| クリスティン・デュボワ[著] 和田佐規子[訳] 3,400円+税 四六判上製 384頁 2019年10月刊行 ISBN978-4-8067-1589-4 人類が初めて手にした戦略作物・大豆。 その始まりは、日本が支配した満州大豆帝国だった。 サラダ油から工業用インク、肥料・飼料、食品・産業素材として広く使われ、 南北アメリカからアフリカまで、世界中で膨大な量が栽培・取引される大豆。 大豆が人間社会に投げかける光と影、 グローバル・ビジネスと社会・環境被害の実態をあますところなく描く。 |
クリスティン・デュボワ(Christine Du Bois)
ジョンズ・ホプキンス大学大豆プロジェクト前研究部長。
編著書に The World of Soy( 『大豆の世界』)(2008年刊行、未訳)がある。
ペンシルベニア州在住。
和田佐規子(わだ・さきこ)
岡山県の県央、吉備中央町生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。
夫の海外勤務につきあってドイツ、スイス、アメリカに、合わせて9 年滞在。
大学院には、19 年のブランクを経て44 歳で再入学。専門は比較文学文化(翻訳文学、翻訳論)。
現在は首都圏の3 大学で、比較文学、翻訳演習、留学生の日本語教育などを担当。
翻訳書に『チーズと文明』『ナチスと自然保護──景観美・アウトバーン・森林と狩猟』
『宝石──欲望と錯覚の世界史』(以上、築地書館)がある。
趣味は内外の料理研究とウォーキング。
序章 隠された宝
大豆と戦争
大豆たんぱく質が家畜を太らせる
巨大化する大豆貿易
大豆と根粒菌の共生関係
マーガリンを作る
南米と大豆
さまざまな工業製品への利用
第1章 アジアのルーツ
大豆栽培の始まり
食用に加工され始める
豆腐の誕生
フビライ・ハンがインドネシアに豆腐製造を伝える
大豆を発酵させるアジア人
創意にあふれるアジアの大豆食品
第2章 ヨーロッパの探検家と実験
大航海時代にヨーロッパにもたらされる
ヨーロッパで花開く大豆研究
高まる大豆への関心
第一次世界大戦後に広まった新しい利用方法
第3章 生まれたばかりの国と古代の豆
新大陸と大豆栽培
いかにしてアメリカに大豆食品を根づかせるか
栄養失調の子どもたちに豆乳を
産業・医療への利用──大豆に価値を見出す
フォード社と大豆
第4章 大豆と戦争
兵士の食べ物
ナチスは大豆の重要性に気づいていた
満州に目をつけた日本
捕虜の栄養源となる
食料難のソビエトで渇望された大豆食品
戦時下のイギリスで健康改善に貢献した大豆
戦争に勝つためにはもっと大豆を
戦後のアメリカでは、食用から飼料へ変身する
醤油と豆腐の製造方法が変わった戦後の日本
戦争と結びつけられた大豆
第5章 家畜を肥やす飼料となって
エジプトから始まった鳥インフルエンザ
鶏の血のソーセージ
飼料大豆の普及
骨つき鶏肉が日本にやってきた
スペインでのオリーブオイルvs大豆油
世界征服をねらうアメリカ産大豆
大豆で大量生産される鶏肉
劣悪な環境で飼育される豚たち
安い肉が引き起こす問題
消費者の健康と大量生産された肉
森林を破壊する飼料大豆
大量の排泄物が引き起こす問題
第6章 大豆、南米を席巻する
二つの生き方──ブラジル先住民と大農場主
カタクチイワシ不漁に始まる日本のブラジル進出
二人の大豆王
劣悪な環境に置かれた労働者
アマゾンの森林とブラジル農業
アルゼンチンでの闘い
アルゼンチンが大豆かす輸出第一位へ躍りでる
抗議運動
パラグアイでの大豆栽培をめぐる緊張
「大豆連合共和国」
第7章 大豆が作る世界の景色
法的に疑わしいカーギル社の穀物ターミナル
輸出港へのジャングルを貫く道路建設
なぜ南米にばかり環境保護を押しつけるのか
単一栽培が農業を危機にさらす
雑草対策のためのグリホサート耐性をもつ遺伝子組み換え大豆
遺伝子組み換え作物に対する懸念
除草剤の使用を増やす遺伝子組み換え大豆の栽培
遺伝子組み換え作物が土壌に与える影響
グリホサートの農民への影響
グリホサート耐性大豆と不耕起栽培
農業には欠かせない淡水と環境汚染
第8章 毒か万能薬か
大豆の効果を単純化してはならない
大豆の基本的な知識
大豆に関する三大論争──精子減少・循環器系疾患・乳がん
バイオテクノロジーと豆──遺伝子組み換えの基本的ステップ
遺伝子組み換え作物は「フランケンフード」か?
