| 蔵治光一郎+保屋野初子[編] 2,800円+税 四六判上製 264頁 2014年8月刊行 ISBN978-4-8067-1480-4 流域圏における「緑のダム」づくりの科学的理論と実践事例を、 第一線の研究者15名が解説 |
蔵治光一郎(くらじ・こういちろう)
1965年東京都生まれ。東京大学農学部林学科卒業、同大学院博士課程在学中、青年海外協力隊員としてマレーシア・サバ州森林研究所に勤務。博士(農学)。東京大学助手、東京工業大学講師を経て、現在、東京大学准教授、大学院農学生命科学研究科附属演習林生態水文学研究所長。
著書に『森の「恵み」は幻想か─科学者が考える森と人の関係』(化学同人)、『「森と水」の関係を解き明かす─現場からのメッセージ』(全国林業改良普及協会)、監訳書に『水の革命─森林、食糧生産、河川、流域圏の統合的管理』(築地書館)、編著書に『水をめぐるガバナンス─日本、アジア、ヨーロッパの現場から』(東信堂)、共編著書に『森の健康診断─100円グッズで始める市民と研究者の愉快な森林調査』『緑のダム─森林・河川・水環境・防災』(以上、築地書館)など。
保屋野初子(ほやの・はつこ)
1957年長野県生まれ。法政大学大学院修士課程修了(政治学修士)、東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了(環境学博士)。
環境ジャーナリストとして執筆活動を行うほか都留文科大学非常勤講師などを務める。
著書に『川とヨーロッパ─河川再自然化という思想』、共編著書に『緑のダム─森林・河川・水循環・防災』(以上、築地書館)、『流域管理の環境社会学─下諏訪ダム計画と住民合意形成』(岩波書店)など。近刊に『社会的共通資本としての森』(宇沢弘文編、分担執筆、東京大学出版会)がある。
目次
はじめに
第 1 章 緑のダムの科学、最前線
緑のダムづくりとは何か ―― 蔵治光一郎
75年を超える長期観測からわかったこと ―― 五名美江・坪山良夫
河川工学、治水の立場から ―― 山田正
豪雨時に森林が水流出に及ぼす影響をどう評価するか ―― 谷誠
人工林の放置、荒廃による水流出への影響と、間伐による効果 ―― 恩田裕一
緑のダムと水資源 ―― 沖大幹
緑のダムと災害に強い森づくりの探求 ―― 片倉正行
第 2 章 緑のダムの実践と政策
緑のダムのこれまでとこれから ―― 太田猛彦
多様な主体による森林管理と地域づくり ―― 茅野恒秀
緑のダムを支える森林環境税の成果と課題 ―― 石倉研
神奈川県の参加型税制、順応的管理による緑のダムの保全 ―― 内山佳美
矢作川流域圏における森づくり実践活動 ―― 蔵治光一郎
森林計画に水源涵養機能をどう反映させるか ―― 泉桂子
河川計画に流域の保水機能をどう反映させるか ―― 関良基
グリーン・インフラストラクチャーとしてのEUの治水 ―― 保屋野初子
コラム 水循環基本法とEU水枠組み指令―「流域」が主役となる水政策 ―― 保屋野初子
おわりに
用語解説
索 引
「緑のダム」に関する科学的、社会的な議論は、10年ほど前にピークを迎えていた。手入れされず荒廃していく人工林に対する人々の懸念、ダム建設をめぐる各地での対立といった社会状況を背景に盛り上がりをみせた。言いかえると、社会が、地域に生きる人々が、「緑のダム」の科学を求めていたのである。その期待に応えようと2004年、編者は『緑のダム─森林・河川・水循環・防災』を刊行し、科学的知見の現状を示すとともに社会と政策への人々の期待をありのままに紹介した。結果的には、「緑のダム」への当時の大きすぎる期待に対して、その限界も含めた、もう少し客観的で等身大の「緑のダム」を示すものとなった。
その後、政権・政策の変転のなかで「緑のダム」論争も下火となったようにみえる。しかし、日本人の森林機能に対する期待には根強いものがある。急峻な山地を背負う扇状地周辺に住まい、生業のための資源を小さな流域で確保し、すべての恵みをもたらす奥山や水源地に信仰や祭りの源を求めつつ生きつないできた人々の歴史は、森林に特別の感性と実利を期待させつづけているとしても不思議ではない。さらに近年では、雨の降り方や気象条件が大きくゆらぎ、戦後直後の頻発期以来、再び土砂災害や水害が増えている。以前とは別の、将来の安全確保のための「緑のダム」に対する切実な期待感が生まれてきていると思われる。
