| 中村純夫[著] 2,400円+税 四六判並製 272頁+カラー口絵12頁 2018年11月刊行 ISBN978-4-8067-1572-6 ハシブトガラスには、ジャポネンシスとマンジュリカスの二亜種がいる。 この二種が交雑した、第三のカラスの存在を確かめるため、 フリーランスの鳥類学者が単身、サハリンに乗り込む。 ロシア人ハンターとともに島の南北1000キロを往復し、 さらにはロシア本国の山中へ分け入ることに。 謎のカラスの正体をつきとめるまでの、苦難と執念の道のり。 鳥類学者がフィールドで真実を探求する醍醐味と厳しさを余すところなく描く。 ●読売新聞1/20(日)に書評が載りました。 評者は三中信宏氏です。 ●朝日新聞2/16(土)に書評が載りました。 評者は保阪正康氏です。 |
中村純夫(なかむら・すみお)
1947 年生まれ。埼玉県比企郡武州松山町(東松山市)出身。
静岡大学理学部物理学科卒業。
オリンパス光学工業の研究開発部で3年間、光学系のデザインに従事した後、大阪府立高校教員に転職。
38歳の時に生物学を志し、42歳でカラスの生態・行動の研究を開始。
ハシボソガラスのなわばりを検証した論文で、日本鳥学会奨学賞を受賞。
59歳で早期退職し、北方のハシブトガラスの進化・分布の研究にとりかかる。
極東ロシアへ3度の遠征をし、カラスの頭骨標本とDNA解析試料を得て、
ロシア科学アカデミーのA・クリュコフと共同研究を進め、ハシブトガラスの10万年史を明らかにした。
プロローグ North to Sakhalin
交雑帯はエル・ドラド
名前からして謎めいたマンジュリカスというカラス
マンジュリカスとジャポネンシスが樺太北部で出会っている?
第1章 初めての樺太(サハリン)
1 ゼロから立ち上げる
2 たった四時間で異次元の世界に
3 易しくないカラス撃ち
4 日本と違うカラスたちの行動
5 アニヴァ湾のハンティング・ハウス
6 北海道大学に鈴木仁を訪ねる
7 山中でカラス鍋?
[コラム]所属欄はインデペンデント
第2章 南北1000キロの島を一往復したカラス採集行
1 ヘビーデューティ・カーの確保
2 サハリン日誌2007
旅立ちの朝
再び宗谷海峡を渡る
焚火
オホーツクの浜辺で墓穴を掘る
酒席
ポロナイスクのゴミ処分場
スミルニフ、そしてテイモフスコエへ
遂に北部の街、ノグリキにたどり着く
猛禽類のための繁殖支援塔
北端の街、オハ
最北端での苦戦
中部地区支部長宅にホームステイ
腐敗させたいが、腐敗臭はたまらない
現金とウォッカ
息切れの始まったサファリ
名人でも焦る
目標達成、しかし好事魔多し
第二幕の初日
フィリアとゲルダ
初めて見た、御真影館
文字通り、紙一重
稚内から札幌へ、不思議と冷めたウィニングラン
[コラム]季節とともにうつろうカラスの親子関係
第3章 ご破算
1 不吉な予感
2 頭骨の形態を調べた結果は、否
3 遺伝子の解析結果も、否
4 ご破算
5 戦略の再構築
6 ジャポネンシスの本拠地、北海道の頭骨標本が届いたが
[コラム] いかさまサイコロ
第4章 コンコルドの失敗か?
1 大陸への扉が開いた
2 大陸日誌2009
伏木港からの日本出国
ルーシ号の船客
腰痛のカラータイマー点滅下のロシア入国
出発準備で東奔西走
初めてのルシアンジープ
最初の猟
大陸側から望む間宮海峡
バム鉄道の終着駅
基地跡に連泊
軍用車両改造ホテル
強いられた安息日
アムールトラの足跡に冷や汗
怪しい宿泊施設
アムール河口の辺境の町、デ=カストリ
吉凶相半ば
間宮海峡側の採集目標達成
琥珀が転がる河原
極東でユダヤ?
