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生きているヒロシマ

【書評再録】


●毎日新聞評(1978年8月4日)=写真の世界を代表する一人、土門拳さんが写した広島の被爆者のフィルムが集大成された。33年、後遺症に苦しむ被爆者の実像を発表して衝撃を与えた「ヒロシマ」をベースに、10年後の43年、再び広島で写した胎内被爆者の成長した姿など、未公開のフィルムを加えた“決定版”。

●日本経済新聞評(1978年7月17日)=『ヒロシマ』に収録されなかった写真、それ以後に撮影され未刊のままだった「憎悪と失意の日々」など、新たに再構成され、決定版として刊行される。土門氏の文章は、書き下ろしのもの、収録済みのものともに掲載される。その他、日本文、英文対訳のかたちで解説が付載され、世界に向けての一つのアピールともなる。
「日本人の考える問題いや世界の人が考える問題を提起する」書物だが、同時に写真の表現が持つ社会性の問題や、写真家・土門拳を考える上でも重要な書物といえそうだ。

●読売新聞評(1978年8月8日)=1958年に出た「ヒロシマ」と1967年以降の「憎悪と失意の日日」を合わせたもので、さまざまな原爆後遺症に耐えて生きている人々が被写体になっている。

●共同通信全国配信記事・信濃毎日新聞、神戸新聞ほか(1978年8月8日)=原爆病院の乙女たちの何気ない表情、家族たちの日々。それが突然、病理学標本の無残なイメージと重なる。それもこれも、ひとつの日常としてとらえられている。そこに「存在するもの」として提示されている。“冷徹なカメラアイ”とも“温かいヒューマニズム”とも違う、日常の事実が在る。

●北海道新聞評(1978年8月8日)=写真家・土門拳には、20年前の1958年、写真集「ヒロシマ」がある。原爆の年から数えて13回忌に当たった1957年夏、当時すでに過去の悲劇となったヒロシマの事実を、原爆症で悩む被爆者、孤児や老人たちに焦点を合わせたものだった。それから10年後の1967年、土門拳は再び広島に赴き、撮影拒否、非協力の壁に突き当たりながらも、その撮影行の報告を写真展「憎悪と失意の日々」として発表している。
本書は、この2つの作品群を一緒にし、新たに構成しなおして一冊としたもので、「土門拳写真集『ヒロシマ』の完本」という形をとっている。
運命の日から33年の歳月が流れたが、この写真集が訴える被爆者たちの“痛み”は、歳月を超えてひしひしと伝わってくる。

●中日新聞「天風録」(1978年8月3日)=写真家・土門拳が20余年前から撮影してきた“原爆と人間”を集大成。

●週刊読売評(1978年9月30日号)=風化を許さないヒロシマの記録である。

●夕刊フジ評(1978年8月15日)=広島、長崎で被爆した、不幸な犠牲者たちとの「連帯感」から生まれ、全世界に原水爆禁止を訴える、貴重な記録写真集である。

●スポーツニッポン評(1978年)=本書は国際的に高く評価された「ヒロシマ」と、23年目、あらためて撮影した「憎悪と失意の日日」のヒロシマとをあわせて、今日的な視点から全く新しく構成した世界に訴えるドキュメントである。

●朝日カメラ評=世界の人々に大きな感動を与え、原爆問題へ一つの提言を投げかけた。事実を伝えるだけに終わらず、真実を訴えかけて止まない感動の記録である。

●カメラ毎日評(1978年9月号)=1958年に刊行された「ヒロシマ」と被爆23年後に撮影された「憎悪と失意の日日」があわせて収録された土門拳「ヒロシマ」の完本である。
職業写真家土門拳が「商売」のために撮影に行ったヒロシマで「商売」からはみだして、使命感に支えられて撮影したものだけあって、すぐれたヒューマン・ドキュメントである。

●図書新聞評(1978年8月26日)=初めて見る者にとってはもちろんだが、かつて被爆者の悲惨な姿を写真で見て知っている者にとっても、土門拳のこれらの写真は直視できないほど、痛ましく衝撃的である。20年前に撮影されたものだが、今日でもなお、重く、切実たるものがあることを感じさせずにはおかない。
人間としての使命感と執念の強さを感じさせる写真集である。

●日本読書新聞評(1978年9月11日)=被爆者たちが「もの」としてではなく、より「人間」として撮られていることに感動せずにはいられない。

●人民の星評(1995年6月10日)=土門拳のとらえた被爆地広島の完本である。土門拳が故人となった今も写真集は生き続け、日本はもとより世界各地の平和を愛する人々の胸に、原水爆禁止のアピールを送り続けている。
ファインダーからのぞく土門拳の目は、戦争と貧困のからみあった、いっさいの不幸が凝縮された広島の現実にするどく、しかも慈しみをもって肉迫している。
写真はもとより彼の文章が思想の真実性をもって心を打つ。
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