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アトミック・エイジ 地球被曝はじまりの半世紀

【書評再録】


●朝日新聞評(1996年1月14日)=マーシャル諸島での核実験の被ばく者を取材していらい17年間、「地球被ばく」の現場を撮り続けているフォト・ジャーナリストの作品集。米国、旧ソ連、オセアニア、アフリカと、世界に散らばる被害者群像が、核時代50年の悲哀を物語る。「平和・協同ジャーナリスト基金」の第一回受賞作品に選ばれた。

●毎日新聞評(1996年2月5日)=「風下の人びと」、世界各地で行われた核実験の被害者たちを著者はこう呼んでいる。この言葉こそが本書のキーワードである。
著者はフォト・ジャーナリストであり、279ページのうち145ページまでを著者撮影の「核の風下の人びと」とその関連の写真と解説についやしている。
写真のページをくってみると、世界各地にこれほど多くのヒバクシャがいたのかと、いまさらのように驚かされる。
日本は世界最大のヒバク国かもしれないが、日本国民だけが唯一のヒバク国民ではない。だから日本国民と日本国政府は、これら世界の多くのヒバク少数民族の声を代表し、反核を叫びつづける義務を負っている。

●毎日新聞「ひと」欄(1995年11月24日)=世界中のヒバクシャを取材した写真集。
核実験、原発など核問題と被害者を世界各地に訪ね、完全に安全で平和的な核の使用がありえない現実を訴える。

●東京新聞評(1995年12月24日)=マーシャル諸島の核実験被害者をはじめ、世界各地の核の風下の人々に焦点を合わせて取材し、現状を冷静に記録したもの。この時機に意義深く、しなやかな告発となっている。爆撃機エノラ・ゲイの操縦席やカザフスタンの反核集会などの写真は静かに痛みを伝えている。

●中国新聞評(1995年12月7日)=界の核実験場と放射能汚染された地域を17年間にわたって取材してきた。その体験を「アトミック・エイジ」として出版した。
「核廃棄物の海洋投棄、沈没原潜の放射能漏れなど汚染は明らか。日本が輸入している北極海産の魚、イカ、カニも汚染されている疑いがあるのです」。ソフトな語り口だが、ぞっとする話の連続である。核探しの旅は当分続く。

●週刊現代評(1995年12月13日号)=“被曝の半世紀”を、17年間にわたって撮り続けているフォトジャーナリストによる「被曝」の記録である。
過去50年にまき散らされたプルトニウム239の半減期は2万4000年だという。まだ50年しか経っておらず、これから人類は地球浄化のために、気の遠くなるような長い旅に出なくてはならない。
著者のメッセージは明快で、あらためて「核」について考えさせられる一冊。

●日刊ゲンダイ評(1995年12月8日)=フォトジャーナリストの豊崎博光氏がネバダ砂漠から北極圏まで世界の放射能汚染地域を17年間にわたり取材し撮影したヒバクシャ写真集。マンハッタン計画に動員され、汚染した試験管洗いの学生アルバイトで被ばくした女性、ウラン鉱石の採掘精錬および原発の運転で被ばくした人のポートレートなど、118枚が収められる。

●読書人評(1996年1月19日)=多くの人物と風景が収められたこのフォト・ドキュメントに、広島と長崎はまったく登場しない。すべて「広島のあとのヒロシマ」の報告である。世界に拡散した核被害---残留放射能にむしばまれる辺境の人と自然、見捨てられた破壊の跡、先住民に対する「エンヴァイロンメンタル・レイシズム」という核時代の差別構造。日本が今なお「唯一の被爆国」だと信じている人にとって衝撃的な事実の開示であろう。
「被爆50年」のセレモニーが見落とした眼差しの回復がここにある。

●図書新聞評(1995年12月23日)=フランスの核実験がクローズアップされているが、それでもなお忘れ去られているのが、世界中にいる被爆者の存在である。その存在自体がひた隠しにされ、今日なお差別と健康障害に苦しむ実験風下に住む人々に焦点を当てた記録。

●出版ニュース評(1995年12月下旬号)=978年に太平洋のマーシャル諸島の核実験のヒバクシャを取材して以来、各地で生み出された世界の核の風下の人びとの記録の一部である。

●オートメーション評(1996年5月号)=279ページのうち約半分の133ページが写真で占められている。
日本人にとっては、永久に忘れることができない第5福竜丸のブリッジ、チェルノブイリ原発事故の放射能汚染のために村ごと土で埋められた土地に立った給水塔……など、写真の訴える力は強い。
著者は「核の風下の人びとの心と暮らしを写真に収めた」と語っている。

●プレイボーイ・巻頭グラビア「核の50年」で7ページにわたり紹介。写真多数掲載(1995年11月28日号)=フォト・ジャーナリスト豊崎博光氏が、十余年にわたって撮り続けた「核の時代」。

●聖教新聞評(1995年12月13日)=死の灰を浴びたのは、広島・長崎だけではなかった。ウラン採掘から廃棄物処理にいたる「核サイクル」のすべての過程で生み出され続けてきた放射能と放射線は、この半世紀に全地球をむしばみ、生命を損傷しつつある。その戦慄すべき実情をフォトジャーナリストが記録。ここには想像を絶する非常識もしくは故意によって放射線にさらされ、苦悩にあえぐ人々の肖像が浮かび上がる。目に見えない怪物--核を改めて実感させられる。

●公明新聞「文化」欄(1996年1月28日)=豊崎博光氏は文字通り、戦後50年の歩みとともに生きてきた中で、沖縄、在日韓国人・朝鮮人、アメリカ・インディアン、そして核実験をはじめとする被爆者の実態を世に問う仕事を営々と続けてきたフォト・ジャーナリスト。一貫して現場主義を貫く中で、特に少数派の立場に立った人権感覚から生み出された出版物は、多くの人の共感を集めている。この「アトミック・エイジ」は、ある意味で、氏が生命をかけて打ち込んできた「被爆」のありのままを集大成した本。280ページからなる写真と記事がそれぞれ半分ずつという構成で、何より写真に比重を置いた点で貴重な記録にもなっているのが特徴である。

●公明新聞評(1995年11月20日)=ネバダ核実験場の風景、素顔のアトミック・ソルジャー(核実験参加の「被曝兵士」)たち、砂漠の空を圧するキノコ雲……。悲しく切ないメッセージが1枚1枚の写真から伝わってくる。人類はこんなにも愚かにして身勝手なのか、と。
過去20年近く、世界の核実験場や核施設を訪ね歩き、核の風下に住む人々の心と暮らしを撮り続けてきた著者は、本書でこの“愚行の半世紀”を告発する。

●月刊社会民主評(1996年4月号)=ビキニ、ネバダ、スリーマイル、チェルノブイリ……核問題を追い続けけるフォト・ジャーナリストのルポ。丹念な聞き書きと写真が、核開発競争の下、真実を知らされることなく被曝を押しつけられてきた人々の姿を浮き彫りにしている。

●朝鮮時報評(1996年2月22日)=核問題に対するグローバルな視点と、核汚染現場での地道な取材と。1978年、米国の核実験にさらされたマーシャル諸島のビキニ、ロンゲラップ島を訪れて以来、各地で生み出された世界中の被曝者を、17年にわたって追い続けけてきた。その記録の一部をまとめた写真集「アトミック・エイジ」は昨年末、第1回「平和・共同ジャーナリスト基金賞」に選ばれた。
「世界にはまだ、隠された、知られざる『核の風下の人びと』が多い」。彼らを追う取材の旅は、これからも続く。
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