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江戸の花見

【内容紹介】本書「はじめに」より


 春、爛漫の花のもとにおこなわれる花見。現在なお春の国民的行事ともいえるこの催しは、江戸時代の都市で、庶民の娯楽として定着する。江戸時代のなかばをすぎると、全国各地の都市に多くの花の名所が成立し、梅や桜の開花にあわせて花見をする人びとのすがたが見られるようになる。そしてそれは、江戸でもっとも盛んにおこなわれた。
 花見は当時の人びとにとって大きなたのしみであり、老いも若きも、女もこどもも、着飾ってうきうきと花見に出た。花の美しさと、あそびの楽しさと、群衆の喧噪のもとで、花見の人びとはふだんの生活をしばる規則やきまりごとを忘れ、いつもと違う自分になって自由にふるまうことになった。
 晴れ着でめかしこんだ女たちを目にするまたとない機会であったから、男たちは、花の美しさよりもあでやかな姿に目を奪われがちであった。恋が生まれるかもしれないという期待は女にも男にも充分すぎるほどあり、その可能性を信じさせる雰囲気を花見はもっていた。花見の場で人びとは陽気になり、こっけいな仮装をし、茶番劇で群衆を笑わせ、笑った。大勢の人びとが行き交い、物売りが立ち、見世物が出る花見の場は、都市の臨時的な広場であった。
 酒を飲み、踊り、歌い、放埒が許され、興奮が渦巻く花見で、人びとは単に花をながめたのではない。花のもとの空間と時間を生きたのである。春の季節のおとずれでよみがえった世界をよろこび祝い、自然のリズムに同調して人びともまた精神的よみがえりをはかった。それは、美の受け止め方のある形態であり、自然と人間との関係の、あそびにあらわされた一つのありかたであった。
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