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日本の西洋医学の生い立ち
南蛮人渡来から明治維新まで

著者……吉良枝郎 →→著者略歴と主要著書
2000円 四六判 222頁 2000年3月発行

日本人はどのような困難を乗り越えて西洋医学を学んできたのか。
聴診器の導入、麻酔手術のはじまりなど、「南蛮医学」の時代から、幕府の圧力下での蘭方医の苦闘まで、順天堂大学で医学部長をつとめた医師がコンパクトにまとめた、わかりやすい医学史。

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【主要目次】
第1章・南蛮医学---その渡来時の世界および日本の状況
●ローマ教皇の世界二分割
●南蛮人種子島漂着
●16世紀の日本の東南アジア交易
第2章・南蛮医学---カトリック宣教師のもたらした医学
●ザビエルの渡来
●南蛮医学の導入者、アルメイダ
●バテレンの日本語
●栗崎流、沢野流南蛮外科
第3章・紅毛医学---日本を舞台とした南蛮人と紅毛人の争い、そして長崎の出島へ
●按針横丁、八重洲
●日欧交易の主役の交代と鎖国
●島原・天草の乱
第4章・紅毛医学---通詞による、あるいは見よう見まねでの西洋医学の導入
●ケンペルと綱吉
●紅毛時代の日本人のオランダ語
●外科が主流の紅毛医学、その実態
第5章・蘭学の時代---日本のルネッサンス、『解体新書』の刊行
●吉宗の蘭学学習命令
●日本人の解剖学への関心
●解体新書刊行と蘭書翻訳
●江戸から広がった蘭学塾
●第二の海外への窓、長崎屋
第6章・フランスによるオランダ占領時代の長崎出島
●日本にも影響を与えたフランス革命
●長崎港内でのイギリスの横暴
●海外情報の収集に積極的になった幕府
●第二、第三の外国語の学習
第7章・シーボルト---再建オランダの代表として
●オランダ威信回復の試み
●シーボルトの弟子たち、彼の教育法
●シーボルトの貢献
第8章・シーボルト事件後の日本の蘭学
●オランダ商館医の不在
●シーボルトの弟子たちの活躍
●シーボルトの弟子たちと次世代の蘭学者
●蛮社の獄
●蘭学の圧迫
第9章・ペルリ提督来航---当時の各国の日本に対する理解、対応、日本の海外への理解
●すでに世界に知られていた日本
●国際法での「文明国」と「未開国」
●環太平洋の状況
●日本も世界のことをかなり知っていた
第10章・ペルリ提督は日本の医学にも大きな衝撃を与えた
●ポンペ・ファン・メールデルフォールト
●基礎知識を欠いていた日本人医師
●日本人はどのようにして医師となったのか
●訳本を普及するための木版印刷、筆写
●日本人のオランダ語会話能力
第11章・ポンペによる日本で初めての五年間にわたる医学教育
●ポンペの医学伝習カリキュラム
●医学伝習に加わった学生たち
●適塾塾頭長与専斎の参加
●麻酔薬クロロフォルムの導入
●日本初めての医師による人体解剖
●西洋式病院、長崎養生所の建築
●伝習終了時の学生への評価
第12章・ポンペの医学教育を彩った当時の日本の時代背景
●転換期での医学伝習
●伝習二年目、コレラの侵入、安政の大獄
●蘭方医学に貢献した井伊大老
●遣米使節団と咸臨丸
●伝習五年目、攘夷の激化
第13章・ボードウィン、マンスフェルト、そして維新へ
●五カ国通商条約の勅許へ
●ボードウィンの伝習にも多くの学生が参加した
●キュンストレーキを使った解剖学
●マンスフェルトも人体を解剖した
●精得館から長崎医学校へ
第14章・幕末から維新にかけ日本に滞在した外国人医師たち
●幕末江戸への医学校設立計画
●幕末オランダ医学留学生の四人
●新政府大阪への医学校設立計画
●オランダ医学からドイツ医学へ
●幕末に貢献した外国人医師たちの維新後
●維新後もお雇いオランダ人医師がきた
●幕末にはいろいろの国の医学が見られた
第15章・維新を通り抜けた蘭方医
●勤王、佐幕に分かれた同学蘭方医
●蘭方医、蘭学者の維新後
●神田お玉が池の種痘所
●第一回日本医学会
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