![]() | 佐藤英文[著] 2,400円+税 四六判 カラー口絵8ページ+244頁 2021年12月刊行 ISBN978-4-8067-1628-0 英語ではブック・スコーピオンと呼ばれる、 古書に棲みサソリのようなハサミを持つカニムシ。 古書以外にも木の幹や落ち葉の下など、私たちの身近にいるムシなのだが、 ほとんどの人がその存在を知らない。 カニムシについてわかっていないことも多い。 この虫一筋40年の著者が、これまでの採集・観察をまとめた稀有な記録。 ―――――――――――――――――― [編集部より] 『カニムシ 森・海岸・本棚にひそむ未知の虫』著者の佐藤英文氏が、 2023年度日本土壌動物学会学会賞を受賞されました。おめでとうございます。 受賞理由には、 「あなたは長年に渡りカニムシの研究を行い、 種分類、分布、生理、生態、生活史などについて多くの発見を行いました。 それらの成果をわかりやすく紹介した『カニムシ 森・海岸・本棚にひそむ未知の虫』を出版し、 謎の多い土壌動物であるカニムシを広く普及することに貢献しました」(後略) とあり、弊社もわがことのようにうれしいです。 1冊でも多く、読者のもとに届けるよう頑張りたいと思います。 |
佐藤英文(さとう・ひでぶみ)
1948年、山形県新庄市生まれ。
1971年、玉川大学農学部卒業。
1973年、鳥取大学農学部修士課程修了。
1973〜2007年、私立鶴見女子中学・高等学校(現鶴見大学付属中学・高等学校)教諭。
2007〜2014年、鶴見大学短期大学部保育科准教授。
2014〜2019年、東京家政大学准教授・教授。
2020年、同短期大学部保育科特任教授。
カニムシ類の分類と生態の研究、草笛の歴史研究と普及活動、
草花遊びの研究と普及活動、ミツバチを使った教育活動などを行っている。
現在、環境省希少野生動植物種保存推進員。
はじめに
第1章 カニムシ学ことはじめ
@身近で遠い存在
女子学生に聞いてみた
世の中のカニムシ認知度
実は身近な存在
理科室で一番人気
A人はいつからカニムシを知ったか
世界で一番古い文献
日本人とカニムシ
墨客揮犀の謎
Bカニムシの形態
全体のつくり
頭胸甲
鋏角(鋏顎)
触肢
歩脚
腹部
腹面
Cカニムシの仲間
分類学的位置
新しい分類体系へ
地球上にいつからいるのか
日本ではどんな仲間がいるか
無毒腺亜目 Epiocheirata
有毒腺亜目 Iocheirata
Dカニムシの習性
カクレムシと呼びたい
カニムシの歩行
回転・あとびさり
カニムシの食べ物
カニムシVS いろいろなムシ
共食い
カニムシの分布拡大戦略
便乗という妙手
天敵や寄生虫
Eカニムシの成長と繁殖
齢と脱皮
営巣(繭)
精包伝達と受精
抱卵と育児
コラム1 カニムシの形質異常
コラム2 大学生が描いたカニムシ想像図
コラム3 カニムシグッズ
第2章 カニムシに至る道
@生き物好きからカニムシへ
誰も知らないものをやりたい
カニムシってなんだ
私のカニムシ学ことはじめ
A試行錯誤の始まり
カニムシが消えた
歩く速さはどれくらいか
カニムシは土に潜るか
一緒にしちゃいけない
ツルグレン装置を作れ
カニムシが多い森
土壌性カニムシは乾燥に弱い
B海岸性のカニムシを求めて
海岸探索開始
イソカニムシ発見
コイソカニムシ発見
生息環境をさぐる
生活史調べの問題点
まだ手つかずの海岸
C樹上性カニムシを求めて
恐怖の後の幸運
トゲヤドリカニムシから学ぶ
もう一つの偶然
オオウデカニムシの奇妙な特徴
Dその他の生息地
洞窟
他の動物の巣や体など
家屋内や書物の間
カニムシの棲めない環境
コラム4 悩ましい動物たち
第3章 カニムシの生態
@カニムシ分布を決定する要因
垂直分布の解明
初めての標高別採集
思い出の山々
分布決定要因としての温度
暖かさと寒さの指数
温暖化の影響
Aカニムシが豊かな森とは
無用の用
種数から見た森
