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小泉八雲 蝶の幻想 【内容紹介】本書「編訳者あとがき」より | |||
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、私にとっては少年のころ、「雪おんな」「むじな」「耳なし芳一」など、いくつかの小品の解説によって、はじめてひと時通り過ぎていった作家であった。 私は生涯の職業として応用昆虫学を専攻し、半世紀に近い年月を農学の、それも化学と統計学にまたがる境界領域で仕事をしてきたが、ハーンの文学に親しむ機会は、その後もいろいろな形で与えられた。それはハーンが大の虫好きで、その作品のなかにしばしば虫のことを書いていたからである。 しかし晩年を迎えて、私がにわかにハーンの文学に傾倒するに至った大きな機縁は、実働の最後期の7年間を、島根大学において、青年子女の教育と専門の研究に携わる、多幸な時を持ち得たことによっている。 明治23年、ハーンが初めて訪れたころの面影を、百年経てもなお色濃く今に残す松江における私の生活には、幾たびかハーンの松江が重なっては消えていった。ハーンが生涯で最も幸福であったという、この地で過ごした月日の、5倍の年月の間に、私はハーンの作品を読みかえしながら、時をかえ、季節を選んで、ハーンの足跡をくまなく尋ねて歩き、ハーンの愛した穏やかな土地の人びとの生活にも触れた。そして大学図書館をはじめ、八雲旧居、記念館などでは、ハーンの遺品、遺墨を幾度か眼にし、その都度感慨を新たにし、しばし時を忘れた。 またハーンの文学を愛し、研究する人びとの多い土地ゆえに、そうした諸先輩の諸説に接する機会にも恵まれた。この本の下書きは、そうした十年余の年月の間に少しずつ作られたものである。 ハーンは虫を愛した。夏は蛍の灯を楽しみ、虫の鳴く秋がくると、虫売りからいろいろな種類の鳴く虫を買ってきては、愛用の籠に入れてその声を賞でていた。しかし自ら蜻蛉を追い、蝉を捕え、また蝶を飼育してその標本を箱に並べるということをした人ではない。ただその姿、形をながめ、声を聞いて物語を構成していった作家であり、昆虫に対する幻想とロマンを最大限に歌いあげた詩人である。 そしてまたハーンが執筆の資料としたものは、古い和書漢籍であり、日本の各地に伝わる民間説話の類であって、つねに民俗学者的な眼で昆虫を見ていた文筆家であった。 また参考にした自然科学書にしても、すでに今から見れば古典といわなければならないものである。それゆえ今日の昆虫学の常識からして、当らない点がその作品の中にあったとしても不思議ではない。だからといって度を過ぎた自由訳と訂正が適当でないことは論を待たない。ただ蜻蛉や鳴く虫の名前など、今の名前が該当するものはそれにおきかえ、またいちいちことわらないが、最近の述語によるほうが、現在の人びとが読むうえで理解が容易であると考えた部分の書きかえを行った。 | |||
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