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開化の築地 民権の銀座 築地バンドの人びと

【内容紹介】本書「序にかえて」より


 築地界隈を何度も歩いているうちに、私の興味をひくような史跡や碑に出会い、足のおもむくまま史跡散歩を試みました。「明治キリスト教の流域」の中で永井荷風について一章をもうけましたが、荷風の目が日和下駄をはいて散歩するうち、江戸時代の文人の碑に向けられるところから荷風一流のエッセーが生まれてくることを感じさせられました。
 荷風の目は明治の前の江戸に向けられましたが、私の目は明治初期に向けられています。その頃が築地にとって全盛期で、新しく発足した東京の先端の役目をはたしていたからで、目の前にひろがる東京湾が、そのまま世界へつながることを物語っていました。
 横浜が貿易を主にしていたのに比べて、築地は背後に政治がひかえていた点、同じ海に面していても違った開化をしているのも興味がそそられます。新しく国を興し、できるだけ欧米諸国と肩を並べることが新政府の目標でした。そのための諸施設が築地に建設されていきましたが、キリスト教の種も、その中に播かれていました。それを築地バンドと呼ぶには少々ためらいもありますが、札幌、横浜、熊本、静岡が、独自の自然と環境の中から、それぞれ特色のあるキリスト者像を生み出して、キリスト教史のみならず日本の文化にも見逃すことのできない精神的遺産を残していったように、築地の面々も個性ある仕事をしております。ただし、日本キリスト教史の中では傍流であり、中途で地下水になってしまったような観がありますので、一般には知名度が低いかもしれません。しかし、私の興味を惹く人物が、このバンドの中に多いものですから、彼らに光をあててみることにしました。
 試みに築地を歩くと、桂川甫周住居跡石碑(築地一丁目十番地)、慶応義塾跡の書物型の碑(明石町十丁目)には福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず」が彫られています。指紋研究発祥の地(明石町八丁目)はスコットランド一致長老教会宣教師フォールズを紹介し、蘭学事始の碑(明石町十丁目)には「蘭学の泉ここに」と彫られています。また、築地は勝海舟に由来する旧日本海軍発祥の地の旗山の碑もあり、海軍の諸学校、造船所、病院跡と、さながら海軍の土地の観がありました。学校も居留地のあった関係で、明治学院、立教大学、青山女学院、女子学院、女子聖学院の創設の地でした。最近は専修大学発祥の地の碑も建てられました。文明開化は翻訳文化にも由来しましたので活字発祥の碑も見のがせません。明治6年、平野富二が長崎から出てきて東京築地活版製造所を造り、印刷文化を発展させました。その子息平野義太郎氏は自由民権運動史の開拓者になりました。新しいところでは築地小劇場跡のレリーフ(築地二丁目)があり、その近くの築地署は小林多喜二の惨殺されたところで、今も木刀をもった署員が立っています。
 中でも私の心を惹くのは居留地跡(明石町九丁目)の、聖路加病院看護婦寮敷地内にあるアメリカ公使館の碑です。ここの旧地に集まった多くの宣教師の中で、カローザス宣教師のもとに英学を学びに来た面々が、築地バンドを形成しました。築地明石町といえば鏑木清方描く女人像を思い出す人が多いでしょうが、いまはその面影はなく、魚河岸とがんセンターと本願寺と新参の朝日新聞社で有名になっていますが、海に近いことだけは変わりありません。
 明治十年代の銀座の地図をひらくと、新聞社と政治結社の建物の多いことがまず目につきます。かぞえあげてみると20社をこえています。そこは今日のような情報センターの役割を果たすだけではなく、政党政治の揺籃の地でもありました。しかし築地とは異なって記念碑は乏しく、三丁目に岸田吟香の碑と十字屋楽器店が、往時をしのぶしるしになっています。
 日本で最もにぎわいを見せている商業地銀座も、かつては自由民権の発祥の地であったことを考えると、築地とつながることによって格好の歴史散歩が楽しめます。「歩きながら考える」伝統を紙上で復活してみるのも新しい町づくりの参考になるかもしれません。
 自由民権運動百周年を迎えてから、各地において、いっそう埋もれた民権思想の掘り起こしが盛んになってきました。各地の運動とともに、各宗教においても民権思想との関係が再考されてもいいのではないか、と考えさせられます。今まで取り上げられる機会が乏しかった築地・銀座から発生したキリスト教と自由民権運動の中で、地の塩のような役割をはたした人びとにここで光をあててみることにしました。そこに「もう一つの築地・銀座」の歴史を見ていただきたかったからです。現在さまざまの流行の源泉地として見られている銀座は、かつては民権思想の流行源の役割をはたしていました。築地・銀座から福島、岩手、北海道へのびていく民権と人権の軌跡をたどりつつ、現代の主権在民の意味を再考してみたいと思います。
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