人体への影響は?
非GE大豆とGE大豆
遺伝子組み換え作物のリスク──二つのケース
GMO表示は義務か必要ないか
遺伝子組み換え食品議論のアイロニー
救援物資としての大豆
第9章 大豆ビジネス、大きなビジネス
大豆のはるかなる旅
先物取引の対象として
大豆をめぐるスキャンダル
懸念を生むアメリカ政府の自国農家への支援
反対運動にあう輸入GE大豆
栽培農家と企業間の不公平な契約
豆乳はミルクか?
大豆業界による土地の強奪
第10章 試練の油 大豆バイオディーゼル
大豆ディーゼル燃料がインドネシアに与える影響
バイオディーゼルと環境
バイオディーゼルの適切な使用法
バイオ燃料の再生可能燃料識別番号(RIN)制度
気候変動への影響
使用済み油からバイオディーゼルを
使用済み油をめぐる争い
大豆油の需要の高まり
世界の片隅にしわ寄せが
自分の身近なところで変革を
おわりに
謝辞
訳者あとがき
参考文献
引用文献
索引
田んぼの畔(あぜ)からモザンビークをながめる
水田の畔の少し柔らかい土に棒の先で丸い穴を開けていく。3センチの深さの穴に豆を2粒ずつ入れて、まわりの土を寄せて埋める。畔豆(あぜまめ)の種まきだ。鍬(くわ)で水田の縁の泥をすくって塗り固めた畔に、大豆に根を張らせて水が漏れないようにさらにガードするのだ。
私が子どものころの田んぼの畔はこんもりと茂る緑が一列、稲の絨毯を縁取っていた。秋が深まるころ、抜いてカラカラに乾かした植物を筵(むしろ)の上に広げて、棒でたたくと莢(さや)が開いて豆が出る。屑豆を拾い出してきれいなものだけを選り出すのは、子どもたちのお手伝いのような、遊びのような作業だった。近所の家に遊びに行って、そこの子どもたちと一緒に手伝う(遊ぶ?)こともあった。豆を取ったあとの豆がらは風呂の焚きつけになった。冬の日の焚火は豆がらがぱちぱちとにぎやかな音を立てた。
収穫した大豆で自家製の豆腐を作るのは正月前の大切な行事だった。豆は前日から一斗罐(いっとかん)に入れて水に浸してあった。庭に大鍋を出して石臼でひいた豆を煮た。煮汁を木綿の袋に入れて絞り、漉(こ)した汁を豆腐箱で水切りをした。一升瓶に入っていたのはにがりだった。出来上がった豆腐は、今日の市販の木綿豆腐の何倍も硬い豆腐だったが、正月の雑煮には欠かせない一品だった。岡山県吉備高原の農家の子どもだったころの風景だ。今年の秋、実家の「家終(じま)い」をする。手放す家と周囲の風景が思い出の光景とまざり合って、私に盛んに感傷を迫る。
しかし、本書はそんな私をそっとしておいてはくれなかった。翻訳作業が終わったらのんびりと大豆の思い出でも書こうと思っていたが、とんでもなかった。世界には私が知らないことばかりだったのだ。
日本では大豆と言えば毎日の食生活には欠かせないものだ。しかし世界全体から見れば加工されて牛や豚、鶏のたんぱく質豊富な飼料となる。北米や南米を舞台に大量に栽培され、大きな収穫をあげる。さらに収穫量を増やすために遺伝子組み換え技術を使って、収量が大きく除草剤にも耐える大豆が開発される。除草剤を何度も散布して大豆一人勝ちの緑の大地となる。その代償にアマゾンの熱帯雨林の減少に歯止めがかからない。
さらに大きな農場を作るために、輸出用単一栽培の大地をこしらえるために、多種多様な作物の植わっていた小自作農の土地がさまざまな手法で奪われるという深刻な人権侵害が発生している。アルゼンチンで土地をめぐる流血事件が相次いだのは、今からわずか数年前の話だ(第6章)。同様に、世界の別の場所でも規模の経済が小自作農を消滅させているという……。工場式畜産経営によって動物はたんぱく質豊富な大豆かすを食べてどんどん成長し、その糞尿による水や大気の汚染が発生。人間は肉と加工食品の食べすぎによって肥満。大量の除草剤がまかれ、その主成分であるグリホサートの発がん性の有無をめぐる論争が勃発。
