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みんなが手話で話した島

【内容紹介】本書「はじめに」より


 マーサズ・ヴィンヤード島は、マサチューセッツ州南東部の大西洋岸から8キロほど沖合に浮かぶ島である。1640年代に北部人の開拓者が対岸のケープコッドから移住したこの島は、ほとんどの時代で農業・漁業を主産業とする、生活水準のさほど高くない土地だった。
 だがこの隔離された島には、よそでは見られない特徴があった。この特徴によって、ヴィンヤード島は今日的な意義をもつことになる。島では300年以上にわたり、先天性のろう者の数が飛び抜けて高い比率を示した。これは遺伝性の聴覚障害が原因だった。アメリカにやってきたイギリスの初期開拓者のもたらした遺伝子が、結婚を通じて子々孫々に伝えられていったのである。とはいえ初期開拓者の小さな核集団が、島とか高山に挟まれた谷間とかのような、比較的外部から遮断された土地でくらすということなら、ほかにも事例がないわけではない。人類学者が同族結婚と呼び、遺伝学者が「創始者効果」と呼ぶこの婚姻形態は、すでに世界中の多くの共同体で報告されている。
 それではヴィンヤード島に限って見られた特徴は何かといえば、それはこうした遺伝の発生に対して社会的に適応してみせたことである。ヴィンヤード島では、300年以上にわたり、健聴者が島の手話を覚え、実生活の場でそれを用いていた。島の健聴児の多くは、ちょうどメキシコとの国共沿いでくらす今日のアメリカの子供が英語とスペイン語を覚えてしまうのと同じように、英語と手話という二言語を完全に併用しながら大人になっていった。
 ろう者の社会生活や職業生活を制限しているのは、聞こえないという障害ではなく、まわりの健聴世界との間に立ちはだかる言葉の壁なのだ---ろう者がしばしばこう発言しているのを考えると、ヴィンヤード島で見られた情況には大きな意義があるといえよう。そのような壁が取り除かれたとき、どのような情況が生じるのだろうか。ろう者は、そしてまたほかの障害者は、社会が万人に適応しようとした場合、自由に社会にとけ込めるのだろうか。
 ヴィンヤード島は、こうした問いかけに対する答えを見つけるのにうってつけの場所である。そしてここ10年間、障害者の権利拡大が世界中で大きな盛り上がりを見せていることを考えると、現在ほど、こうした問いかけをするのにふさわしい時期もない。障害者や障害者の集団が、障害者の問題の多くは、肉体や感覚や精神の障害から生じるのではなく、障害者のまえに立ちはだかっている壁---つまり人間関係や障害者観や法律の壁から生じるのだということを声高に主張している。彼らの言い分はこうである。
「少しだけこちらに合わせてください。そうすれば社会のお役に立てますから」
 今や障害者の問題は、医学とリハビリテーションの領域から市民権の領域にその射程を移し変えている。
 障害をもつ市民が社会にとけ込もうとしたとき、本当に社会の側では、そうした情況に適応したり、そうした情況から何かを引き出したりできるのだろうか。ヴィンヤード島の住民が300年間にわたって経験したことは、この問いかけについて考える手がかりを与えてくれるはずである。それは私たちすべての将来とじかに関わる「自然の実験」だったのだから。
【内容紹介】本書「訳者あとがき」より

 本書でグロースは、300年間にわたって健聴者がごく自然に手話を覚え、ごく自然に手話でろう者と話していたヴィンヤード島の暮らしを、文献資料とオーラル・ヒストリーを駆使して見事に活写してみせている。そうすることでグロースは、だれ一人聴覚障害をハンディキャップと受け取らなかったという意味で、ハンディキャップのない社会が存在し得たことを実証してみせたのである。グロースには、生理的、機能的、個体的レベルを超えて社会的レベルで障害をとらえようとする視点がある。すなわち「国際障害者年行動計画」にあるような、「身体的精神的不全と能力の不全と不利の間には区別があるという認識」をもち、「能力不全を不利にならしめている社会条件」に目を向けようとする視点である。それはいわば、「障害者の側だけに適応の負担のすべてを押しつけ」ようとする社会への異議申し立てといってよい。
 本文でもっとも読みごたえがあるのは、おそらく島民によるオーラル・ヒストリーをまとめた箇所であろう。ほとんど表に出てこないので、ともすると忘れがちになるが、ここでグロースが、島民から巧みに話を引き出していることを見逃してはなるまい。ろう者に対するなみなみならぬ理解と共感がなければ、これほどの話を引き出し、またそれを説得力のある形でまとめ上げることはできなかったはずである。
 グロースがいう通り、島民はかならずしもろう者の処し方の理想像を与えているわけではない。島民が示したのは、社会の適応によってハンディキャップが取り除かれ得る可能性なのである。ろう者が社会に溶け込むのに手話が大きな役割を果たしたこと、その手話をろう者も健聴者も幼児期に自然に身につけてしまったこと、島には隔離された者同士の同胞意識のようなものがあったこと---などなどといったことは、ろう者と健聴者の共生のあり方を模索している者に、さまざまな示唆を与えてくれるだろう。
 もっとも、むずかしい話は抜きにして、各種のエピソードを通じて、ろう者と健聴者がごく自然に対等の立場で接するとはこういうことなのか、こういうことも実際にはあり得るのか---と感じ取ってくれれば、それだけで本書の役割の大半は果たせたことになるのかもしれない。
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