本書は、この間の「緑のダム」に関する科学的知見の前進、各地で始まった実践と政策的課題について盛りこんだ、それぞれ一線に立つ専門家15名による「緑のダム」最前線の書である。
そのような状況の変化のもとでの緑のダムの科学においては、より具体的で実践的な研究が進められている。水文学や工学の分野では、豪雨、災害、人工林、水資源、長期観測といったキーワードが、研究が向かう先を示しているといえそうである。そういった自然科学の知見と並行して、さらに精力的に推し進められているのが、市民活動や政策的な緑のダム整備に向けた実践・政策的な現場の科学である。完璧な科学的解明を待ってばかりいられない、森林や地域の実情があるからだ。
自然科学的な研究と、実践・政策的な現場の科学とが協調あるいは刺激し合い、互いにフィードバックが反映される緑のダムの科学が成立していくことが望ましいと編者は考える。そこで本書では、さまざまな立場の専門家が最新の知見を示すというだけでなく、この先の日本の国土や地域の管理をどうしていくのかという、未来に向けた提言を含んだ研究内容を紹介・解説していく。
私たち編者は、緑のダムの議論は森林の機能論に限定されるべきものではなく、今後の地域社会のあり方や科学のあり方をも視野に入れた幅広い議論でありたいと考えている。その場合、緑のダムづくりの地理的範囲やその主体も一体的に検討する対象として「流域圏」という地域単位を提案したい。本書ではそこまでの道筋を示していないが、ヨーロッパの先進的な水政策に見るまでもなく、「流域単位」での政策は、2014年3月に成立した水循環基本法の本来の趣旨でもある。
この日本列島という複雑で険しく多様な自然的条件のもとで、私たちはどのようにそれぞれの条件と折り合い、豊かな暮らしと社会を維持していくのがよいのだろうか。将来のあり方をも思い描きながら、この本の一つひとつの論考を読んでいただければ幸いである。
保屋野初子
蔵治光一郎
緑のダムとは何か
緑のダムとは、森林が生態系としてもっている多様な作用のうち、まるで人間の利便性や防災上の必要性に合わせているかのように河川の流量を調節する機能(自然の恵み)を発揮する森林のことであり、この機能を緑のダム機能と呼ぶ。
河川に対して人間が求めてきたことは、流量が多すぎるとき(洪水時)には一時貯留して流量を減らしてほしい(洪水緩和)、少なすぎるとき(渇水時)には一時貯留していた水を流すことで流量を増やしてほしい(渇水緩和)という「誠に勝手な都合」である。洪水が人間に被害を与えることを水害、渇水が人間に被害を与えることを水不足という。本書の第1章で沖大幹が述べているように、人間は遅くとも紀元前2500年頃から、水害や水不足を避けるために河川をせき止めてダムを造ってきたようである。初期のダムは土で造られたが、やがて石積みになり、コンクリートになった。以下ではコンクリートダムを単にダムと表記する。
森林は、人類が地球上に現れる前から、生態系として、水の蒸発・蒸散・浸透・保水・透水の各作用を常に同時に働かせてきた。これらの複合作用が、人間が河川にダムを造ることで求めてきた洪水緩和・渇水緩和「機能」と似たような作用であったことから、森林を緑のダムと呼ぶようになったと想像される。
ここで水源涵養機能と緑のダム機能の違いについて整理しておく。かつて水源涵養機能とは渇水緩和機能だけを意味する言葉として使われ、洪水緩和機能とは別であったが、近年では、森林が水に及ぼす作用のうち、人間の利便性や防災上の必要性と合致する作用を総称して森林の水源涵養機能と呼ぶようになった。具体的には、洪水緩和機能、渇水緩和機能(水資源を貯留し、水量を調節する機能)、水質浄化機能の3つである。そして、この3つのうち水質浄化機能を除いた2つ、洪水緩和機能と渇水緩和機能をあわせたものを緑のダム機能と呼ぶことが多い。
