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草笛 野の楽器をたのしむ

【内容紹介】本書「はじめに」より


 秋の夕日が小さな雲を赤くそめながらしずんでいくその美しい景色を、橋の上からながめていました。向こうから2人の小学生がなにやら楽しげにやってきます。もううす暗いというのに塾へでもいくんでしょうか。ふざけながら歩いているようです。このこどもたちの大きな喚声と笑い声にまじって、ホイッスルのようなするどい音がとつぜん聞こえてきました。おやっと思ってみていると、2人ともだいじそうになにか持っています。遠くにいるときは暗くてよくわかりませんでしたが、近づいてみるとそれはなんとドングリの笛ではありませんか。マテバジイの実に穴をひとつあけただけの笛なのですが、夕暮れのしじまに澄んだ音がさわやかにひびくのです。へぇー、今のこどもたちも木の実笛をつくって鳴らすことがあるんだ。こんなに都会化のすすんでしまった横浜でも、まだこんな遊びの伝統がのこっていたんだ。2人の少年と自分のこどものころの姿をかさねあわせながら、私はすっかりうれしくなってしまいました。
 でも、このような例はじっさいにはまれなのです。こころみに「草笛を知っている人」と手をあげさせると、けっして多くはありません。「草笛を吹いたことがある人」となると、もうほとんどいません。まして「草笛で曲が吹ける人」と聞いたら、まず全滅です。おもしろいことに都会でも田舎でもその傾向はあまりかわらないのです。ということは、あふれるほどの緑にかこまれた田舎のこどもたちも、あんがい自然から気持ちがはなれているのかもしれません。
 これにたいして、こどもたちのお父さんやお母さん、あるいは祖父母のかたたちに尋ねてみると、事情はだいぶちがってきます。たいがいの人はこどものころさかんに草笛を吹いた体験をもっています。なかには曲を吹いた人もいます。自分が吹けなくともクラスのなかに1人や2人は吹ける子がいたものです。小学校の先生が吹いてくれた、という体験をもつ人もたくさんいます。でもこのような体験をもつ人たちに、「最近草笛を吹いていますか?」と質問すると、たいがい「長いこと忘れていた」とおっしゃいます。草笛はおとなにとっても遠い思い出としてしかのこされていないのでしょうか。
 そういえば以前、娘をつれて散歩にいったときのことです。原っぱでクローバーの笛を吹いていると、いつのまにか数人の女の子がわたしたちを取りかこんでいました。葉っぱで曲を吹くことがおもしろかったらしく、教えてほしい、といいます。もちろんよろこんで教えてあげました。一時間ほどの練習でみんな音がでるようになり、たどたどしく曲が吹けるようになった子もいました。すばらしく熱心な野の教え子たちは、サヨナラしたあともピーピーと音をだしながら帰っていきました。
 またこんなこともあります。岩手県の山のなかにある分校で、かんたんな草笛教室をひらく機会がありました。校舎の裏から摘んできたイヌビエの葉で稲舟笛、フジの葉で柴笛を演奏してみたのです。そのときのこどもたちの反響はすごいものでした。あとで担任の先生からうかがったのですが、そのごしばらくのあいだ、学校のあちこちで草笛の音が絶えなかったそうです。こどもたちはほんとうは草笛が大好きなのかもしれません。
 日本は南北にながいので、じつに豊富な草笛の種類があります。草笛の材料にする植物の多様さもさることながら、それらの中には、私たちもあっと驚くようなユニークな鳴らし方をするものもたくさんあります。きっとこれらは、ずっと昔から私たち日本人と自然とのつきあいの中で、育まれてきた文化の一つといえるでしょう。ところが、このかけがえのない野の財産が、子どもたちの中から消え去ろうとしています。大人たちの昔の体験も、近年の機械文明の中に遠い思い出として埋没しようとしています。これはとても残念なことです。
 でもうれしいことに、このような素朴な遊びを見直そう、という人たちもあらわれてきました。自然と接するときに、草笛は最適な材料の一つだからなのです。小学校の授業、野外活動、自然教室などで積極的につかってみよう、とこころみる例がしだいにふえてきました。ところが、
「草笛を教えたいけれども、吹きかたがわからない」
「どんな葉を使えばいいのかわからない」
 そんな悩みも最近よく耳にします。草笛の技術がとぎれてしまっていて、いっしょに楽しもうと思っても困ってしまうのでしょう。
 この本では、日本中からあつめた草笛の中から、四季おりおりの基本的なものを集めてあります。そして、その鳴らし方をできるだけやさしく解説してみました。また、私たち日本人と草笛がどのようにかかわってきたかを、かんたんにまとめてあります。それに加えて、今まで一度も草笛を吹いたことのない人のために、曲を演奏できるものをわかりやすく紹介しました。子どもたちも大人も、野にでて、いっしょに草笛を吹いてみましょう。そうすれば、その楽しさ、すばらしさが、きっとわかっていただけることと思います。
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