ユダヤ自治州の南縁にて
親分子分の関係
ビキンの鉄道員宿舎
ロシア版の道の駅
一見さんお断りのホームステイ
初めてのご出勤
三段階の作業
沿海州でのカラス採集、目標達成
ポクロフスキー公園で職務質問
アルセーニエフとデルス・ウザーラ
殺せなかったハシブトガラスの雛
お買い物
ラストスパート
フェイルセーフ
上弦の月に起こされて
最後の出勤
ウラジオストク出航
Amazing Grace の海と旅の終わり
[コラム]わが子への安全教育
第5章 頭骨小変異と係数倍で謎が解けた
1 形態からのアプローチ
2 遺伝子からのアプローチ
3 救世主、頭骨小変異
4 頂上直下までたどりついたが、立ちはだかる壁
5 未明のAHA!!
[コラム]ロシア側の三地域間比較と樺太・北海道比較
第6章 学際協力
1 思いもかけぬ共同研究者との対立
2 新たな証拠の出現
3 新しい地平
[コラム]異端訊問審査官(インディクション・エスパニョーラ)
エピローグ ハシボソガラスのサクセス・ストーリー
論文で使用した5枚の図表
謝辞
発表論文・著作リスト
交雑帯はエル・ドラド
生物を学んでいない人ですら、ダーウィンから進化論を、メンデルから遺伝の法則を連想する。内容を知っているかとなると、大学を卒業した人でも怪しいのだが、それはともかく二人の知名度は高い。
現代生物学の二つの屋台骨である進化と遺伝の創設者なのだから当然である。現代では生物学の研究領域は細分化され、それぞれの研究者は蛸壺のように狭い領域内で、プロとしての高い完成度を持つ成果をあげようと努力している。日常的にはローカルな課題に取り組みつつも、グローバルな課題である進化や遺伝との関わりも忘れない。
種分化という研究領域では二つの課題、進化と遺伝が交錯する。聖書の創世説ではすべての生物は神がアダムとイブのために創造したことになっている。ダーウィンの一世代前までは創世説が学会の公認で、ラマルクのような進化論を唱えた先覚者はキュビエなどの学界の重鎮から袋叩きにあった。恐竜の化石などはノアの洪水が何度も起きた証拠であり、罰当たりな生物は神の怒りをかって滅んだのだと説明されてきた。そうだとしたら、神は原初に膨大な数の種を創造し、時とともに種の数は減少してきたことになる。しかし、現在では創世説は宗教上のドグマとなり、科学研究の指針ではない。現代の生物学は原初に一つの生命体が誕生し、これが分化を繰り返して多くの種を生み出したとみなしている。種分化を研究すれば、進化と遺伝についての理解を深めることができる。
種分化が起こるきっかけの一つが気候変動である。間氷期の暖かい時期に広い範囲に連続的に分布していた集団が、氷河期が到来した時、氷床や砂漠により分断されることは珍しくない。最近の三百万年の間に何十回となく起きた。分断されると遺伝的な交流が絶たれるので、分断された集団内では遺伝的変異が別々に溜めこまれてゆく。ある臨界量に達すると、それぞれの集団は別の種となってしまう。そうなると、自然状態で別々の集団に属する雌雄が出会っても交雑は起こらない。気候変動による隔離が長引くことで、一つの種が複数の種に分化してきた。
氷河期に別々の狭い避寒地にとじこめられていた集団はつぎの間氷期の訪れとともに分布域を拡大してゆく。久し振りに、たいていは十万年以上の別離の後であるが、二つの集団が出会うことが起きる。出遭っても別々の種となっていれば、もはや赤の他種(他人)であり交雑は起こらない。しかし、別種の水準まで変異の蓄積が進んでいないと、交雑が起こり、子どもが生まれる。その子どもたちが稔性(繁殖能力)を持つなら、二つの集団の分化は不完全であったことが明らかになる。
