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生きる歓び イデオロギーとしての近代科学批判

【内容紹介】本書「訳者あとがき」より


 本書を読みながらガンジーのことを想った。著者のヴァンダナ・シヴァさんは1952年生まれというから、ガンジーとはだいぶ世代が隔たっている。しかしこの書物には、インドに根づいたガンジーの伝統が一貫して流れているように思えてならない。そこには西欧文化に対して毅然と立ち向かってきた知的な伝統があり、非暴力を旗印に決して屈しなかった不服従運動の伝統がある。
 実のところ、シヴァさんがこんなに若い女性だとは、つい最近まで知らなかった。今から10年ほど前、インドの森林問題を扱った彼女の初期の論文をはじめて見て、非凡な論客であることはすぐにわかった。強靱な思考と妥協を許さぬ鋭い切り込みはただものではない。さらに本書で明らかなように、科学思想から生態学、天然資源管理にいたるまで、その幅広い知識に驚かされる。30代の前半でこのような書物が書けたのも、ガンジー以来の長い伝統がその底流としてあったからであろう。
 1993年にシヴァさんは、もう一つのノーベル賞といわれる「ライト・ライブリフッド賞」を授けられた。
「今日の開発プロセスに内在する環境費用と社会的費用に関して先駆的な洞察」をおこなったことと、「地域の人たちや地域社会とともに開発に代わるオールタナティブを主張し実践してきた」ことによるものである。
 科学哲学の博士号をもつシヴァさんは30歳で科学・技術・天然資源政策研究財団を設立し、学究としての卓越した仕事もつづける一方、インドの女性たちの人権と環境を守る草の根運動に20代から参加してきた。本書はいわばこの二つの側面、つまり卓越した知識人としての側面と、行動力のある運動家としての側面が組み合わさって誕生したものである。筆者自身の表現を借りれば、女性たちの運動に参加していくことで「生命を支え、守ろうと闘っている人たちの苦しみと洞察に教えられ、この人たちの闘いを見て、生命を破壊し、生存を脅かす『進歩』『科学』『開発』なるものの意味を改めて問うことになった」という。
 「よその国に来て生き方を教えてやるとうそぶく連中をここに来させ、本当の生き方を知っている男や女や子どもたちに会わせよう。彼らによって生きる歓びをまだ抹殺されていない人たちに会わせるのだ」
 援助する先進国の傲慢さを、援助される側からこれほど辛らつに批判した言葉を私は知らない。われわれは所得の低い途上国を見ると、すぐに不幸なことだと決めつけ、開発が必要だと即断する。しかしシヴァさんに言わせれば、先進国の男たちの生き方こそ間違っているのであって、世界中が開発に毒されてしまった現在の時点で、真に持続可能な生き方を提示できるのは第三世界の農村に生きる女たちだけだということになる。
 先日、日本の外務省は平成六年度の『ODA白書』を発表した。世界最大の援助国として、世界の援助政策をリードする「リーディング・ドナー」になるべきだという。これはこれで結構なことだが、少しばかり心配なのは、本書に書かれているような開発の負の側面を多くの日本人が理解していないということだ。
 資源に乏しく、外国からの輸入もままならない貧しい途上国で開発が強行されたらどうなるか。同じ国のなかで資源の奪い合いが激しくなるだろう。その結果、回復不能なまでに資源が酷使されるかもしれない。インドを含む多くの途上国で社会的な不公平が拡大し、生態系の荒廃が進行した。日本にいると経済成長の明るい面ばかりが見えて、暗い面がなかなか見えてこない。第三世界の貧しい人びとからの異議申し立てが強まっていることに、われわれはもっと留意すべきであろう。本書の翻訳に踏み切った最大の理由がここにある。
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