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宮沢賢治 農民の地学者

【書評再録】


●朝日新聞(斎藤文一氏=イーハトーブ館前館長)評=賢治がすぐれた地質学者であることをあかしたもの。このような賢治像を初めて明らかにした画期的な書。

●東京新聞評(1975年1月27日)=詩人・童話作家宮沢賢治が同時に誠実な農業指導者であり、数多くの作品の中でも岩石や鉱物など自然界に関する幅広い知識を縦横に駆使したことはよく知られているが、どういうものかその学問的水準や表現精度が検討された例は乏しく、ひいては作品理解にも不自由を生じながら、気づかれないまま放置されてきたうらみが濃かった。
本書はまずそうした渇きをいやすための、専門家によるほとんど初のクワ入れとして歓迎されよう。
新鮮な眼による実地踏査をへて、賢治の世界がよって立つ岩盤がまざまざとくりひろげられた観があり、試掘は成功といってよい。
地学と宗教(法華経)とのかかわりという重要なヒントも含め、賢治研究に新しい地平をひらく好著。

●河北新報評(1975年1月27日)=地学者としての賢治を、同じ地質学を専攻した専門家の立場から再評価することによって、その作品に新たな解明を試みた異色の賢治論集である。
「地学は歴史の科学である」と著者は言う。ひとかけらの石から数十万年をさかのぼる地球の、あるいは宇宙の草創期へと思いを運ぶことができる。賢治は詩人である前に一人の科学者として、イギリス海岸の泥岩層に、種山ヶ原の残丘に、化石時代から大地が語り伝えてきた無言のメッセージを探り続けた。そのロマンに満ちた学問に対するあこがれと情熱の発露として、多くの作品は生み出され、農民指導の実践になったと著者は見る。
賢治研究の取り残された部分に新しいスポットを当てるとともに地学の方法論を文芸研究に応用しようとした展開にも、著者らしい意図をくみ取ることができよう。わかりやすい文体が、科学そのものへの興味を引き出してくれるという意味では、中、高校生ぐらいの世代にも読ませてみたい本である。

●河北新報評(1975年1月28日)=私たちがこれまで夢幻的とかメルヘン風などと称してきた浪漫的解釈が、今後かなり再吟味や訂正を余儀なくされるのではないかと思う。多少、賢治の作品を地学に引きつけすぎたきらいはあっても、やはり宮城さんのこの著作が宮沢賢治研究に一石を投じた意義を高く評価したいものである。

●岩手日報評(1975年2月24日)=自然科学者という視点から宮沢賢治の作品研究が新たに始められている。盛岡高等農林学校時代、賢治は農芸化学、地質学などを専門に修めた「科学者」であり、作品にはそれらの影響が色濃く表われているからだ。宮城一男氏は地学の学者、「農民の地学者 宮沢賢治」を著し、地質学者としての賢治を浮き彫りにした人。これまでの賢治観は文学によるものだったが、「賢治の実体は文学と科学で解き明かされるべきだ」という賢治研究の新しい角度をつくった一人である。

●東奥日報評(1975年3月1日)=賢治は作品の中で、地学の学術的な用語を縦横に駆使している。おそらく、それは、彼の物事をゆるがせにしない性格によるものであろうが、地学的な教養のないものには、一つ一つが石のように硬く感じられる。これらの言葉への理解がなければ、ほんとうの賢治の内面性に肉薄できないのである。
あだかもよし、宮城氏が地学者としての立場から、賢治がすぐれた地学者であることを指標し、発掘してくれたのである。賢治という地学者から発する音響の振動を見事にとらえて、本書は、その共鳴をわれわれ読者に伝える。自然科学者であることが、詩人としての賢治、教師としての賢治、そして菩薩行をしている賢治という人間存在のインテグラルな要件であることを知って、というよりも、発見して、読者は驚くのである。
読者は、今後の賢治の難解と思われた作品の解釈と鑑賞に力を得、そして、近寄りがたく感じていた賢治の世界に、にわかに親近性を覚えることになるだろうと思う。本書を、若い人びと、とくに高校に学ぶ人たちの座右にすすめたい。

●科学朝日評(1989年9月)=宮沢賢治は詩人である前に、まず地学者であった。その彼の本質を、弘前大学教授で地学が専門の筆者が追っている。

●週刊朝日評(1975年1月)=今までの賢治研究では全くふれることのできなかった地学者としての面を明らかにしている。

●読書人評(1975年3月10日)=地質学・鉱物学の専門家が専ら“地学者”としての賢治の側面を正面から論じたのは初めてのことではないかと思われる。
内容は「イギリス海岸」と北上平野、“農民の地学者”としての生活、などの3章から成っている。鉱物や化石採集に熱中したという賢治の幼少期からはじめて、盛岡高等農林学校時代、花巻農学校教員時代、「羅須地人協会」時代、等を経て37歳で死ぬまでの賢治の“地学者”としての生涯が生き生きと語られている。文体は口述調で平易であり、賢治の詩も豊富に引用されていて気楽に読むことができる。

●日本読書新聞評(1975年2月17日)=本書によって、宮沢賢治の隠れた一面、「地学者」が発掘された。本書が出たことによって、地球科学を、あらためて賢治全般の生涯とかかわらせてみる必要が生じたと思われる。賢治研究史上画期的な収穫である。
著者は地学専攻の科学者であるが、やさしく説得力のある語り口で、科学者が鋭く文学の領域へきりこむ力をもつものであることをしめした。たとえばここに、教師であった頃の賢治が黒板を背にして授業している、あの有名な一枚の写真がある。賢治は、ここで北上平野の生い立ちを説明しているのであると、著者は黒板の絵を解読して見せ、そのことにおいて賢治自身を今日によみがえらせるのである。目からうろこが落ちるような思いがする。
本書成立の事情について、巻頭に、宮沢清六氏の一文がのせられている。この人らしい静かな表現のうちに、「長く待っていた」という喜びがうかがわれるものである。その中で、賢治の「やりかねた未完成のことなど」に思いをはせておられることは重要である。賢治を、完結したものととらえることはできない。そのことをこの人は一番よく知っておられたのであろう。そしてその未完なものは、地球科学に関係することを、この一文と本書全体が明らかにしている。

●赤旗評(1975年1月13日)=詩人、童話作家、農民の指導者として知られる宮沢賢治が、じつはりっぱな地学者であったということを、生い立ちや作品を通して明快に解説しています。
小学4年生のころから鉱物採集に熱中し、まわりの人たちから“石コ賢さん”と呼ばれていたことや、花巻農学校で教諭をしていた時代の北上川河岸での化石採集、地質調査など、数多くのエピソードと豊富な資料は、興味深いものがあります。
また「“地学”からみた文芸作品」では、作者の注だけで読み取れなかった地学の専門用語の解説が詳細につけられ、賢治の詩の特長を明らかにしています。
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