緑のダムという言葉がおそらく最初に登場したのは、古井戸(2006)によれば、1975年1月5日付朝日新聞の記事であり、その見出しには「水確保へ"緑のダム"作戦」とある。当時は水需要の増大に新規水資源開発が追いつかず、水不足が起きていた時代で、森林に期待されていたのは洪水緩和機能よりもむしろ渇水緩和機能であったことがわかる。また当時は森林管理の費用を下流域の水のユーザーにも負担してもらいたいという森林側の意向もあった。なお、緑のダムという言葉がまだ登場していなかった時代の議論については第2章で太田猛彦が詳しく述べている。
どのような文脈の中で「緑のダム」議論がなされてきたか
1980年代には白神山地、知床、屋久島などにおいて天然林伐採の行きすぎが問題となり、保護すべき森林としてのブナ林から流出する河川が清冽で流量も多いことから「ブナの森は緑のダム」というキャッチフレーズが使われるようになった。1990年代は長良川河口堰をはじめとするダム反対運動が全国で活発化し、1997年には河川法が改正され、学識者、住民、自治体の意見を河川計画づくりに反映させる扉が開かれた。
2000年には民主党の諮問委員会が「緑のダム構想」を答申、翌2001年には田中康夫長野県知事が「脱ダム宣言」を行い、ダムは緑のダムで代替可能という主張が現れた。ダム建設事業を進めていた事業者はこの動きに反発し、緑のダム全否定論で対抗した。長野県、吉野川、球磨川などを舞台として、緑のダムを肯定する論者と全否定論者が正面から論争する事態となった。2009年には「みどりのダム構想」を公約に掲げた民主党を中心とする連立政権が発足した。民主党政権は、新規ダム事業の進行を一時停止させ、「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」を発足させた。会議の委員には緑のダム機能の研究者も入ったが、非公開で行われ、費用対効果を勘案して代替案よりもダム案が有利という結論が次々と出された。ついには民主党政権の看板公約の一つであったはずの八ッ場ダム中止も撤回された。森林の分野では、公益的機能重視から木材生産重視に転換し、木材生産量と木材自給率を2020年までに2009年の約2.5倍に引き上げることを目指す改革(森林・林業再生プラン)が推進された。
2012年に政権が自民党にもどり、民主党の改革の路線は一部修正されたが、基本的な方向性は変わっていない。自民党政権の政策に照らしても、水管理行政、森林行政のいずれでも、今後しばらくは、緑のダム機能を重視しない政策がとられることが確実な情勢である。
水量に関する論争と研究の進展
森林が河川の水量に及ぼす影響を研究する学問は森林水文学と呼ばれる。過去100年間、森林水文学は少しずつではあっても確実に進歩してきたが、森林と水の相互作用はとても複雑であり、科学的に未解決の課題もたくさん残っている。
緑のダム機能のうち、洪水緩和機能を知るには、洪水時の流出について現地観測を行い、データを集め、解析することになる。河川計画の対象となるような洪水はごくまれにしか襲来しない。また想定外の規模の洪水が襲来すると、河川ぞいに設けられた観測装置が壊れたり流出したりしてデータが取れない。そのため、洪水緩和機能の研究には、洪水にも耐える装置で、長期間の観測を継続する必要がある。このような観測は東京大学が愛知県で、また森林総合研究所が山形県、群馬県、茨城県、岡山県などで戦前から続けている。本書では第1章で五名美江・坪山良夫がそれらを網羅的に紹介するほか、谷誠が岡山県のデータを用いた実証的研究を紹介している。谷は洪水緩和機能のメカニズムについても詳しく解説している。
洪水だけでなく渇水も、まれにしか起きないため、渇水緩和機能の研究には、渇水期の少ない流量を精密に測定できる装置で、長期間の観測を継続する必要がある。本書では紹介されていないが、東京大学演習林生態水文学研究所では72年間のデータを用いた渇水の研究が行われ、ハゲ山再生林の長期間のゆっくりとした成長が渇水流出量に及ぼした影響は、降水量の変動による影響よりも小さいことが見出されている(蔵治・芝野、2002)。渇水緩和機能は、森林の機能として長年信じられてきた機能であるが、小さい流域であっても多くの要因が複合的にかかわっており、そのメカニズムを解明することは容易ではない。はっきりしていることは、第2章で泉桂子も述べているように、森林から水を失わせる蒸発散作用は、洪水緩和機能にはプラス、渇水緩和機能にはマイナスに作用するため、両機能がトレードオフの関係になってしまうことである。
