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長野の「脱ダム」、なぜ?

【内容紹介】●本書「かつてダムはコンクリートでなかった―序にかえて」より


 法律のなかでの「ダム」は、堤高15メートル以上の流水を占有するための工作物と決められているので、そこからすれば「ため池」はたしかにダムとはいえない。しかし、もっと本来的な役割まで視野を広げてみれば、「水を貯えるしかけ」を“ダム”と捉え直すことができるだろう。ため池は間違いなく“ダム”だったのだと、このごろになって理解した。
 2000年夏にオランダからドイツ、オーストリアへと列車で旅行した。ドイツあたりで田園風景をぼおっと眺めていて気づいたことがある。風景を構成する土地のラインが上下、左右ともなだらかにうねる曲線を描いている。そこに葡萄や小麦が植わっている。
 日本のそれは、そういえば水平な直線が山裾まで続くか、山間でも短い水平直線が段々をなしていて、どこでも水平ラインで構成されている。そう、水田に水を張るために営々と創り出してきたラインなのだ。
 いちめんの緑なすゆるやかな曲線でできた風景と、無数の水面の水平直線がつくる風景。そうだったのか、日本というのは上から下まで、小さなしかし膨大な数の“ダム”によって大量の水をたたえる列島なのだ。これもいまさらながら納得がいったことだ。
 法律で定める「ダム」は身近でなくとも、“自然にちかいダム”なら昔から誰のそばにもあり馴染んできた。それらは土でできていたり、森であったり、草や木々や石でできている。さまざまな“自然にちかいダム”のことを私たちはダムだと思わないでここ何十年も過ごしてきてしまった。「ダム」とは、コンクリートの巨大な壁(ロックフィルの場合もあるが)で川の流れを塞き止めて工場のように操業するものだとばかり思い込んできたのだ。
 かつて“ダム”はコンクリートでできてはいなかった。田中康夫長野県知事があちこちに衝撃を与えた2001年2月の「脱ダム宣言」のなかで、あえて「コンクリートのダムは……」と述べているのはまさにそういうことだ。ダムというものについてここ数十年、役所だけでなくみなが固定観念で凝り固まっていた定義をもっと広げて考え直そうよということだ。せっかくのチャンスである。本書が日本人が各所各所で使いこなしてきたさまざまな“ダム”について考え直すきっかけになるように願っている。
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