![]() | 斎藤公子[著]+井尻正二[きき手] 1,500円+税 四六判並製 168頁 2016年12月刊行 ISBN978-4-8067-1531-3 科学と実践に基づく保育理念を語ったロングセラー、待望の復刊! 日本の保育実践に大きな影響を与えている、 「さくら・さくらんぼ保育」の原点である さくら・さくらんぼ保育園の創設者・斎藤公子が、 日本の保育園の成り立ちや、実践と科学から導きだした 0歳児保育や障がい児保育、及び保育における望ましい環境まで、 現代に通じる保育のあり方を対話形式でまとめた。 これからの保育・子育てを担う保育者に必読の一冊。 |
斎藤公子(さいとう・きみこ)
1920年、富山県富山市に生れる。
両親の出身地である島根県隠岐を自分の出身地としている著書もある。
1939年、東京女子高等師範学校保育実習科卒業。
1956年、「さくら保育園」創設。
1967年、埼玉県深谷の農村部に季節保育所(現在のさくらんぼ保育園)創設。
0歳児からの保育実践により、日本の保育に新地平を拓く。2009年没。
主な著書に、『みんなの保育大学シリーズ』『保育の未来を考える』(以上、築地書館)、
『さくら・さくらんぼの障害児教育』(青木書店)、『子育て』(労働旬報社)ほか多数。
井尻正二(いじり・しょうじ)
1913年生れ、北海道小樽市出身。
1936年 東京大学理学部地質学科卒業 理学博士。1999年没。
おもな著書に『井尻正二選集』全10巻『科学論上、下』『ヒトの直系』〈大月書店〉『地球の歴史』『日本列島』『化石』〈岩波新書〉
『独創の方法』〈玉川選書〉『化石のつぶやき正、続、続々』〈共立出版〉『地学入門』『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』
『ヘーゲル「大論理学」に学ぶ』『ヒトの解剖』『人体の矛盾』『文明のなかの未開』『古生物学汎論上、下』『銀の滴金の滴』
『地球と生物との対話』『進化とはなにか』『日本列島ものがたり』『絶滅した日本の巨獣』(共著)『ぞうの花子』など絵本4冊〈築地書館〉、
子どもの本に『野尻湖のぞう』〈福音館書店〉『ふしぎな地球』『マンモスをたずねて』〈筑摩書房〉『足あとが語る人間の祖先』〈大阪書籍〉
など多数。
復刊にあたって――斎藤公子先生の保育思想を支えるもの 広木克行(神戸大学名誉教授)
序文
1 保育園とは
幼稚園と保育園のちがい
 保育園の歴史
2 保育の現場から
 胎児からの保育
 ゼロ歳児の保育
 1歳児の保育
 2歳〜5歳児の保育
 子どもと絵
 6歳児の保育
 身害児の保育
3 保育と環境
 ヒトの進化と保育
 自然環境について
 家族環境について
 これからの保育
参考図書
あとがき
これは大事なことですが、障害児教育は、先生が重荷だと思ったら、もうだめですね。うちの職員集団でも、よほどみんなで学習しあわないと、障害をもつ子が重荷になります。先が見えなくなるからです。いつもたえず学習をしている人たちはマカレンコがいうリスク、つまり冒険にいどんでくれるのです。
この学習の1つは、根本的なものの考え方で、人間はすべて生まれながらにして平等だ、障害をもつ子どもも、一個の人間として尊重される権利がある、対等の権利があるんだ。---というと同時に、常に新しい科学、医学の発展に目を向けての学習です。また全国の実践者と交流して、情報を集め学びあうのです。
きちんと科学的なものの見方を身につけると、障害児はいやだという考え、遅れている子はいやだという差別感がなくなると思うのですが、そんな気持ちはないないと言っていながら、心の隅にわいてくるんです。
一人ひとりの子どもを、みんな平等にかわいがるというのは、むずかしいことでしょうが、これができないと、本当は保育者は務まらないのです。でも、そういうテストはできない。ペーパーテストで保母資格を取って、保母さんは入ってくるわけです。
また科学的な方法がわかっても、真のヒューマニズムをもたない人では育たないと思います。科学とロマンが必要ですね。道筋だけわかったから、あるいは医学的な処置をしたから、薬を飲ませたから、ボイタの訓練をしたから、ホラ、何をしたからといったって、育たないと思います。同じ環境においても、育てる人によって違いが出てきます。
先生が、差別せずに、弱い子とか障害をもつ子をいたわる。そして介助も、ひとりでやれることまでやってやるのではなくて、やれることはちゃんとやらせるけれども、やれないことは要求せず援助する。こういう先生の中で育った集団というのは、たいへん思いやりがあって、介助も上手なんです。小学校に行っても、みんなそうします。先生の人柄とか、やり方が子どもにうつっていくというか、模倣されて、受け継がれていく。そういう経験を一切していなかった子どもは、いろいろな障害をもつ子どもと一緒に暮らすのをいやがったり、また、どう介助したらよいかわからないので、ただみているという状態です。小さいときから一緒に育ち、まわりの大人の介助の仕方をみているとおぼえるのですが。幼年期に障害児と共に育ち合う経験をもたないできた子どもは、たぶん、おとなになっても、どう対処していいかわからないし、いやがると思います。ですから、小さいときに障害児と共に暮らすことのできる子どもは、かえってしあわせということになりますよ。