原著出版後の2018年8月、グリホサートの危険性を認めたアメリカの判決は、世界の動きに疎い私のところにもネットのニュースで届けられた。私は本書第7章「大豆が作る世界の景色」を翻訳中で、北米のプレーリーからシカやバイソンの群れがいなくなり、広大なトウモロコシと大豆の畝(うね)がどこまでも続くアイオワ州西部の風景に変わるところを見届けていた。アメリカ人男性がモンサント社(バイエル社が買収)を訴えていた裁判で、同社の除草剤ラウンドアップが原因でがんを発症したとして、サンフランシスコ地裁は主成分のグリホサートに発がん性を認める判断を下したのだ。グリホサートは発がん性以外にも妊娠期間の短縮や、精子の減少も指摘されている。フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアでは数年以内に使用を禁止するという。日本でも発がん性の指摘があるが、国は2017年末に残留基準をむしろ緩和している。そして、ラウンドアップはホームセンターで売られ、誰でも簡単に入手できる。
知っているようで知らなかったのは、西欧世界が大豆の有用性に出会った事件、日露戦争だ。それ以降満州は、大豆の一大生産地としてその貿易が大きな利益を生んでいく。その後、日本の満州開拓団の入植が始まると、それまで現地で生産活動をしていた人々は存在しないものとされて、土地は新たにやって来た日本人に割り当てられた。その構造は南米で起きたランドラッシュ(土地の収奪)と同じだ。
小さな豆と思って侮るなかれ。この小さなカプセルの中には良質のたんぱく質の他に、さまざまなものが積みこまれている。過去も未来も、希望も不幸も。「一粒の豆千粒になあれ」とおじいさんが蒔いて、カラスがほじくり返す昔話の中の豆はどんな豆だったのだろうか。大豆ばかりではなく、インゲンマメにエンドウマメ、小豆にウズラマメ、花豆……。もちろん豆の他にも多種多様な作物が農家の暮らしを豊かに支えていたはずだ。
日本の公的資金を使ったプロサバンナという事業がアフリカのモザンビークで進んでいる。発展途上国の経済援助という文脈では、良いことのように聞こえるが、農地を獲得するために、この地でもランドラッシュが行われているという。土地に対する所有意識の乏しい農民たちからささやかな暮らしを取り上げ、輸出用の大豆生産を行うために、多様な作物が育っていた土地を単一栽培の大農園に変えるのだ。何かの間違いだと祈りたい気持ちだが、それまで十分に食べていけた自給自足の生活から、そのための土地を取り上げられ、日々の食事にも困るようになった人々が存在することは事実のようだ。森林破壊と土地の収奪。南米で、さらにさかのぼれば満州で行われていたことと同じ構造だ。
どんなに素晴らしいものにも、遺伝子組み換えにも、開発にも、バイオエネルギーにも、プラスとマイナスの両方の側面がある。科学的な検証にもとづいた結論だけを信じるべきだと著者は訴える。用語の不気味さから、新技術を頭から危険なものとみなしてしまう非科学的態度も、信頼されているソースからの研究発表であれば疑いもしないで信用してしまう姿勢も、著者はきっぱりと批判する。そのソースが本当に信頼に足るものか、何かのひも付きの研究成果ではないのかと疑ってかかる必要があるのだと。とはいえ私には少々煮えきらない結論に思えた。はるかな過去から今へ、そしておそらくは遠い未来にまでも繁茂していくと思われるこの植物が、どこへ向かうのか。私たちはどこへ向かうべきなのか。この結論はあいまいなままだ。