多くの人が知りたがっているにもかかわらず、科学的に明らかになっていないことの一つが、針葉樹林と広葉樹林で、緑のダム機能に差があるかないかという点である。これまでは常緑針葉樹林と落葉広葉樹林を比較した場合、落葉広葉樹林のほうが、蒸発散量が少ないといわれてきた。しかし最近、この説の根拠となっていた米国での観測研究や全世界の研究成果をとりまとめた総説の再検討が行われ(たとえば田中・鈴木、2008)、その結果、両者には大きな差はないとする説が有力となってきたが、まだ確たる証拠はない。差がないとする研究者も、その差の原因について、冬の降水の樹冠遮断による蒸発量は常緑針葉樹林のほうが多いが、冬の降水量が少ない地域ではその差が小さくなるので、結果として常緑針葉樹林と落葉広葉樹林の蒸発散量に差がほとんどなくなると解釈している(小松、2010)。日本では渇水は夏に起こる場合と冬に起こる場合があるので、現時点での知見では、常緑針葉樹林と落葉広葉樹林は、冬の渇水の場合に限り、落葉広葉樹林のほうが常緑針葉樹林よりも渇水緩和機能が大きいと理解してよさそうである。
論争として残っていることのうち最も大きな論点は、洪水緩和機能に関して、治水計画の対象となるような豪雨時に、河川下流の基準点における流量に森林の質的な変化が及ぼす影響は無視できるのか、できないのかである。またそれに関連して、大流域であっても、森林は過去から現在にいたるまで経年的に変化しているが、それが洪水時の流量の再現計算(シミュレーション)のさいの係数(パラメータ)の経年変化の主要因といえるのかどうかである。前者(豪雨時には無視できる程度か)について、山田正(第1章)は無視できる、谷は無視できないとしており、谷はそのメカニズムについても解説している。後者(森林変化が主要因といえるか)については利根川を例として、関良基(第2章)が主原因といえると主張しているが、谷は本書ではふれていないものの、主原因とはいえないと主張している(谷、2013)。いずれも論争に決着がついておらず、今後、さらなる研究が必要である。
また森林の渇水緩和機能についても、大きい流域で、大渇水のさいにも発揮されるかが重要であるが、沖が解説しているように、河川の渇水流量は地質によっておおむね決まっていて、森林タイプとの関係は希薄である。渇水時の河川水は森林土壌ではなく、その下の岩盤の中に蓄えられた水が流れ出てきていると考えられ、岩盤に穴をあけて水の挙動を探る調査も始まっている(小杉、2014)。
緑のダムづくりとは何か
緑のダムづくりとは、流域を単位として、今ある森林の緑のダム機能を点検し、劣化の恐れがある場合にはそれを食い止める努力をすることである。特に問題となる森林は、日本の森林の約4割を占めているスギ・ヒノキ・カラマツの人工林である。恩田裕一(第1章)が述べているように、これらの人工林は本来、人間が定期的に間伐しないと、木材生産機能を損なうのみならず、緑のダム機能の劣化が起きることが科学的に検証されており、間伐遅れの人工林の増加は即座に流域の緑のダム機能の低下につながる。
全国の流域で、緑のダムづくりの実践が、森林所有者、森林組合、行政、ボランティア、市民の協働で行われている。森林管理には費用がかかり、木材生産の売り上げでそれを賄えなければ、その費用をどこから調達するかという問題が必ず発生する。石倉研(第2章)は全国的な状況を示し、緑のダムづくりという点では神奈川県の事例が最も先進的であることを示す。神奈川県の事例について内山佳美(第2章)は、当事者として現在進行中の成果や悩みなどを含めて紹介する。
また長野県では、2001年の脱ダム宣言や2006年の岡谷土石流をきっかけとして、長野県林業総合センターと信州大学が協働して森林と水プロジェクトを深化させてきたことを片倉正行(第1章)が紹介する。同じ中部地方からは、愛知・岐阜・長野の三県にまたがる矢作川流域の事例を蔵治(第2章)が紹介する。ここでは森林ボランティアが主導して研究者と協働し、市民が発案し、行動する自発的な活動、市が主導する画期的な森林行政、河川管理者による意欲的な取り組みなどが同時進行している。さらに利根川上流で試みられている、緑のダムである水源林の保護がきっかけとなった、国有林、自然保護団体、地元住民による国有林の共同管理について茅野恒秀(第2章)が紹介している。
