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誰にも言えなかった 子ども時代に性暴力を受けた女性たちの体験記

【書評再録】


●毎日新聞評(1991年9月10日)=タブーとされ、存在すら認められなかった子どもへの性暴力。その実態は、日本でも少しずつ明らかになってきている。この問題が社会問題化しているアメリカでの赤裸々な記録だ。
加害者は父親、親戚縁者、知人・友人、そして見知らぬ男。それぞれ数人ずつが体験を語っているが、被害者たちの混乱、困惑、恐怖、怒りが痛いほど伝わってくる。
訳者はまえがきで「彼女たちの声は、まだ沈黙を守り続けている日本の被害者たちの記憶を呼び覚まし、勇気をもたらすことでしょう。言葉を与えてくれるでしょう」と書いている。

●産経新聞評(1991年7月18日)=このアンソロジーは、父、兄、祖父、叔父、知人、そして見知らぬ者から、自分のからだに対する所有の権利を奪われた子どもたちの、読む者の心を絞るような悲痛な叫びの記録である。
大人に依存して生きざるを得ない子どもたちへの理不尽な力の行使に社会の縮図を見る思いがする。同時に、読後、深い感動が残るのは、そうした体験を語ることにより、自らの無垢を確認し続け、自己尊厳を回復しようとする女性たちの強いパワーと勇気に心をうたれるからである。
彼女たちの「語ろう」という思いの激しさは、このアンソロジーに高い文学性を付与している。歌手ビリー・ホリディや女性解放の先駆者ケイト・ミレットの手記をはじめ、多くの無名の無垢の女性たちに人間の尊厳とは何かを教えられる思いがする。

●北海道新聞評(1993年10月19日)=子ども時代に性暴力を受け、何重もの鉄鎖を巻き付けられたように、沈黙しか許されなかった米国の女性たち。殺人に等しい犯罪に傷つけられた彼女らが、死の淵からその体験を語り、告発し、自らの尊厳と愛を取り戻すプロセスをつづった証言集である。
性暴力の加害者の圧倒的多数は男性で、大半が被害者の顔見知りだ。そして社会は、加害者より被害者の責任を問い、沈黙へと追いやる。本書に登場する女性たちの怒りと苦しみは、まず私たち男性に突きつけられたものであり、私たちは加害者論理に組みすることなく、自身の性と生を問い直すべきだろう。
日本でも初の証言集「沈黙をやぶって」が昨年刊行されている。

●京都新聞評(1992年8月24日)=親がふるう子どもへの性的暴力がどのような条件下で起こり、どんなふうにエスカレートするのか。子どもはこの事態をどのように受け止め、どのようにして対処しようとするのか。ひとたび表ざたになったとき、加害者の配偶者、被害者の兄弟、その他の周りの人たちはどんな反応をするのか。そしてこれらの過程で受けた精神的外傷が将来にわたってその子の人生にいかに破壊的に作用するのか。そしてどのように立ち直りを援助し、さらには暴力を防御してゆけばいいのか。
こうしたことひとつひとつについて、被害者自身の告白や文章を丹念に分析するという手続きを踏んで抽出している。特徴的なのは被害者の立場に徹底して身を寄せていることである。
日本ではこんなことは起こっていないと考えているとしたら、それは大きな誤解である。事態は想像以上に深刻なところにきている。その意味でこれは日本の現実を透視するのにうってつけの著作と言える。

●西日本新聞「本と人」欄(1991年6月30日)=「CAPというのは、いじめや性的暴力、誘拐から子ども自身が身を守るための指導センターです。幼稚園児から高校生まで年齢に応じたカリキュラムがあり、私たちスタッフは学校に出かけて指導するんです」
今回翻訳したのは、その運動の中で巡り合ったカウンセラー二人の共著。二人は、性的な被害の体験を文章に書かせることで、被害者の精神的な立ち直りに尽くしている。
原稿には23人の体験記が紹介されている。翻訳にあたっては、森田さんのCAPでの経験から20人分に絞った。
「子どもがどんなに大人を信頼し、その愛情を受けたいと願っているか、自分の子どもから学びました。大人はこの信頼を裏切ってはならないと思います。

●中国新聞「この人」欄(1993年8月14日)=日本では家庭内暴力や体罰などへの関心は高いが、子どもへの性的虐待について語られることは少ない。「でもそれは表に出て来ないだけ」
子どものころに性的虐待を受けた人の証言集「誰にも言えなかった」を翻訳出版した際、100人以上の日本人読者から体験談や手記が送られてきた。

●教育新聞評(1991年7月18日)=アメリカで子ども時代に性暴力にあった女性が、自らの体験を語った。父親、親戚縁者、知人・友人、見知らぬ人によって性的暴力を受けた幼い少女時代を、20人が振り返り、語っている。
一人ひとりの話は、どれもむごく、やりきれなさにとらわれるが、同時に、それを乗り越えた強さが伝わってくる。
本書は、子どもの生きる権利を尊重し、被害者の視点から性暴力問題を分析し、解決方法をさぐろうと編集されている。
今後、子どもに関する性暴力の問題は、日本でも注目されていくだろうが、その際、語り始めることの重要性を指摘するなど、性暴力問題に取り組んでいく姿勢として本書は多くの示唆を与えてくれる。

●出版ダイジェスト評(1991年6月21日)=児童虐待についての本である。日常生活のど真ん中で、性的な暴行を受けた子供たちが、その体験を乗り越えて大人になった今、あるいは、その体験を乗り越えるために書き綴った文章が20編収められている。
この本に登場する女性たちの、自己の尊厳を取り戻していく物語は、少し乱暴な言い方をしてしまえば、子供への性暴力の問題だけでなく、社会的に弱者の地位におかれてきた者が本来もつ力を十分に発揮し、自己決定力を獲得していく物語である。

●週刊文春評(1991年6月27日号)=子ども時代に性暴力を受けた女性たちが赤裸々に綴った体験記。読む人を愕然とさせ、かつ胸を打つ本だ。

●朝日ジャーナル「気になる一冊」(1991年6月28日)=子ども時代に性暴力を受けた女性たちの体験記。
訳者の森田さんは、child sexual abuseを「児童性的虐待」、molestationを「いたずら」と訳したので実情が十分に伝わらないといい、「性暴力について語るための用語や概念が存在しないということは、性暴力が日本の社会で長く無視され、誤って理解されてきた歴史と現状を如実に語っています」と書く。

●女性セブン評(1992年1月16日・23日号)=子どもの時に性暴力を受けた20人の女性の体験記を集めたもので、被害者の視点から性暴力を分析し、解決策を練ろうとするフェミニズム運動の流れから生まれた一冊です。
からだばかりか人間性のすべてを犯されたと感じ、恥辱と絶望の内にいた本書の証言者たちは、勇気をもって自分の体験を語ることで、傷をいやし、生きる強さを取り戻しました。編者はそこに、深い愛情と共感を寄せ、まだ沈黙している他の被害者たちも勇気をもってほしいと訴えています。
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