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職場相談員のためのセクハラ防止完全マニュアル

【内容紹介】●本書「本文」より


 「同じことをしても(言っても)、セクハラになるときもあれば、ならないときもある」などと言われてしまうと、大半の男性は目を回してしまいます。
 セクハラを理解する際に、いちばん困惑させられることの1つに、「同じことなのに、結果がセクハラになったりならなかったりする」ということが挙げられます。この困惑の原因には、すでに触れたように、セクハラを「やってはいけない」「一律に禁止される」行為の類型として捉えようとする発想が根強くあるからです。
 つまり、セクハラが「べからず集」であるなら、やってはいけないことは、時と場合によって違うことはないはずです。人によって「やってはダメ」で、人によっては「いい」というのでは、一貫性がないし、それでは普遍性のあるルールということにはならないからです。この点こそが「セクハラは『べからず集』ではないし、また、禁止事項として捉えると、その本質が理解できない」といわれることの核心です。
 今、セクハラとして問題になっているのは、職場の上司と部下という関係が、性的な言動が許される関係であると勘違いされたり、そうした言動を当然としてきた職場風土や、男性の側の公私混同が問題となっているのです。したがって、職場の人間関係と恋愛関係やプライベートな関係をごっちゃにしないことがセクハラ理解の第一歩であるといえます。
 職場という場所では、そうした性的言動が許される場面は基本的にはないと考えるべきでしょう。もし、あるとすれば職場恋愛などの特殊なケースであり、限られた場面にしかありえないことなのです。しかし、日本の職場ではそうしたことが許されてきた歴史や、親しい関係がないにもかかわらず、性的な会話や性的プライバシーへの踏み込みが許容されてきた職場風土が、今あらためて問題になってきているのだと言ってもいいでしょう。
 人(恋人)によっては許されるが、人(職場の上司や同僚)によっては許されないことがあり、セクハラになるとき(職場)もあれば、ならないとき(プライベートな場所で、親しい関係同士の行為)もあるということのケジメを理解することが大切なのです。
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