水田の稲穂と畔豆が谷をわたる風にそよぐ美しい風景は、少なくとも実家の庭先から見下ろす谷間からは消えた。谷を下る棚田だった場所には雑草が生い茂り、一枚一枚の田をくっきりと縁取っていた畔もすっかり見えなくなった。さまざまな作物の育っていたパッチワークのような畑の広がる丘は、クズの蔓に席巻された。
真夏に赤紫色の花をつけて甘い香りを漂わせる生命力に満ちたこの植物もまた、マメ科の植物であるのは偶然なのだろうか。悲しみの深さは比べようもないが、少なくともそこに収益性がからんでいることはモザンビークと同じだ。私も含めて農村に育った昔の若者は都会の豊かさを目指したのだ。
農村を出た私のもとに実家から送られてくる野菜にはよく虫がいた。ブロッコリーを茹でるとたいてい何匹か虫が浮いてきた。トンカツの横の山盛りキャベツをモリモリ食べていた子どもたちには言えなかったが、キャベツは保存中の冷蔵庫内で静かに青虫に食べられていたものだ。トウモロコシにもそら豆にも、先客がしょっちゅう居座っていた。孫たちの苦情にも、「虫も食べんような野菜など人間が食べられるか!」と、父も母も自慢げに語ったものだ。また、「スーパーで野菜を買うなど百姓のプライドが許さない」というのも父の名セリフだった。
両親と祖父母の4人と、食べる専門の私と妹が十分に食べられる野菜も米もあった。真夏の草刈りやこまめな畝立て、草取りなど、働き者ぞろいの農家の風景だ。小さな暮らしのすぐ横に豊かな食生活があったころの話。不耕起、遺伝子組み換え種子、それに除草剤がセットになった、地球の反対側の収益性抜群の新メソッドとはまるで正反対の……。
小さな豆と思って侮るなかれ。9000年前の中国、賈湖(かこ)の少女ダウェイの昔も、つい最近までも、謙虚な姿で日々の暮らしのすぐそばにあった大豆。それが、用途も、産地も、栽培方法もなんと遠くまで来たものか。虫にも病気にも負けない、そして除草剤にも枯れない大豆を作り出した人間の知恵と努力は敬意に値するが、ひょっとするとその人間よりもはるかにしたたかなのは、この植物の方かもしれない。
アジアの一部以外では、大豆は「食べもの」ではなかった――。
これまで味噌・豆腐など身近な食品としての大豆の本は多数刊行されていますが、
本書は、大豆の誕生、大豆がいかに戦略作物となったのか、
健康と大豆、遺伝子組み換え、熱帯雨林破壊、土地の収奪、先住民、バイオディーゼル、グローバルビジネスなど、
人間社会と大豆の関係について多面的な観点からまとめられた初めての本です。
西欧世界が大豆の有用性に出会ったのが日露戦戦争。
その後、戦略作物として、日本が支配した満州帝国が一大輸出産地となり、ナチスドイツと大日本帝国が同盟を組み、
と大豆をめぐって歴史が動き、満州で行われていたことが、現代、南米で、アフリカのモザンビークで行なわれています。
「歴史の中を旅する大豆を見つめることは、
人類を――貧困や創造性、暴力、知性、貪欲さ、寛容さも、無謀さも、恐れも、そして希望も――見つめることだった」
「結局のところ、大豆は私たち自身のことを見つめる、新しい視点をくれるレンズなのである」
と、著者は本書で述べています。
著者はジョンズ・ホプキンス大学大豆プロジェクト前研究部長で、
本書では、さまざまな議論がある遺伝子組み換えについては賛否両論を紹介していますが、どちらかというと肯定的と思わせる記述もあり、
また世界各国で使用が禁止されつつあるグリホサートについては情報が古く、肯首できない部分もあるのですが、それを差し引いても、
世界中で膨大な量が栽培・取引され、食用・飼料・産業素材などに広く使われる大豆が人間社会に投げかける光と闇をあますところなく描き出す、
これまでになかった大変興味深い本です。