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生でおいしい水道水
ナチュラルフィルターによる緩速ろ過技術

【はじめに】


 日本には生水を飲む習慣がある。安全な飲み水が身近にあったという証拠である。現在でも、安全なおいしい飲み水を身近な井戸から得ることができる。しかし井戸水の水質が悪い場合は、明治以前でも、良質の水を求めて遠くから木管で運んで利用していた。そして水が湧き出す場所を汚さないように、水路や共同井戸を汚さないようにと、皆が注意を払っていた。その当時は、自然の水を何も処理しないでそのまま利用していたのである。
 各家庭に水道が引かれるようになったのは明治期の後半である。英国生まれのゆっくりの生物ろ過処理により、それ以前に増して安全でおいしい飲み水がつくられるようになった。だから水道水になっても、皆が水道の蛇口から生水でそのまま飲んでいた。しかしいつからだろう、日本人が水道の水を生で飲まなくなったのは。ある時期からカビ臭い水が水道の蛇口から出るようになった。塩素臭い水道水が普通になってしまったのだ。
 そのうちに、安全のために入れる塩素が発ガン物質をつくることがわかり、生水を飲むことに多くの人が抵抗を覚えるようになった。皆が外国に行くようになって、水道水が安全でない場所がたくさんあり、そこでは瓶詰めの水を飲む習慣があることが知れ渡ったこともあり、日本でも多くの人が塩素臭くないペットボトルの飲み水を買い求めるようになってしまった。最近は、飲み水は水道水でなくペットボトルが当たり前、おいしくご飯を炊くには水道水でなくペットボトルの水を、とまで言われるようになった。
 一〇年近く前に米国では、塩素で殺菌消毒しても死なないクリプトスポリジウムという原虫が急速ろ過処理による浄水場を通過して四〇万人が集団下痢するという大事故があった。数年前には日本でも、同じクリプトスポリジウムにより約一万人の集団下痢事故があった。これは国が勧めてきたアメリカ生まれの急速ろ過処理に問題があることをみなに知らせることとなった。
 一方、明治期に移入した英国生まれの緩速ろ過方式では、クリプトスポリジウムは問題にはならない。急速ろ過処理というのは、まず薬で水の濁りを除き、砂ろ過した後、最後に塩素で殺菌をして即席に飲み水をつくる方法である。しかし、水質汚濁がひどくなると、濁り除去だけでは良質な水を確保できなくなった。そこで殺藻と有機物の酸化分解のために酸化剤として塩素剤を凝集剤と一緒に添加している。しかし、塩素添加で発ガン物質が生じることがわかり、高濃度の塩素を最初に加えるのをためらった。有機物を分解するための塩素剤の添加量を少なくするために最初と途中の二カ所添加するようにした。ろ過後は、最後に殺菌目的で塩素を添加する。急速ろ過処理は塩素漬けの処理である。浄水場には機械がたくさんあり、大量の化学薬品が必要で、まるで飲み水製造工場のようである。戦後、最新技術として急速に普及したものだ。
 これまで水道業界は、安全で良質な水道水をつくろうと努力してきたわけだが、その結果、水道料金は高くなった一方で、安全な水道水をつくれないことがわかった。水道関係者は、戦後普及させた急速ろ過方式による浄水処理によっては安全な水道水を供給する自信がなくなってしまったのである。最近は関係者から「水道水は雑用水で、飲み水はペットボトルがよいのでは」という声さえ聞かれるという、とんでもないことになっている。
 日本の水道水は、戦前までは英国生まれの緩速ろ過処理または緩速砂ろ過処理といわれるゆっくりの生物ろ過処理でつくられていた。先ほど述べたように、日本では明治期に近代水道が普及する以前から生水を飲む習慣があったが、近代水道が普及してからも水道の蛇口から生水を変わらず飲んでいた。緩速ろ過というのは、ゆっくりの生物ろ過処理場ともいえる、プールのようなろ過池が主役である。その池には藻が自然と繁殖し、その藻を食べる生物もいる。
 ところが、ろ過池で繁殖する藻がよくないと水道関係者が誤解してから、ここからでる水道水が臭くなった。水道水源の貯水池や河川の水質汚濁がひどくなり、飲み水をつくるには生物によるゆっくりの浄化処理では汚れすぎて無理と考えるようになった。それは、藻の立場、生物の立場で考えなかったからである。ゆっくりの生物ろ過処理を正しく理解していれば、問題がなかったのだが。
 大切なのは、自然界にいる生物を悪者扱いするのは人間の不な考えだということである。悪者の生物はいないことを知ってもらいたい。私は、現在でもゆっくりの生物ろ過で、安全でおいしい水道水を難なくつくることができると考えている。皆がもう一度、おいしい飲み水を水道の蛇口から安心して飲めるように、生物処理の理解者をもっと増やさなければと決心し本を出すことにした。急いで書いたために、内容が重複したり、難しい用語を使ったり、説明が後になったりして読みにくいと思われる点も多々あると思う。皆さんから指摘していただけるとうれしい。

二〇〇二年三月
中本 信忠

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