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悲劇の島・東チモール

【内容紹介】本書「まえがき」より


 チモールという島は、一体どの辺にある島でしょうか。そして、このチモール島の東半分をさす東チモールのことについて、この島にまつわる悲劇的な歴史と問題を知っている人は、日本にどれだけいるでしょうか。
 私にとって、東チモールとの出会いは15年前の1974年にさかのぼります。私はその当時、東北大学に在勤中で、日本チモール協会の要請を受け、ポルトガル領チモール(東チモール)の地質に関する調査で、1974年夏に渡航しました。わずか3週間余の短い期間でしたが、隆起サンゴ礁石灰岩相手に燐鉱石資源の探査や地質調査の面白さ、日本列島と同じように、弧状列島を形成しているスンダ列島の一つチモール島の、地質の面白さに魅せられました。
 その翌年1975年に、再度地質調査で渡航したい希望をもっていましたが、その矢先に、突然、東チモールでクーデターが起こりました。私は、まさかあの平和で静かな島にクーデターが起こるとは予想だにしなかっただけに、内乱、戦闘の拡大、そして、チモール難民などに関する新聞の相次ぐ悲惨な記事、報道に、わが身の引きさかれるような憂慮の日々が続きました。
 内乱からすでに14年、東チモールはインドネシアに侵攻、武力併合されて、未だに民族の自決権が無視されています。
 私は、東チモールの内乱の前に、この島を訪れた最後の、いや、最後に近い日本人の一人であったのかもしれません。チモールのサンゴ礁のコバルトブルーの美しい海、熱帯地域特有のラテライト化(高温・多湿の熱帯地方で、アルカリの塩基や珪酸塩が溶脱して、主に水酸化鉄、水酸化アルミニウムに富むようになる化学的な風化作用)した赤い土、チモール独特の高床式民家、無邪気なチモールの子どもたち、などの印象が断片的に甦ってきます。
 私は内乱以来、東チモールへの心痛な想いと、なにかしなければいけないという一つの責務を抱いてきました。
 この本は、私が1974年に渡航のとき、ふれることのできた地質調査の経験をふまえて、世界の地殻の変動帯の一つとして、たいへん重要なスンダ列島東端のチモール島の地質、そして、チモールの人びと、風土と自然の記録です。
 少しでも悲劇の島、東チモールのことを知ってもらいたい。地質学的に魅力のある東チモールのことを知ってもらいたい。そして、東チモールに自決権を、東チモールに独立と平和をと、願いをこめながら執筆しようと思いたちました。なにか、少しでも東チモールについて知っていただければと願っています。
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