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日本の鉄道120年の話

【内容紹介】本書「あとがき」より


 一通りの概括的な流れを書き終えて、ふりかえってみると、最も面白く、興味が持てたのは、第一に戦時に対する二俣線など、いわゆる東海道幹線一連の迂回線路の建設と、弾丸列車の雄大な構想であった。とくに弾丸列車の構想は、朝鮮海峡にトンネルをぶち抜き、東京-シンガポール間を鉄路で結ぼうとする、夢のような奇想天外な計画だけに、感嘆させられるばかりであった。しかし、反面においては、当時の日本の姿がよく象徴されているようにも思えて、考えさせられるところが大きかった。
 第二に興味をひかれたのは、わが国の鉄道創業にさいして鉄道建設の権利が、外国の手に移ることなく、植民地化しなかった理由として考えられる種々の背景。また、この鉄道100年間の歴史の中で、軍部がいたるところに関係し、常に鉄道と切り離すことのできない、密接な位置にあったことである。
 そして第三には、この原稿は、そもそも鉄道の埋もれた「こぼれ話」を掘り起こそうとして書き始めたものであったが、これを体系的に並べてみると、創業時代と太平洋戦争前後の時代とのこぼれ話の量的なアンバランスである。つまり創業時代のこぼれ話の豊富さに対して、第二次大戦前後の鉄道には、こぼれ話として取り上げる課題がきわめて少ないことである。創業時の鉄道は、200年の鎖国政策から、急激に外国の思想や技術を導入した当時の、アンバランスな社会状態にもよるのであろうが、100年間という距離をへだててみると、その当時、当然であったことまでが今日ではむしろ滑稽で奇妙に感じられるのである。
 たとえば、汽車のほうを遮断することを定位とした明治20年ごろまでの踏切設備、また太鼓の合図で発車したという蒸気車など、当時ごく当たり前であったことでさえ、今日からみれば、奇妙に思えるのである。
 その点、すべてが異常に機械化され、画一的に処理されている現代では、笑止に値するものがきわめて少ない。しかし、これもまた、100年間のへだたりを置いて眺めれば、奇異に感じるような事柄が多くあるのかもしれない。たとえば、100年後の列車が、すべてリニア・カーのように浮上するようになっていれば、今日のレール上を走る列車は、むしろ興味をもって眺められ、こぼれ話に登場するようになることであろう。
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