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流域一貫 森と川と人のつながりを求めて

【内容紹介】●本書「はじめに」より


 この本のタイトルにもなった「流域一貫」あるいは「水系一貫」という言葉は、古くから多くの人々に使われている言葉ではあるが、現代においてもなお新しい響きを持ち、その重要性を訴えかけてくる。考え方の基本は中国治水史にさかのぼり、「黄河を治むるものは天下を治む」と言われてきた中国数千年の治水史には、流域を一貫してみる治水思想が流れている。
 一方、近年直面する問題を扱うには、もはや流域という概念では狭くなっているのかもしれない。筆者が1997年から1998年に参画した河川審議会総合土砂管理小委員会の答申では、「流砂系」という言葉が使われた。流砂系とは、流域からの運搬物質が最終的に到達する海岸域も含めた言葉として定義され、まさに流砂が関与する流域の源頭部から海岸までを一貫して議論しようとしたものであった。流域から生産される土砂は、砂利採取や治山砂防ダム、貯水ダムなどの影響によって、河口まで供給されなくなってきている。このため、海岸部ではいちじるしい侵食を受け、消波ブロックによる防護を余儀なくされている。砂防と河川、海岸が別々に計画され議論されてきた現状を、流砂系の観点からつながりとしてとらえる必要性を宣言したものであった。
 北海道では、流域の土地利用、とくに酪農によって生み出される糞尿や微細土砂が海域まで漂流し、漁業への影響が心配されている。そのためか、漁協婦人部の方々が山に土地を買い、植樹する運動を展開している。まさに、流域と海域のつながりである。さらに、世界をながめるとランドスケープ(landscape)という言葉が注目を集めるようになってきている。とくにアメリカ合衆国では、ランドスケープという言葉が、流域を越える概念として扱われており、日本でもこの意味から「景域」という訳語を用いる人もいる。鳥類相の保護などは、まさに分水嶺を越えた問題であり、生息場環境の保全のために、発達段階の異なる森林を、流域を越えて数百平方キロメートル単位のランドスケープ内でいかに配置するかなどが議論されている。
 このように、流域やさらに大きな空間単位を表す言葉が学会だけでなく、行政でも一般市民のあいだでも用いられるようになってきた。その背景には、現在人類が直面するいわゆる「環境問題」が広域化し、その原因と結果のつながりが見えなくなってきていることがある。
 水道から供給される水はどこから来るのか、さらに下水の水はどこへ流れていくのか、川とのつながりで理解している一般市民はほとんどいない。大量の木材を輸入する日本では、普段使用する紙の起源を日本の森林、もしくは世界の森林資源とつなげて考えることすらできなくなっているのである。本論のもう一つのテーマはこの「つながり」であり、みえなくなった森と川と人のつながりをもう一度見直す舞台が「流域」である。
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