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北の原野で馬を飼う

【書評再録】


●朝日新聞評(1990年10月7日)=ユートピア作りに生きた戦後の日々。
きびしい自然の中で、人と人、人と動物の微妙な愛情の揺れ動きが、浮かび上がってくる。

●北海道新聞評(1990年10月21日)=台北帝大獣医学科を終えたばかりの著者が、数頭の馬と牛しかいない450ヘクタールもある牧場の経営を任されたところから、8年間の「牧人の物語」が始まる。
厳しい自然の中での人や動物との出会いと友情、子育て。40数年前の新婚当時の甘酸っぱい思い出が生き生きと描かれている。

●愛媛新聞評(1990年10月29日)=敗戦後間もない北海道根釧原野で、一人の引き揚げ青年が酪農村の建設を夢見て、牧場経営に取り組んだ。本書は、苛酷な自然を相手に牧人生活を送った8年間の牧場日誌だ。
日誌は、家族が北海道を去るところで終わるが、全編が、根釧原野の大自然にあてて書いた恋文ににて、清新な気分に満ちている。

●日本農業新聞評(1990年9月19日)=詩情溢れる物語である。そして自然に対する愛情が動物、ひいては人間への愛情の源であることを感じさせる話である。終戦直後、北海道根釧原野で牧場経営に取り組んだ著者の思い出の記に過ぎないのだが、その思い出のなかには北海道の自然の豊かさ、厳しさがあふれ、その自然のもとで動物や家族と控えめに生きてきた人の暮らしぶりが、ひしひしと伝わってくる。
わずか四十数年前の話である。でも、そこにはわれわれ現代人が立ち止まって考えてみなければならない生活の原形がある。

●サンデー毎日評(1990年10月7日号)=職人のリアリズム、とでもいうようなものがある。具体的なものを身の大きさで扱い続けることで編み上げられてくるある種の透徹したまなざし。それはことばの上での制約や約束ごとに知らずに縛られている文筆の徒の及ばない角度からの現実を、ポロリあっけらかんと描き出したりする。この本もそうだ。
冬が来るたびに死んでいく生きもの。狼や烏の襲撃。大形の重種馬を呑みこむ雪解け時の沼地ヤチマナグ。単なる家畜でも資源でも、ましてペットでもなく、日々身近に肩寄せあい生き抜く馬や牛や羊や鶏の微細な描写が淡々となされ、その分、その生と死についても乾いた眼が光る。もちろん、人も同じだ。半ば野人のように北海道に生き、牧場の隅に小屋がけする無口な年寄りたちがいい。自力の座産で子を産む女房がいい。牛の腹の下をくぐり、生イモをかじり、いつもわけのわからないことをつぶやいている小さな娘がいい。開拓時代のアメリカのような大きな図太い生のリアリズム。背筋を伸ばして「北の国の習い」を歌う道産子、中島みゆきに読ませてみたい。

●畜産コンサルタント評(1991年No.315)=戦後間もない根釧原野のまっただ中で、台北大学の獣医科を出たての著者が、牧場経営に取り組んだ8年間の体験記である。戦後食糧難時代の一種の現実とロマンを感じさせる。著者はこの根釧の大自然に魅かれ、牧場を切り開いていくが、同じくこの大自然を愛した奥さんとの結婚、そして出産、子育てといった大きな節目を体験していく。牧場を去るまでのさまざまの動物と人間が織りなす出来事を、人間性と愛情あふれる筆致でつづる。

●名大ジャーナル評(1990年11月20日)=動物たちとの交わりとともに、求婚から結婚、出産、子育てといった家族との関係にまで話が及んでいる。13編からなるエッセイひとつひとつからは、広大な根室原野に生きる人間と動物たちの力強い躍動感と、厳しい自然の中で育まれた優しさというものが感じられる。
家族との交わりを赤裸々に描いた内容であり、それだけに読む者に深い感動を与える作品である。
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