか、じっくりと考えさせてくれる本である。

●ヒューマン・セクシュアリティ評(1995年3月号)=著者の仕事は、東京都の労働関係の相談窓口。そこから見える人間、社会がある。
本書では、著者が何人かのホームレスとかかわった、その経過や感じたことを、淡々とつづっている。
著者はホームレスが増える原因について、「人間関係の貧困」の問題を感じている。「家庭と学校、そして企業という集団のみに傾いた日本社会のいびつな集団化現象は、現代の人間関係の崩壊を準備してきた大きな要因でもある」。それそのものを問い直さなければならない。

●日刊ゲンダイ評(1994年3月24日)=最近やたら目につくようになったホームレスたちに焦点を当て、インタビュー形式でその発生のメカニズムに迫ったリポートである。
不況だから、金がないから、ではない。現代社会の「人間関係の貧困化」がもたらした、としかいいようのない病理を浮き彫りにする。

●女性セブン評(1994年6月30日号)=現代社会のヒズミにさらされて東京を漂う人々の心情と生活を探るレポート。
苛酷な企業競争や、カネとモノに支配された人間関係こそ、ホームレスを生む原因であり、誰もがその危険にさらされていることを、本書は教えてくれています。

●建築文化評(1994年5月号)=この本は、既にホームレスの人を追いかけたドキュメンタリーものではない。普通の人がささいなことをきっかけにホームレスになっていくというプロセスを通して、最終的には現代社会のひずみを捉えようと試みた本なのである。
「人はなぜ路上生活者になるのであろうか?」
何らかの理由で労働を続けられなくなり、経済的に苦しくなったので路上生活者になる、というのは一つのきっかけ程度にすぎない。本当の理由は、社会の中での人間関係に絶望し、その友情関係や信頼関係がことごとく崩壊することによって、家というスタイルを捨て、路上生活の道を選択するのだ、と著者はいう。
戦後、経済的には豊かになった日本社会も、精神的に豊かになったとはいえない。地域コミュニティは既に崩壊して機能しておらず、人は、家庭と学校とそして企業という集団のみに属し、お互いの集団とは無関係に利益を追求し走り続けてきた。この現実を顧みると、ホームレスは単なる個人の問題ではないといえるのではないか。

●晨評(1994年4月号)=本書は都庁で労働相談に携わっている著者が目のあたりにした路上生活者と、その予備軍たちの姿が描かれている。賃金不払い、不当な配転、ノルマ、従業員同士の競争など、様々な要因で精神的な負担に耐えられなくなった人々が、路上での生活を「選んで」いく。人の価値を経済的側面のみで計る経営論理に加え人同士の関係の希薄化が路上生活者を増やしているに他ならない。
気に掛かるのは、彼等が決して特殊な事情を持っているわけではないということだ。

●自治労東京評(1994年4月25日・5月5日合併号)=バブル経済崩壊後、新宿西口周辺を中心に激増したホームレスといわれる人たち。彼らが路上生活を始めるに至った事情を個別にていねいにたどることで、暴走する日本社会の歪みを浮き彫りにする。
外資系企業の管理職、技術部長、タクシー運転手、単身赴任者、美容師、彼らの前歴は多種多様だが、共通するのはその中で「がんばって」きた人たちであること。
「落ちこぼれると敵視する日本の異常な集団主義の中で、ノルマ・能力を要求され、それに過剰適応してしまったということでしょう。路上生活は疲れ果てた現代人のシェルターなのかもしれない」

●週刊とちょう評(1994年5月23日号)=5年間温めていたテーマでした。書き終えてみて確認できたことは、ホームレスの人々は大気汚染などに最初にやられるカナリアのようなものだということです。つまり競争社会の病理の犠牲となり、真っ先に打ちのめされて、路上生活に入っていく。その原因は、経済的貧困だけでなく、人々が互いに支え合う家族や地域社会のきずなが崩壊しているという点に多くを求めることができると思います。1000万を超えるホームレスを抱えるアメリカほどではないとしても、日本も「ホームレスの時代」がやって来たとも言えるでしょう。我々と無縁の世界ではないのです。

●聖教新聞評(1994年3月17日号)=なぜ人は路上生活を始めるのだろうか。もちろん、経済的貧困も大きな要因には違いない。しかし、より決定的なことは「人間関係を失ったことによって起こる場合が多い」と著者は言う。つまり、支えてくれる家族の信頼や地域のコミュニティの喪失が主たる原因なのだ。そう考えると、このホームレスの問題は利益至上主義が生んだ現代社会の病理の構造と決して無縁ではあり得ない。家族やコミュニティの崩壊が進んだアメリカがそうであったように、日本も大量のホームレスを生み出さないという保証はどこにもない。
ホームレス現象を社会的転落と捉えることはたやすい。しかし、それを引き起こした社会的背景に目を向けることも忘れてはなるまい。本書は疲れ果てた現代人のシェルターとして多くのことを教えてくれる。

●社会新報評(1994年3月29日号)=「なぜ、彼らはホームレスになったのか」そんな思いと労働行政の相談窓口の担当者としての経験から出会った彼らの心情を浮き彫りにしていく。「社会現象」として切ってしまうのでなく、彼らの証言をもとに労働、医療、差別の現実をつかみだしていく。
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