田原和夫(たはら かずお)略歴
1930年、中国北京に生まれる。父は北京留学、母は北京育ちで、両親とも中国語に堪能だった。幼児は四合院の中で中国人の社会にとけこんで生活した。中国語とともに、大陸の風土に慣れ親しんで成長した。
満州国政府高官・呂栄環氏の秘書官であった父にしたがい、ハルビン、新京(現・長春、旧満州国の首都)で、幼・少年期を過ごした。一時、広島市内に寄宿し進学したが、敗戦直前、再び渡満した。
1945年、新京一中在学中に15歳で敗戦を迎える。1946年、葫蘆島港経由で中国大陸を去り、家族とともに博多に上陸した。
1953年、旧制八高を経て東大経済学部を卒業、在学中は古谷ゼミに属し、近代経済学を専攻した。卒業後、日東化学工業株式会社に入社し、主として労務人事部門のほか、横浜工場、大竹工場、化成品営業部などを経て、関係会社である株式会社コステムヨシダ、三洋東北特機システム株式会社などの経営に携わった。
幼、少年期を通じ、中国大陸の人と風土の中で育ったせいか、日本社会の中で、異邦人としての自分自身を発見することがしばしばある。横浜日中友好協会会員。
主な著書
ソ満国境15歳の夏」(築地書館)など。

ソ満国境15歳の夏の表紙画像
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