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イザナミの伝言 古事記にさぐる女の系譜

【内容紹介】本書「はじめに」より


 かつて倭国を治めていたのは女王だった。
 これは誰もが知っている話だ。中国の正史の一つ「魏志」は、紀元三世紀ころの倭人世界の地理、風俗、政治をくわしく記した。そこに、たくさんの国々をまとめる女王卑弥呼が大きく採り上げられている。
 日本神話の最高神は、天照という名の太陽神である。
 これも、一般によく知られていることだ。彼女が天の岩屋に隠れてしまうと、世の中が真っ暗になる。神々がいろいろ工夫して彼女を引きいだし、ようやく世界には光が戻った。だから俗に「日の本は、女ならでは夜の明けぬ国」と言う。
 けれども、それだけ、それっきり、というのが私の印象だった。学校で習ったことにも、世間での耳学問でも、女の影は薄かった。歴史は男から男へと担い続けられてきたようだった。現実にも(1970年代まではとくに)、女はなににつけても男に遠慮しなければならない感じだったし、「女らしさ」とは、つまるところ、社会進出など考えず、おとなしく家庭にいて、夫の跡継ぎを生み育て、家族が快適であるように日常を整えることであるらしかった。
 たしかに大昔には、女が太陽だったり女王だったりしたかもしれない。女が歴史の主役だったかもしれない。けれど、その証拠は残っていない。記録がはじまるずっと以前に、女の時代は終わったのだろう。かなり大昔から、世の中は男が動かし、歴史は男から男へ伝わってきたのだろう。
 ぼんやりと、私はそんなふうに思っていた、「古事記」を読むまでは……。
 私にとって「古事記」の大きな魅力の一つは、そこに登場する女たちが、予想に反して「女らしく」ないことだ。女神はもちろんのこと人間の女も、多くが男と対等に渡り合って歴史を作り、時には男を抜きんでている。
 そこに魅かれて、巻き返し繰り返し読み込むうちに、男から男への筋書きの「古事記」の底から、女首長の姿が見えてきた。女系の系図も見えてきた。女から女への歴史が見えてきた。古代、実に女が太陽であったことの証拠が、どんどん出てきたのだ。
 古代「女系」の存在を実感することは、少なくとも私にとっては大きな意味があった。かつての「女系」は衰えた。そして「男系」が繁盛した。それなら未来には、また「女系」が、もしくはもっと望ましいことには、はじめての「両系」が実現するかもしれないではないか! そんな希望を私は古い伝承から汲み取った。その嬉しさのあまりに作った本である。
 読者にもそれが伝わりますように、と古代の神々に祈ったら、なんと、女神イザナミが現れて、なにやらさかんに語りなさる。どうやらお手伝いくださるらしい! 古い言葉ゆえ、わからぬところが多いけれど、せいいっぱい努力して、女神の伝言、読み取って、いざ、書き記すことにしよう。
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