調査林を探す
標高とカニムシの種数
森林の発達と種数
人為的攪乱
Bカニムシ群集から見た森
森林ごとの密度を比較する
群集の多様性を比較する
類似度指数から見る
野生動物の影響
森林の環境診断
C土壌性カニムシの生活史をさぐる
季節消長パターン
生活史を推測する
カブトツチカニムシの生活史
標高500m
標高1500m
「あいまいさ」こそが最強の戦略だ
一つの試み
コラム5 カニムシを側面から見たら
コラム6 凍結土壌からカニムシが
第4章 カニムシの採集と飼育
@発見の楽しみ
分類学は古くない
採集者の貴重なデータ
新種発見の喜び
採集技術を身につけよう
探すときの注意点
カニムシ採集に用いる道具
採集に出かけよう
プレパラートを作製する
図を描く
A私の新種記載
第三者の目
あこがれのテナガカニムシ
私の夢
Bカニムシを飼ってみよう
飼育のための環境
C観察してみよう
捕食の観察
脱皮
精包伝達と便乗
抱卵と哺育
忍耐強く
コラム7 プレパラート標本の作製と標本の保存
コラム8 コンポストを用いた餌の確保
あとがき
参考・引用文献
索引
「私の趣味はカニムシです」
自己紹介のときにちょっと触れてみる。相手はたいがい怪訝な表情になる。そりゃ一体なんだ、という顔つきだ。そしてお決まりのように、「カニみたいなムシなんですか?」と聞いてくる。少しだけ説明すると次にはきっと、どうしてそんな虫を調べているのか、とカニムシにではなく私の珍奇な趣味に関心が移ってしまう。これに対する答えは簡単で、おもしろいから、としか言いようがない。科学的真理の追究とか人類の平和と幸福に貢献するため、などという高尚な気持ちもないわけではないが。とにかく調べていると楽しくて時間を忘れる。ただそれだけだ。
まれにではあるが、カニムシそのものに強い関心を向けてくれる人がいる。そんな機会は滅多にないから、私もうれしくなって語る。至福のひと時だ。相手も、餌は? 形は? 色は? 益虫それとも害虫?……とたたみかけてくる。時には、思わぬヒントをいただいて視野が広がることもある。
しかし、このように順調に話が進むことは滅多にない。知らないものを想像するのはむずかしいらしい。時には苦笑するようなことだってある。
「ああ、触ると臭いやつね、屁っこき虫っていうやつ」
「いや、あれはカメムシです、カ・メ・ム・シ。私のは、カ・ニ・ム・シ」
そりゃあ字面はよく似ているけれど、分類学的にはトンボとゴキブリの差などよりもはるかに大きい。
「興味深いテーマを選びましたね」などと共感されることもきわめてまれにはある。これは生き物に詳しい方であって、おそらくフィールドワーク体験をかなり積んでおられるに違いない。なにしろ、カニムシを正確にイメージできる人は珍しいのだから。生物の先生たちですら、実物をご存じの方は少ない。それくらいなじみのない動物だ。
ところが時代が平成に移ったあたりから、カニムシも少しずつ知られるようになってきた。カリキュラム改訂によって、中学理科や高校生物の教科書で土の中の生態系が取り上げられるようになったことが関係しているかもしれない。土壌動物の一員としてカニムシが紹介され始めたのだ。体つきや動きがおもしろいから、初心者の興味を引くにはもってこいの教材といえる。それに、近頃では図鑑の片隅に紹介される機会も増えてきている。加えて、環境調査などの項目にカニムシが取り上げられるようにもなってきた。研究を始めたころからみると、ずいぶん様変わりしている。
さらに、インターネットが普及して、情報が飛び交うようになり、こんなおもしろいものを見つけた、と写真を公開する人も増えてきた。最近ではムシガールと呼ばれる女性も多くなっているらしい。まだカニムシ採集に熱中する女性は少ないようだが、カニムシグッズを作る方なども現れている。今後さらに、自然好きの人たちに広まる予感がある。
