書誌情報・目次のページへ 書評再録のページへ 読者の声のページへ
日本の鉄道ことはじめ

【内容紹介】本書「本文」より


 汽車時刻表を定めるにあたって、当時の鉄道関係者がもっとも苦慮したのは、一般庶民の正確な時刻を知る方法が非常に少ないということであった。
 たとえば、懐中時計をもっているのはごく一部の上流階級であって、多くの庶民は時計という文明の利器をもっていなかった。さらに、もう一つの問題は、四ツ時、五ツ時といった時間感覚が西洋方式に変わり、街では「西洋時計便覧」といった時計の表示解説書がさかんに売れていた時代のこと。庶民が正確な時刻を知る方法は、1871年から東京で開始された正午を知らせる号砲くらいしかなかった。
 そこで鉄道寮では、1872年2月芝増上寺の大鐘を愛宕山頂に移して毎昼夜各1時から12時まで鐘を打ち鳴らして、正確な時刻を大衆に知らせる計画を立てた。しかし、このプランは、重量約15トンもある大鐘移転の困難を理由とする、増上寺側の嘆願によって実現しなかった。
 したがって当時は、列車に乗りおくれる乗客や発車間際に停車場へかけつける乗客も少なくなかった。1873年8月以降鉄道に勤務した水渡精七の回顧談によれば発車間際に、
「陸蒸気の船頭待ってくれ!」
と、大声で叫びながら停車場にかけつける乗客が当時はかなりあったという。
トップページへ