| フランク・ユケッター[著]和田佐規子[訳] 3,600円+税 A5判上製 296頁 2015年7月刊行 ISBN978-4-8067-1495-8 19世紀後半以降、工業化と都市化が急速に進んだドイツで、郷土の自然の荒廃に立ち向かった人びとがついに勝ち取った、先進・画期的な法律が「帝国自然保護法」だった。 ヨーロッパの森林政策、環境政策をリードするドイツ自然保護思想・運動のルーツをたんねんに辿り、第三帝国の自然保護の実像を鮮やかに描く。 |
フランク・ユケッター(Frank Uekoetter)
2001年ドイツ、ビーレフェルト大学にて博士号、2009年同大大学教授資格を取得。2013年から英国、バーミンガム大学史学部准教授。
2002年、ドイツ環境省の要請で開催されたシンポジウム「ナチスドイツにおける環境保護」に携わる。
ドイツ環境史とそれが21世紀の環境保護主義に及ぼした影響について、2014年に
"The Greenest Nation?:A New History of German Environmentalism (History for a Sustainable Future)"(最も環境保護主義な国家――ドイツ環境保護主義の歴史〈持続可能な未来のための歴史〉)、
"Comparing Apples, Oranges, and Cotton: Environmental Histories of the Global Plantation"(リンゴ、オレンジ、そして綿花――プランテーションの環境史)を出版。
和田佐規子(わだ・さきこ)
岡山県の県央、吉備中央町生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。
夫の海外勤務に付き合ってドイツ、スイス、アメリカに合わせて9年滞在。
大学院には19年のブランクを経て44歳で再入学。専門は比較文学文化(翻訳文学、翻訳論)。
現在は首都圏の4大学で、比較文学、翻訳演習、留学生の日本語教育などを担当。
翻訳はポール・キンステッド著『チーズと文明』(築地書館、2013年)に続いて2作目。
趣味は内外の料理研究とウォーキング。
日本語版『ナチスと自然保護』によせて
用語について
第1章 ナチス時代の自然保護主義者たち――追及されるべきは誰なのか
帝国自然保護法の衝撃
欧米各国の自然保護
総統のために働く
自然保護運動とナチス政権
第2章 歪む愛国主義――ゲルマン民族にとっての「土地」
自然保護のルーツ
異なる起源と共通の動機
右派思想の受容
自然保護に対する温度差
複雑な距離感
民族思想への態度
第3章 最高潮を迎えたドイツ自然保護――理想の実現に向かって
プロイセンの失敗
ナチスからの圧力
景観策定の試み
動物保護法への期待
全体主義への密かな抵抗
帝国自然保護法の影響力
帝国自然保護法第二四条
迷走する森林保護
自然保護ネットワークの拡大
景観保護の攻防
第4章 自然保護の可能性と限界――4つの事例
ホーエンシュトッフェルン山
ルートヴィヒ・フィンクの嘆き
採石事業か環境保護か
豹変するフィンク
ナチスの介入
採石場閉鎖へ
ショルフハイデ国立自然保護区
ヘルマン・ゲーリングの思惑
種保存の取り組み
注ぎ込まれる金
狩猟場としての自然保持
エムス川流域調整事業
洪水との戦い
時代による後押し
アルベルト・クライスの「意見書」
帝国自然保護法の矛盾
ヴータッハ峡谷
シュールハメルの手法
水力発電事業との攻防
暗躍する自然保護主義者たち
第5章 ナチスとの蜜月の終わり――それでも自然保護活動は続く
多様化する活動
自然保護ブームの到来
近づく両者
活動の形骸化
東部総合計画
保護活動のジレンマ
第6章 変貌を遂げた景観――ナチスが残したもの
アウトバーン建設
ナチス効果はあったのか
オーバーザルツベルクの顛末
第7章 継続と沈黙と――1945年以降の自然保護と環境政策
立ち上がるクローゼ
帝国自然保護局の運命
自然保護の精神とは
東西ドイツの振る舞い
第8章 教訓――ナチス時代から学ぶ
附録
謝辞
参考文献
註
索引
訳者あとがき
自分の母国語以外の言語を用いて著作をするということは決して簡単なことではない。
しかし、ナチス時代に関して英語で本を書くということは、実にやりがいのある難問なのだ。
ナチス時代の用語を翻訳する際の困難と苦しみは、やってみたことのない人には到底理解することができないと思う。
たとえば〈Heimat(注1)〉という語など、英語の語彙では十分に捕まえることのできない、完全な体系を含んでいるような単語から問題が生じるのである。
ドイツ民族性強化国家委員会(Reichskommissariat fur die Festigung des deutschen Volkstums)というような、