とはいうものの、カニムシは環境変化に敏感で、限られた条件のもとでごく少数しか生息しない種類も多い。環境が荒廃すると、真っ先に消滅するのがカニムシのような生き物たちなのだ。だから好奇心は歓迎するものの、採りすぎるような行為は控えていただきたいと願っている。
カニムシについての研究はあまり進んでおらず、わかっていない部分が多い。分類すらまだまだ不十分である。寿命はどれくらいか、といった基本的なことですら完璧に調べた人はほとんどいない。生態や行動などについても未知の部分が多い。ましてや、遺伝子などを利用しての研究はまだ始まったばかりである。
ひと通りの分類生態を調べてから普及書を書きたい、と以前から考えてはいた。もう少し研究が進んだら、と思いながら気がついてみれば四十有余年が過ぎてしまった。納得できる境地には、ほど遠い道のりである。体力と知力の限界を迎える前に、カニムシの世界を皆さんに紹介しておくことも必要かもしれない。それが本稿を立ち上げた理由である。
本書はカニムシの基礎的な解説や私が歩んできた試行錯誤の道のりを述べたものであって、専門的な研究者を対象としたものではない。できるだけ平易に説明したつもりである。それでも分類や生態などに関しては、若干専門的になることをご容赦いただきたい。なによりも、カニムシという興味深い小動物の世界があることを知っていただければ幸いである。この本をきっかけに、カニムシに限らず小さな生き物の世界に関心を持っていただければうれしい。そして、やや古めかしい表現だが、博物学の楽しさを感じていただけたらと願っている。なぜなら、博物学こそが科学の原点であり、日本の科学の発展の礎になると私は信じているからである。
役に立たない生物を楽しみたい、というひねくれた動機で始めたカニムシ研究であった。自然をありのままに観察して、そこから生じた疑問について深めていきたかったのだ。自分らしく自由に楽しみたかったのだと今では理解している。振り返れば、それはある意味では自然を「博物する」という素朴な学問に対するあこがれだったのではないかという気がしている。博物する、という表現は橋田邦彦著『科学する心』にヒントを得た。
博物という言葉は、今では博物館として残っている程度である。いつの間にか、自然誌(史)あるいはナチュラル・ヒストリーという言葉に置き換えられている。しかし私の心には、いまだに博物という言葉が魅力的に響いている。
その原点を振り返れば、子どものころに体験した生き物たちとの夢のような出会いに対するあこがれである。高校生になったあたりから、それが博物学の形をとるようになった。自然を詳細に観察してそこに神秘を感じる喜びである。もちろん実験などによる検証を行うけれども、なによりもまず自然の不思議を楽しみたかったのだ。
これまで学んできて感じる懸念が2つある。1つは、長年理科教師をしてきた体験からの心配である。中学生や高校生に生物を中心に教えていたのだが、その過程でとても気になることがあった。それは、生徒たちが身の回りの生き物に対してほとんど無知であり関心を持たない、という現実である。
学校近くの林を使って、森林の構造や遷移についての授業を行ったときのこと。説明を始めたところ、生徒の1人が「先生、低木と高木の違いがわかりません」と言うのである。高い木が高木で低い木が低木なことぐらい見ればわかるだろう、と多少ムッとしながら答えた。あとで冷静に分析してみると、どうやら生徒たちは森が単なる塊に見えてその中の多様性が識別できなかったらしいのだ。これは、私が人気歌手集団のメンバーを区別できないことと似ているかもしれない。
その後、転職して保育者養成の大学で教えることになった。そこでも、先ほどの高校生と同じ体験をした。最初の授業で「今日はどんな種類の植物を見てきましたか」と書かせたところ、緑とか草とか木という回答ばかりであった。中には植物なんかなかった、という学生すらいた。その後、多くの保育施設で若い保護者たちに草花遊びを通じて自然のすばらしさを伝える機会を持ったが、大学生たちと大差なかった。
