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日本の鉄道こぼれ話

【内容紹介】本書「本文・サルが工事をじゃました」より


 わが国の鉄道建設工事は、1870年の着工以来、沿線地元民の反対や妨害で、その進行が少なからず阻害されたという記録は数多く残されているが、この線区では山間部という地形の中で、思いがけない障害が工事の進行をはばんだ。それは沿線の山間部に生息するおびただしい数のエテ公の妨害であった。エテ公らは、昼間作業で留守となった現場の工夫小屋へしのびこんではさかんにイタズラをくり返した。戸棚の中の食物はもちろんのこと、工夫たちの衣類から履物、はては工事道具までを失敬した。中には飯びつをそのままかかえて逃げ出す猿まであらわれた。大石の上に飯びつをかかえて座りこみ、うまそうに飯を食べる猿を目撃し、切歯扼腕する工夫が何人もいたという。
 いずれにしても、工夫たちが一日の重労働で腹をへらして小屋に帰ってみれば、飯びつはなく、連日部屋の中は無惨なまでに荒らされていた。彼らはいちように驚くとともに憤慨し、はては泣き泣き炊事をする毎日であった。
 しかし、いっぽうエテ公の身になって考えてみれば、それまで平和であった山地へ、人間どもが勝手に割り込み、横暴きわまる振舞いに少なからず憤慨していたのかもしれない。
 人間様ならいざ知らず、サルが鉄道建設を妨害した事件など、今日からみれば夢のようなユーモラスな話ではあるが、当時の関係者にとっては、かなり深刻な問題であったという。
 こうした苦難の末、阪鶴鉄道の工事は、1897年12月池田〜宝塚間の開業を皮切りに、着工以来2年3カ月、1899年7月、最後の工区・柏原〜福知山間の完成によって神崎〜福知山南口間の全線路が開通。さらに1904年11月3日、同社福知山南口駅を、国鉄福知山駅に連絡する線路工事(約1キロ)の完成により、ここに阪神地方と舞鶴港を鉄道で連絡するという同社当初の目的を達成したのだった。
 なお、阪鶴鉄道会社は、1906年公布の「鉄道国有法」により、1907年8月政府に買収された。現在のJR福知山線である。
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