用語やその他の点から見ても怪物のような言葉に出くわしてしまうのである。
こうした用語の中に含まれた暗示や関連を他言語の中ですべて明らかにすることは、フラストレーションになるか、
そうでなければ、不明な語が飛び出してくるたびに膨大な脚注を生み出すことになるのだ。
したがって、私の訳語選択に関してメモをつけておくことが必要だろう。英語に完全に同等といえる語がない単語に出合ったときには、
私の意見であるが、最も原語のドイツ語に近いと思われる語を選んだ。初出の単語や表現にはドイツ語の単語を括弧で表示した。
ドイツ語のわかる読者の便をはかるためと、英語表現によって余計な意味が付け加えられるのを避けるためである。
このやり方はあるいは誤解を招きやすいのかもしれず、英語の読者に対して本書の大切なポイントをいくつか外していると必然的に思わせてしまうかもしれない。
しかし、これが私の知る限り最もよい方法なのだ。また、私はいくつかの組織や協会の名称に翻訳語でなくドイツ語の表現をそのまま使用している。
いずれの場合も、そうした機関の役割は文脈から明らかになっているし、また、ドイツ語の単語の正確な意味は本書の全体の流れの理解とは関係がないからだ。
こうした全般的な点に加えて、いくつかの具体的な用語についてはもう少し踏み込んでおくのが望ましいように思う。
私はこの研究でconservationとnature protection(自然保護)という語を同義語として使用しており、
conservationとprotectionの間には何の区別もしていない。これらはどの語も〈Naturschutz(注2)〉というドイツ語の英語における同等の語なのである。
したがって、アメリカ人の賢明な資源利用(wise use)の概念を連想させるものがあるとすれば、それは誤解を招きやすい。
これからの論述で明らかになっていくように、観光客誘致のための自然利用でさえ、ドイツの環境保護地域では蔑視の対象となった。
〈Naturdenkmal(注3)〉という語は比較的小規模なサイズのもの、たとえば一本の樹木とか岩で、環境保護活動家が保存する価値があると考える物体を意味する。
ドイツ人官僚はグランドキャニオン級のものを天然記念物とか、国立記念物とは考えもしなかっただろう。
ドイツ最初の環境保護担当局は〈Staatliche Stelle fur Naturdenkmalpflege(注4)〉という名称で、
ここにも小規模な保護を意味する傾向が強いことが現れている。私は〈volkisch(注5)〉という単語も翻訳していない。
この語はヒトラーの『我が闘争』のアメリカ版ではfolkish と翻訳されているが、
排外主義、人種差別主義で外国嫌いが混合された考え方を表現するにはいささか無害すぎることは明らかだ。
ドイツ人の〈Volksgemeinschaft(注6)〉は文字どおりに翻訳するならcommunity of nationals「国民の共同体」、
community of the folk「民族の共同体」ということになるが、これではこの単語の二重性が失われる。
すなわち、階級や伝統の垣根を超えるという意味では平等主義、しかし同時に、
「国民の共同体」にはアーリア人、非ユダヤ系の白人の血統の人々だけが属するとされる点では人種差別主義的なのである。
また、Volksgemeinschaftのメンバーを指す関連語の〈Volksgenosse(注7)〉(民族同胞〈National Comrade〉)も同様である。
場合によっては、英語の相当語を探しだすのが全く不可能というものもある。辞書によれば、〈Fuhrer(注8)〉はleader「指導者」かhead「長」と翻訳されるが、
両者ともにナチス党政治におけるヒトラーの画期的な役割について非常に不適切な印象を与えてしまう語である。
〈Kraft durch Freude(注9)〉という組織は、その活動を説明するのに「旅行協会」という語を付け加えて言及される。
しかしその名称が含意する概念を簡潔な表現で伝えることは不可能である。ナチスは多くのドイツ人に初めての観光旅行を体験させた。
手短に言えば、旅行という楽しい体験の約束は、最終的には国家のために奉仕するという労働道徳の高揚と繋がっていた。
このようにしてナチス党は〈Kraft durch Freude〉の活動を通じて、個人の余暇を国力増強に結び付けていたのである。
〈Lebensraum(注10)〉という語は「living space」と文字どおりに翻訳されるが、それ以上に東ヨーロッパではヒトラーの考え方の中心的位置にある。
なぜなら、〈Lebensraum〉についてのナチスの考え方は人種には上下の階級があるという人種差別的概念に基づいており、
