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ゲスト オブ ヒロヒト 新潟俘虜収容所1941〜1945 【書評再録】 | |||
●毎日新聞社会面(1995年12月12日)=1941年12月8日の太平洋戦争開始直後、香港での戦闘で日本軍の捕虜となり、終戦までの4年間、捕虜生活を送ったカナダ人元兵士の手記が出版された。当時の連合国軍捕虜の手記が日本で出版されたのは初めてだ。 当時の収容所の実態がつづられた貴重な記録ともいえる。 邦訳出版を機に来日したカンボンさんは、「日本への恨みを綿々と書き連ねたのではない。むしろ、この手記は、二度と同じ戦争を繰り返さないための希望へのメッセージ」と語った。 ●東京新聞特報面(1995年12月12日)=香港に侵攻した日本軍との戦闘で捕虜になった元カナダ兵ケネス・カンボン氏が新潟の捕虜収容所での苛酷な体験を赤裸々につづった。カンボン氏が過ごした新潟の捕虜収容所第五分所は、東京裁判でBC級戦犯として死刑を宣告されたが、減刑された「私は貝になりたい」を著した加藤哲太郎中尉が所長として絶対的な権力を行使し、カナダ人捕虜は想像を絶する劣悪な状態に置かれたという。 シベリア抑留記など第二次大戦での日本人捕虜の体験記は戦後、数多く発表されているが、逆に日本国内の捕虜収容所での体験記は東京裁判での証拠資料以外はほとんどない。 ●朝日新聞評(1996年1月22日)=第二次大戦中、真珠湾奇襲直後の香港での戦闘で投降し、18歳で日本軍捕虜となった元英連邦カナダ兵が、終戦までの苛酷な収容所体験を日本で出版した。 ●新潟日報評=戦時、“ヒロヒト天皇の賓客”として俘虜生活を送った著者が、過酷な状況下でいかに生への意志と勇気を貫き、人間らしさを得ていくのかを記録した。ふとしたキッカケでカナダで出版され高い評価を受けた貴重な本。 ●新潟日報評(1995年8月10日)=新潟市に捕虜収容所があったことを知る人は今どれだけいるだろうか。戦時中日本軍に捕えられたカナダ人、ケネス・カンボンさんは、日本が敗戦になるまでの約二年間、新潟市で捕虜として過ごした体験記を出版。旧連合国兵士が自らの捕虜収容所での生活記を日本で出版するのは初めて。 翻訳者の森さんは「軍隊の残虐行為は、聞いてはいたがあらためて驚かされた。私たちは反対側(加害者側)の立場も見るべきだと思う」と語る。 ●世界評(1996年2月号)=「孫に読ませるつもりで」書いた文章が、いくつかの偶然のために「ゲスト・オブ・ヒロヒト」というタイトルで出版され、カナダとイギリスでベストセラーとなった。 日本軍俘虜となった連合軍の一少年兵士の、失望と希望、また収容所の日本兵たちが俘虜をどのように取り扱ったか、そこにはどのような個人差があったのか、民間人の俘虜への眼差しはどうだったか、といったことが、すなおな感覚で活写されている本である。 従来のこの種の本にありがちだった告発調の少ない、不思議な文章だ。 ●出版ニュース評(1996年2月下旬号)=カナダ・ロイヤル・ライフル連隊のひとりとして、香港で日本軍と戦い、破れ、捕虜になり、新潟の収容所で「ゲストオブヒロヒト」となったカナダ人の記録。戦闘の批判もある。英軍指揮官への不満も覗く。激戦の状況も詳細に描かれる。むろん中心をしめるのは、収容所での日々の苦難。 末尾に戦犯裁判に取り上げられた証言と供述の抜粋があるが、過去を忘れはしないものの、人間の愚行には暖かい眼を注ぐ。 ●カルチャーカナダ評(1996年1月号)=孫に語り伝えるために書き始めた手記が本になったもので、日本の捕虜収容所経験者の著作が日本語で出版されたのは初めて。憎しみを伝えるためではなく、過ちを繰り返すことのないように希望を込めて書いたという。 ●赤旗評(1996年3月11日)=新潟俘虜収容所の最後の所長は『私は貝になりたい』の著者、加藤哲太郎氏である。本書にはその「カトウ中尉」の「捕虜処刑に関する法廷供述書」も収録されており、戦争の加害と被害の重層的な関係をあらためて問いかけるものとなっている。 | |||
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