これからどのような枠組みで考えていくのか――対立、論争から連携、協働へ
森林が人間の利便性や防災上の必要性と合致する働きをしてくれること自体は、「自然の恵み」であり、誰にとっても歓迎されるはずである。にもかかわらず、緑のダムをめぐって賛成と反対に分かれ、論争に10年以上を費やしたことは誠に残念だった。なぜ論争になったか、それは、緑のダム機能を、ダムを全否定するかのような論理に接合してしまったからである。それだけダム反対の潮流が強かったことと相まって森林機能への期待が大きかったからであろうが、日本の高度経済成長を支えてきたダムを全否定されれば、これまで努力してきた関係者は不愉快だったに違いない。
ここで改めて筆者の見解を強調しておきたい。「緑のダム」は万能ではなく、「緑のダム」をもって既存のダムを全否定できるものではない。その一方で、「緑のダム」の能力は全否定されるようなものでもない。ダムと緑のダムにはともに人間の利便性に貢献する機能があり、両者がそろって力を発揮することで、片方だけに偏るよりも、より費用対効果が高い治水、利水が実現できるはずだと筆者は考えている。
既存のダムは、これから老朽化が進み、堆砂も増えていく。新規にダムを造るコストも一段と増大する。一方で、土地の所有権の所在や境界がわからなくなってしまった森林、間伐が遅れた状態で放置されている人工林、皆伐された後に植林せずに放置される山などは年々増加しており、流域全体としての緑のダム機能が徐々に劣化していくことが危惧される。
両方とも劣化するなら、それを回復させるためには、バラバラではなく一体的に行うほうが合理的で、全体の費用も少なくてすむはずである。最近では、国土交通省水管理・国土保全局水資源部が1983年から毎年発行している『日本の水資源』にも「森林の保全及び整備を通じた水源地域の保全」という項目が設けられるようになり、このような認識が広く認められつつある。
2000年代の10年間の論争の時代と、これからの時代が大きく異なる点は、洪水、渇水といった「水量」のみを取り上げて論争するのではなく、森林、河川、水供給域、洪水氾濫の浸水域、海岸などを「流域圏」という一体のものとしてとらえ、水質、土砂、流木、さらに生物多様性、農林水産業、観光、農山村活性化など「流域圏社会」を視野に入れて議論する時代になったことである。そのような議論は以前からあったが、日本では法制度がともなっていないことが最大の障害となり、議論のみにとどまることが多く、実践的な活動は活発とはいえない。
予算がふんだんにあった時代なら、河川は河川の最適化、森林は森林の最適化だけを考えればよかったのだろう。今後、人工林もダムも徐々に劣化していく時代を迎え、流域圏全体の最適化を目指さなければ、いずれ個別には持続可能でも、全体が持続不可能になり、想定外の規模の自然災害が襲来したさい、私たちの利便性追求のために造ってきたダム群や人工林、森林を支えてきた農山村社会は、もはや再生できないほどの致命傷を負うリスクがある。
本書は、緑のダムづくりの自然科学的、社会科学的な理論と実践に関する最新情報を網羅している。現在、残念ながら国の政策としては優先順位を下げられている流域圏の緑のダムづくりを今後加速していくには、2つの方法しかない。1つは国の政策を変えることであり、政権与党や政府に働きかけ、河川や森林の法制度を変えてもらうことが必要となる。今1つは現行法制度の範囲内で、各地方、各地域で自発的、ボトムアップ的な実践活動を積み重ねていくことである。そのための基礎となる知見や、先行事例の具体的、実践的な情報を本書は提供している。
保屋野初子(第2章)が述べているように、ヨーロッパではすでに流域圏を一体のものとして考える方向にシフトし、着々と実践を積み重ねている。東日本大震災を契機として、日本でも、今後の防災や水資源の持続可能性を冷静に考え、河川と森林をバラバラに管理する発想から、両者を統合的に管理する方向にシフトすることを真剣に考えなければならない。
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