アーリア人種が劣等のスラブ人種を支配するように運命づけられているというのである。
〈Heimat〉は2001年のテロ攻撃以前にもすでに十分複雑な語だったが、事件直後からドイツメディアは「国土安全保障省」のことである
「the United States Department of Homeland Security」を〈Ministerium fur Heimatschutz〉と翻訳した。
〈Heimat〉という語は「人が自宅にいるように快く感じる場所(広さは不問)」を想起させる。多くの場合(そうである必要はないのであるが)、
〈Heimat〉は自宅のある地域を暗に指しており、〈Heimat protection movement〉(Heimat保護運動)は常に地方分権主義を根底で支える概念だった。
同時に、〈Heimat〉はロマン主義の連想に充ちており、居心地の良さという連想も多いに喚起する。
〈Gleichschaltung(11)〉という語は、ヒトラー独裁政権の脅威となるかもしれない、たとえば労働組合や各州の収益権のようなドイツ社会の仕組みを
「streamline 合理化する」目的で、ナチス党政権成立初期の数カ月間に行った手続きを指している。
しかしながら、この処理はそれまでの多元主義に代えて一つの国家的組織を生み出すことを目標にしていたのに、
すぐさま無数の市民組織の再編へと繋がっていった。〈Dauerwald(注12)〉という語は植林学の理論で樹齢の異なる樹木を隣り合わせに植えることで、
私はこの単語を翻訳することを部分的に避けたところがある。アルド・レオポルド[訳註:1887〜1948年。
アメリカ合衆国の生態学者、森林管理官、環境保護主義者。ウィスコンシン大学の野生生物管理学科の教授を務め、
『野生の歌が聞こえる』(1949)で200万部以上の売り上げを記録した。レオポルドの著作および「土地倫理」(land ethics)は、
現代の環境倫理学の展開および原生自然(ウィルダネスwilderness)の保護運動に極めて大きな影響を及ぼしている]が
その著作『ドイツにおけるシカとDauerwald』の中でもこのドイツ語表現のまま使用していたからである。〈Weltanschauung(注13)〉
という語は重要な理念を一揃い備えた全体論的世界観のことで、言うまでもなく人種差別的な理念を選んでいたナチス党と関係した。
〈Weltanschauung〉はナチス党の歴史を契機に英語の語彙に取り入れられた単語の一つである。
最後に取り上げるのは〈Gauleiter(注14)〉という語で、簡単な言葉で捕まえることができる以上の複雑な位置にあるため、私は翻訳しないという選択をした。
〈Gauleiter〉は四二あるドイツの地区のナチス党の指導者で、党議長に加えて、さらに州によっては大臣や総理大臣、
国家地方長官(Reichsstatthalter)の職務を有した。〈Gauleiter〉の権力は大きかったが、それぞれの具体的な場合によって権限は様々だった。
訳註
1:Heimat「故郷」「郷里」などと訳すのが普通。
2:Naturschutz「自然保護」
3:Naturdenkmal「天然記念物」
4:Staatliche Stelle fur Naturdenkmalpflege「国立天然記念物保全局」
5:volkisch「民族の」と翻訳してみたが英訳の場合と同様の問題が生じる。
6:Volksgemeinschaft「民族共同体」という訳語ではやはり英訳と同様の問題がある。
7:Volksgenosse「民族同胞」と通常翻訳されるようだが、ナチス用語であることは「国民同志」でも「民族同胞」でも伝わらない。
8:Fuhrer「総統」という訳語は日本語でもヒトラーを指すことが多く、本書の訳語としてはドイツ語でなく「総統」とした。
9:「歓喜力行団」。ドイツ語の直訳は「喜びを通じて力を」。
10:Lebensraum 本書では「生存圏」の訳語を使用したところもある。
11:Gleichschaltung「統制」「画一化」。ナチス用語としては「強制的同一化」という訳語のほか「グライヒシャルトゥング」というドイツ語のカタカナ表記という方法も考えられる。
12:Dauerwald「恒続林」。原語の文字通りの意味はdauer(続く)wald(森)。
13:Weltanschauung「世界観」ではナチス特有の用語であることはわかりにくい。
14:Gauleiter「地方長官」Gau はゲルマン民族の行政区のこと。現代の地名の一部に残っている場合もある。ナチス時代の党の管轄区域としての「大管区」。Leiter は「責任者」「長」の意