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里山の自然をまもる

【内容紹介】●本書「あとがき」より


 里山---一般にはなじみのないこの語が、最近、自然保護のキーワードになっている。わが国のかつての農村風景は、平坦地に広がる水田とその背後の小高い山(あるいは丘)からなり、藁葺屋根の集落がその山裾にあった。里山という語は、こうした人里の裏山のイメージをよく表している。そこには茅場があり、茶畑があり、雑木林があり、竹薮があり、神社があり、寺があり、先祖の墓がありと、農業と農民の生活を支える舞台装置をそなえた半自然があった。
 素朴でありふれた里山の自然は、実は、とても大切なものであった。私たちは、いま失われてみてはじめてそのことに気づいた。里山は民話の舞台であり、子どもたちの遊び場であり、しかも氷河時代の生物たちの避難場所でもあったのだ。現代の農業にとって不要になったからといって、里山を開発の対象にするのはもったいない。このことを訴えるのが、本書の目的の一つであった。
 保護手法の観点からすると、自然は極相、遷移相、市街地の三種類に大別できるかもしれない。このうち極相は手を加えずに守るべき自然である。これに対して、草原、雑木林などの遷移相は、手を加えなければ守れない自然である。放置して極相にすべしという意見もあるが、遷移相に独特の生物がいることを忘れてはならない。これも本書の主張の一つである。
 旧西ドイツからはじまった都市近郊におけるビオトープ(野生生物の生息空間)保全の考え方は、わが国にも波及し、「生き物と共生する街づくり」が盛んになってきた。もちろん、徹底的に破壊された都市部に自然を復元・再生することに異存はない。ただし、何がなんでもホタルの棲む川をつくるといったように、本来そこになかった自然を「創造」してみても結局は長続きせず、無意味であろう。
 しかし、私がもっとも恐れるのは、都市部における自然復元の「工法」が里山の管理に持ち込まれ、むりやり資金を投入して整然とした「里山公園」が造られることである。里山の自然は人為の加わった半自然ではあるが、農民は決して自然を「改造」したのではなく、利用することにより維持してきたのである。多種多様な野生生物が守られてきたのはその結果である。里山の自然を守るにあたっては、改造するのではなく維持するのだというスタンスを保ちたいものだ。自然が分断・孤立した現在、里山は多くの野生生物の避難場所あるいは聖域となっている。オオムラサキやギフチョウは「看板娘」ということにしておいて、里山にはできるだけ多くの生物種を未来に向けて温存したいものである。
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