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アユと日本の川

栗栖健[著]

1800円+税 四六判 232頁 2008年4月発行 ISBN978-4-8067-1364-7



紀伊半島の日本一の豪雨地帯に発し、吉野杉の美林を下り、
日本一の桜の名所吉野山の麓を巡る大和・吉野川。江戸時代から大阪でも名高かった「桜アユ」のふるさとである。
この川をフィールドにして、たった一年間で一生を終えるアユの生態と、アユを育む日本列島の河川のあり方を丹念に追う。

【目次】


はじめに

1アユ
    香りは命
    日本の川の象徴
    古代から特別な魚
    友釣りは日本独特
    近年広まった友釣り
    段引き-吉野川らしい釣り
    段引きに大物や多彩な外道
    餌、毛針釣りには不向きな川
    簗とウ飼い
    川底の虫たち-世界有数の生息量
    川の数だけ自慢話が
    生きるのに必要な淵
    伝説伴う「川魚の王」
    山国へ海からの使い
    ドクター釣り師
    伝説的な名人がいた
    「阿修羅の如く」釣る
    この川最後の川漁師
    つるべすし弥助48代目
    弥助-料理し客に出す側としては
    川柳作家たちも魅了
    ダム湖に適応して繁殖
    流れは五條盆地に
    下る季節は家庭料理に
    五條の川魚商「阿以や」

2川の生き物と人の暮らし
    水源、上流の変化・源流の谷のカワノリ
    ウグイの淵
    源流の村から
    幻のサツキマス
    銀色のアマゴ
    いなくなった魚 増えた魚
    中流の変化・輝くオギの穂波
    鳴かなくなったカジカガエル
    まだ未確認の生物が!-謎のヤツメウナギ
    どこに行った スナヤツメ
    この川にアジメドジョウがいた!?
    回遊するものたち・巨大ウナギ
    回遊するものたち・滝を登る子ウナギの大群
    夜のウナギ漁
    回遊するものたち・モクズガニ
    回遊するものたち・人気のヨシノボリ類
    川遊び・怖く遠かった本流
    川遊び・魚たちは川の先生
    川遊び・子どもたちの"伝統文化"
    川遊び・熱中したあの夏の日
    川遊び・怖かった"ガタロ"淵
    川遊び・あこがれの大川へ
    筏流し・命がけの男たちの仕事=山、川と人の暮らし
    川舟・昔は漁、遊覧、渡しに
    おいしい水がいい魚を育てる
    手漉き和紙の里・もう川では晒せない
    水量の不思議・昔の人は洪水を恐れず?
    山林と保水力・山のベテランは語る
    水源地と都市・分断越える連携を求めて
    はるかな山々
    再び源流の村から・下流のために水を守る

