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![]() | 日本の西洋医学の生い立ち 南蛮人渡来から明治維新まで 著者……吉良枝郎
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【主要目次】 | |
第1章・南蛮医学---その渡来時の世界および日本の状況 | |
●ローマ教皇の世界二分割 ●南蛮人種子島漂着 | ●16世紀の日本の東南アジア交易 |
第2章・南蛮医学---カトリック宣教師のもたらした医学 | |
●ザビエルの渡来 ●南蛮医学の導入者、アルメイダ | ●バテレンの日本語 ●栗崎流、沢野流南蛮外科 |
第3章・紅毛医学---日本を舞台とした南蛮人と紅毛人の争い、そして長崎の出島へ | |
●按針横丁、八重洲 ●日欧交易の主役の交代と鎖国 | ●島原・天草の乱 |
第4章・紅毛医学---通詞による、あるいは見よう見まねでの西洋医学の導入 | |
●ケンペルと綱吉 ●紅毛時代の日本人のオランダ語 | ●外科が主流の紅毛医学、その実態 |
第5章・蘭学の時代---日本のルネッサンス、『解体新書』の刊行 | |
●吉宗の蘭学学習命令 ●日本人の解剖学への関心 ●解体新書刊行と蘭書翻訳 | ●江戸から広がった蘭学塾 ●第二の海外への窓、長崎屋 |
第6章・フランスによるオランダ占領時代の長崎出島 | |
●日本にも影響を与えたフランス革命 ●長崎港内でのイギリスの横暴 | ●海外情報の収集に積極的になった幕府 ●第二、第三の外国語の学習 |
第7章・シーボルト---再建オランダの代表として | |
●オランダ威信回復の試み ●シーボルトの弟子たち、彼の教育法 | ●シーボルトの貢献 |
第8章・シーボルト事件後の日本の蘭学 | |
●オランダ商館医の不在 ●シーボルトの弟子たちの活躍 ●シーボルトの弟子たちと次世代の蘭学者 | ●蛮社の獄 ●蘭学の圧迫 |
第9章・ペルリ提督来航---当時の各国の日本に対する理解、対応、日本の海外への理解 | |
●すでに世界に知られていた日本 ●国際法での「文明国」と「未開国」 | ●環太平洋の状況 ●日本も世界のことをかなり知っていた |
第10章・ペルリ提督は日本の医学にも大きな衝撃を与えた | |
●ポンペ・ファン・メールデルフォールト ●基礎知識を欠いていた日本人医師 ●日本人はどのようにして医師となったのか | ●訳本を普及するための木版印刷、筆写 ●日本人のオランダ語会話能力 |
第11章・ポンペによる日本で初めての五年間にわたる医学教育 | |
●ポンペの医学伝習カリキュラム ●医学伝習に加わった学生たち ●適塾塾頭長与専斎の参加 ●麻酔薬クロロフォルムの導入 | ●日本初めての医師による人体解剖 ●西洋式病院、長崎養生所の建築 ●伝習終了時の学生への評価 |
第12章・ポンペの医学教育を彩った当時の日本の時代背景 | |
●転換期での医学伝習 ●伝習二年目、コレラの侵入、安政の大獄 ●蘭方医学に貢献した井伊大老 | ●遣米使節団と咸臨丸 ●伝習五年目、攘夷の激化 |
第13章・ボードウィン、マンスフェルト、そして維新へ | |
●五カ国通商条約の勅許へ ●ボードウィンの伝習にも多くの学生が参加した | ●キュンストレーキを使った解剖学 ●マンスフェルトも人体を解剖した ●精得館から長崎医学校へ |
第14章・幕末から維新にかけ日本に滞在した外国人医師たち | |
●幕末江戸への医学校設立計画 ●幕末オランダ医学留学生の四人 ●新政府大阪への医学校設立計画 ●オランダ医学からドイツ医学へ | ●幕末に貢献した外国人医師たちの維新後 ●維新後もお雇いオランダ人医師がきた ●幕末にはいろいろの国の医学が見られた |
第15章・維新を通り抜けた蘭方医 | |
●勤王、佐幕に分かれた同学蘭方医 ●蘭方医、蘭学者の維新後 | ●神田お玉が池の種痘所 ●第一回日本医学会 |
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