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「百姓仕事」が自然をつくる
2400年めの赤トンボ

【内容紹介】●本書「はじめに」より


 赤トンボを中心とした本を書こうと思ったのは、赤トンボが田んぼで生まれていることを、長い間ぼくも百姓も知らなかったからだ。見ていなかったわけではない。でも、その意味がわからなかった。そのことに語る価値があることに気づかなかった。このことを伝えなければ、百姓仕事のすごさと、自然の豊かさは、これから先もずっと伝わらない、評価されないままではないかと不安になったからだ。
 ぼくにとって、赤トンボの意味がわかったのは、日本を離れたときだった。1988年、ぼくは仲間の百姓と、カリフォルニア州とアーカンソー州の田んぼを見に出かけた。寂寥とした風景の中で、わずかに赤トンボが飛んでいるのにびっくりした。そしてまた1990年、中国の雲南省のシーサンパンナに出かけたとき、やはり赤トンボが群れ飛んでいるのを見た。さらに1995年から、カンボジアの村に通うようになったが、そこには赤トンボがいたるところにいた。しかも九州の赤トンボと同じ種であることも確認した。でもカンボジア人もまた、赤トンボに特別な感情は抱いていない。なぜ、日本人だけが、こんなに赤トンボに特別の思いを抱くようになったのだろう、と考え込んでしまった。
 田んぼの「減農薬運動」は、1978年に福岡県筑紫野市で、八尋幸隆さんの田んぼから始まった。広範囲に展開されるのは1983年から、福岡市農協の減農薬稲作研究会の取組みからだ。減農薬の成果は、地域での農薬散布回数の劇的な減少や、「減農薬米」の先駆的な産直という現象で語られることが多かった。しかし、すぐに目に見える形で変化が現れたのは、赤トンボの増加だった。「ほんとうに、増えてきたね」という言葉を、何十回と耳にしたことか。
 しかし、それでも当初は「赤トンボが田んぼで生まれている」ことの、ほんとうの意義を自覚していなかった。「赤トンボなんか、一銭にもならない」と陰口をたたかれながら、その意味を探り、発見してきた年月を、ぜひこの本で紹介したいと思う。
 減農薬稲作で、赤トンボが復活してくるほんとうの理由がわかるのは、1990年頃だった。なんとこのトンボは、東南アジアから毎年飛んできていたのだと、知ったのだ。田んぼが東南アジアまでつながっていることを、はじめて実感した。赤トンボが田んぼで生まれている現象はこんなに深く、こんなに長く、こんなに広いのかと、はじめて認識した。このとき、ぼくは「農業」ではなく、「農」をこそ語らなければならないと決意したのだった。農の表現と評価を大転換してやろうと、心に決めた。だから百姓仕事が、赤トンボに代表されるこの国の自然を支えてきたわけを、ここで明らかにしよう。そのことが一人一人の国民の人生にとって、何の意味があるのか、説明しよう。
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