もう1つの懸念は、カニムシそのものが生息する環境が激減しているということである。研究を始めた1970年代は東京近郊でも豊かとはいえないまでも自然が残されていた。それがここ数十年で激変したのである。まず近隣から森や林が減少した。田んぼや畑も少なくなった。ヒバリが鳴き小魚が釣れる小川が気に入って今の場所に引っ越したのだが、その風景は見る影もない。農薬などの使用によって都市部に残るわずかな緑地からもカニムシたちは姿を消している。もちろん住居などの人が住む場所の環境も激変している。人の住環境は改善されているが、そこにカニムシが生息できそうな自然が入り込む余地はまずない。以前は、古い本棚や保存食品の間などにひっそりと息づいていたのに。
では、山地はどうだろうか。近年日本中で問題視されているように、シカやイノシシその他の野生動物が地面を著しく破壊している。本文でも紹介したが、地表面近くを厚く覆っていたササなどが食害に遭い、土壌も攪乱されて下層がむき出しになっているところも多い。そんな環境にカニムシが棲むことはできない。海岸も多くが護岸工事や開発などによって磯や砂浜が減少している。これからずっとカニムシたちの受難は続くのであろうか。心配である。
つい最近まで、カニムシなど誰も知らないから話しても聞いてもらえないだろうと思っていた。そんなとき、私が所属していた鶴見大学環境教育研究会という組織の中でカニムシの話をするようにといわれた。最初は断っていたのだが、なんとなく話す気になった。まあ反響はないだろうな、と覚悟を決めて学生たちが喜ぶ草花遊びとセットでカニムシの話を進めた。幾人かの先生方、そして短大生が聴衆の主体であったと記憶している。アンケート結果を見て驚いた。おもしろかったという感想が意外に多かったのである。その後、研究会メンバーのお1人、後藤仁敏先生が築地書館に私の話をしてくださり、カニムシについての本を書いてみてはどうかというお話を頂戴した。せっかくなので頑張ってみようと決心したが、またたく間に2年以上が過ぎてしまった。一般の方たちに読んでいただくことを念頭に研究していたわけではなかったので、写真や図などを用意していなかった。それでも少しずつ資料を集めて、ようやくまとめることができた。最後に、今後の展望について少し述べておきたい。
カニムシの研究は未知の部分がまだまだ多い。というか、始まったに過ぎないと考えている。私がこれまで調べたことなど、ほんの一部に過ぎない。たとえば、研究の基礎である分類すらまだ十分に解明されてはいない。おそらく日本には、100種を優に超えるカニムシが生息していると思われるが、その多くはまだ記載されていないのだ。ましてや、種ごとの分布や生活史などについてはほとんどが未知の領域なのである。さらに、興味深い行動の数々も、いまだ調べられていない。これまで述べてきたことの中には、修正しなくてはならない課題も多いに違いない。
さらには生理、生態、遺伝、DNAを使った系統解析、分布や生物地理、化石の研究など、どれをとってもまだまだ未開拓であるといってよい。本書を通じて若い人たちに関心を持っていただけたら幸いである。(後略)
カニムシ(節足動物門、クモガタ網、カニムシ目)。
図書館から海岸、公園の落ち葉の下にもいる、実は身近な生き物なのだが、
大きさが数ミリほどで地味な色合いのため、その存在を知っている人はほとんどいない。
見た目がサソリに似ていることから、スード(Pseudo:擬似)・スコーピオン、
古い書物の間から見つかることから、ブック・スコーピオンと呼ばれることもあります。
そんなカニムシの姿と動きに魅せられ、
また、「役に立たない生物を研究対象としたい」という思いから、研究を始めて40有余年。
カニムシの研究者がほとんどおらず、わかっていることも非常に少ないですが、
この小さな生き物を知ってもらいたいと、これまでの研究成果をまとめました。