はじめに

近年、都会を流れる川にアユが戻り、市民の間で話題になることがある。関東の多摩川には年によっては100万匹以上の天然アユが遡上し、汚れのひどさで有名になった奈良、大阪の大和川では産卵、ふ化を確認。その復活をマスコミが取り上げるのも、アユだからこそだ。彼らは昔から清流の象徴だった。今も川の美化を呼びかける子どもたちのポスターによく描かれる。
日本人のアユへの思いは、各地で行政を動かし、遡上を拒んできた井堰を改良し魚道を新設する運動の推進力にもなった。反面、「釣れなくなった」「味、香りが落ちた」という声も耳にする。アユが語る今の川の状況は複雑で流動的だ。現在、川は、特に都市部では、人の日常生活から遠くなり、子どもたちは流れで遊ばない。都市住民は、川について考えるきっかけさえ持てないのが現状だろう。
アユをはじめとする川の生き物たちの世界、そして人とのかかわりを知れば、流れを身近に感じられ、川を守り将来へ伝えることに目が向くのではないか-少年のころ、川遊びで夏の日々を過ごした筆者が、彼らのことを紹介しようと思い立った動機である。
アユは、日本の川に多い、短い急流で育つ魚だ。美しさ、香りに加え、その生態からもわが国を代表する川魚とするのにふさわしい。命はわずか1年。この魚に日本人は昔から愛情とこだわりを感じてきた。
本書の舞台にしたのは、筆者が住む奈良県五條市を流れる大和・吉野川だ。紀伊半島にある日本列島一の豪雨地帯・大台ヶ原を源とし、吉野杉、ヒノキの美林が広がる山々の間を下る。その流れは、日本一の桜の名所・吉野山のふもとを巡り、列島最大の断層・中央構造線を西にたどって、和歌山平野をうるおし、最後は紀伊水道に注ぐのだ。和歌山県に入ると、紀の川と呼ぶのが古くからの習わし。長さ136キロメートルはほぼ多摩川並みだ。奈良県内の流域は五條市と吉野郡、河川形態は上流、中流型である。
古代、飛鳥の宮人たちにとって、南の峠の向こうにあるこの大きな川は、水源、川そのものの象徴だった。雨が少なく、田に引く水の確保に苦労した奈良盆地の人々は、吉野川の水を司る水分山み くまりに降雨を祈ったのである。万葉歌人たちはこの川を、清き流れ、とたたえた。吉野川は、日本人が古代から心の中で受け継いでいる川の原風景に投影している。現在は奈良盆地へ水道、農業用に分水され、ニュータウンなどの盆地住民にとっても母なる川。その急流が育てたアユの名声は、江戸時代中ごろにはすでに大阪でも高かった。「桜アユ」と呼ぶのは、川面を流れる吉野山の桜の花びらを食べるから、というゆかしい伝承も伴う。吉野川のアユが名高いのは、この川が日本の川らしい川であることを示している。
吉野川にも今、わが国の他の川の上、中流域が持つ問題がある。土砂で埋まった源流の谷、聞こえなくなったカジカガエルの声・・・・・・。今でも上水道の良い原水とされている水でさえ、かつてを知る人は「汚れた」と嘆く。母なる川は、いささか疲れているようだ。吉野川を見ても、我々は、川の当面利用を優先させ、つけを後世に回しているのではないか、という思いを抑えられない。アユなどの生き物たちは、川の変化を敏感に反映している。彼らは、川が水源から河口まで一体であることも語っているのだ。川はそれぞれ個性的であるが、以上のような事情は、アユが分布する川では共通するところが多いはずだ。本書では、アユらを案内役に、吉野川の現状を訪ね、それを土台に、次の世代に渡すべき川の在り方を考える手がかりを探そうと試みた。
下流、都市に住む人たちにこそ、この本を読んでいただきたい、というのが筆者の願いである。川の将来を考えるには、保水力がある山林の構造、それを守る山村経済の在り方、山村と下流・都市との支援・協力関係、ダムの扱い、さらには都市での廃水処理と河川水の浄化、節水・再利用の方法などの検討も必要だが、本書では立ち入れなかった。
本書は毎日新聞奈良面に2004年10月15日から2006年3月31日まで、66回にわたって連載した「よみがえれ清流―吉野川物語」をもとに、各地の川の状況も見ながら加筆修正したものだ。文中の「このごろ」「○年前」などの時期は、基本的に連載掲載時を基準にしている。読みやすさを第一に考え、意味が通じれば、そのままにした。 話を聞かせていただいた方たちの消息、肩書も、多くは連載時のものである。失礼をお詫びするとともにご了解願いたい。
連載中、ご指導いただき、励ましてもいただいた御勢久右衛門・奈良産業大名誉教授は、2006年11月13日、亡くなられた。ご冥福をお祈りするとともに、本書が、生涯を吉野川とともに生き、その自然史に精通しておられた先生のご指導にこたえられたか、読者諸賢の評価を仰ぎたい。先生には連載中から「まとめてみたら」と言っていただいていた。元々、県版での連載だったのでどうしたら地域的な制約を越えられるか、とためらってもいた私の背中を押してくれたのは、専門家である先生のその一言だった。