少し話が抽象的になったので、身近な具体例を紹介しよう。約二十万年以前に出アフリカしたネアンデルタール人はヨーロッパから中近東にかけて広域に生息し、数万年前に滅んだということになっている。欧米の研究者の多くは、絶滅の原因は自然選択によるのだと説明してきた。前世紀の中頃には、われわれの祖先は生まれながらに殺し屋であり、ネアンデルタール人と共存共生の道を選ばず、異形の者たちを皆殺しにしたと考えた。前世紀末になるとオリエンタリズム批判の余波であろうか、ジェノサイド説は影をひそめ、絶滅の説明はエレガントになった。急速に発達した生化学は現生人類が遺伝的に優れていることを証明する遺伝子を探し出してくれた。類人猿と現生人類の遺伝子を比較し、彼らに無くて、われわれに有るものを探し出した。いくつかの有望な遺伝子が「発見」され、それらの遺伝子は言語能力や道具の製作、社会的コミュニケーションに関係しているという。そうした遺伝子を欠いていたネアンデルタール人は、現生人類との生存競争で敗れたのだと推理した。
しかし、化石としてしか残っていないネアンデルタール人の遺伝子を復元するのは難しいし、全遺伝子配列が復元されるのはいつになるか見当もつかない。生化学者の主張する現生人類だけにある遺伝子が、ネアンデルタール人になかったという直接の証拠はない。先住のネアンデルタール人は類人猿よりもはるかにわれわれの側に近く、有望な遺伝子を共有していた可能性のほうが高い。欧米の研究者はネアンデルタール人に対する偏見が伝統的に強く、彼らが復元した顔や姿勢には類人猿的要素が積極的に取り込まれてきた。われわれとは別の、現生人類より進化的に一段階低い生物と見なしたいらしい。
これは本当なのだろうかと果敢に疑問を発したのがスヴァンテ・ペーボだった。彼はネアンデルタール人と判定されている化石人骨から、バラバラになって変質もしていたDNAを抽出し、解読することに成功した。解読に成功した部分を現生人類と比較することで、ネアンデルタール人とわれわれの祖先が交雑していたことが明らかになった。先住のネアンデルタール人のテリトリーに、中央アジアから分布域を拡大してきた現生人類の祖先が侵入した。分布が重なる地帯では共存共栄したり、対立抗争したりしたのだと思う。両集団の祖先が分かれたのは数百万年前という遠い昔ではなく、せいぜい数十万年前のことであったから、別種となるまでには至っていなかった可能性が高い。
容貌やコミュニケーションの方法がかなり変わっていても、交雑は起こりうる。以後数万年にわたって交雑が続き、両集団の分布が重なる地域は拡大していったというシナリオのほうが自然である。両集団は融合してゆき、区別がつかなくなるほどに遺伝的に混交が進んだのだろう。戦争ばかりでもなく、平和ばかりでもない関係である。交わりつつも、殺し合ってきた人類の歴史を振り返って見ればいい。
もっと新しい例があった。コロンブスの「新大陸発見」に続くスペイン人の中南米への侵入で生まれた交雑帯である。スペイン人の祖先とアメリカ先住民の祖先が分かれたのが中央アジアだとしたら、二つの集団の隔離期間は約十万年である。それほどの隔離があっても、スペイン人の男と先住民の女が交雑するのに何の障害もなかった。顔つきも、話す言葉も、習慣も大きく異なっていたのに。この場合も、両集団は別種の段階に至るまで変異を溜めこんでいなかったのである。
生物の二つの集団は、どこまで変異を溜めこんでいったら別の種に分化したと言えるのだろうか? ネアンデルタール人と現生人類の祖先が出遭った時、スペイン人とアメリカ先住民が出遭った時、両集団の変異の蓄積は種分化のレベルにまで達していなかった。別種になったか、なっていないかを知る手がかりが、交雑帯に隠されている。残念なことであるが、今あげた二つの事例は過去のものであり、交雑の実態を復元するのは容易ではない。しかし、人類以外に視野を広げれば現在進行形の交雑帯は存在する。ヨーロッパの中央部には全身真っ黒のハシボソガラスと黒と灰色のズキンガラスが交雑帯を形成している。その地域での研究からは、多くの新知見が得られている。交雑帯は種分化の研究者にとってエル・ドラド、黄金郷である。(後略)