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炭坑美人 闇を灯す女たち

【内容紹介】●本書「はじめに」より


 この取材を通して日本の女性労働史を記録しようとしたわけではありません。また頻発する炭鉱災害の中、累々たる屍の山を築いてきた日本石炭産業のネガティブな部分を記録しようとしたのでもありません。人間が国家というシステムの中で生きていくうえで、その国家を基本的な部分で支えてきた産業と、その産業をもっとも底辺で支えた人間の基本的営為としての労働と、その労働を通して取り結ばれる素朴な人間関係の中から生まれる文化に、私は今のこの時代を生きる勇気を見つけだしたかっただけなのです。それがたまたま石炭産業であり、女性であったにすぎなかったのです。
 「炭坑というところは仕事が終われば、前だか後ろだかわからんごとみんな真っ黒になって上がってくるとです。誰が誰だか、自分の父ちゃんさえどこにいるのか全くわからん。それでもそんな姿を見て一度だって汚いと思うたことはないとです」
 母娘3代にわたって坑夫を夫に持ったという一人の女性が語ったこの言葉を、私は今でも忘れれることができません。私が筑豊に滞在していた時期は、時あたかもバブル経済の絶頂期でした。このころ巷では3Kなる言葉が流行語になっていました。「危険で汚くてきつい」職場は敬遠され、「安全できれいで楽な」職場へと日本人の就労意識は大きく変わりました。3K職場は人手不足から労務倒産の危機に陥り、それを救ったのは外国人労働者でした。朝シャンに代表される異常なまでもの清潔主義と、メディアを通して垂れ流されるおびただしい数の抗菌、抗臭グッズの氾濫は、3K職場が敬遠される時代の精神と無縁のところで成り立っているものではないでしょう。
 しかし、ちょっと待ってください。少し冷静になって考えてみれば、私たちが今日の糧を得て明日という日を不安なく迎えることができるのも、生きていくために必要な社会的生産が行われているからにほかなりません。そしてそういった生産は、「危険で汚くてきつい」労働によって初めて可能となるのではないでしょうか。安全できれい、無菌・無臭といった、実験室に置いてあるシャーレの中に真綿を敷き詰めたような、居心地のいい環境の中だけで私たちの暮らしが成り立つものではないはずです。
 また、そういった「危険で汚くてきつい」労働というものは、果たしてそれほど敬遠されるようなものなのでしょうか。確かに労働が搾取を前提とする生産関係の中にあるとき、苦痛を伴うものであることは否定できない事実かもしれません。しかし、労働というものが本来持っているものは、そのすべてを苦役とするような、そんな貧しいものでは決してないはずです。
 私は元女坑夫のお婆ちゃんたちとの「お付き合い」を通して、一日の大半を苛酷な労働に追われ、新聞やTVとも無縁なその時代に生きた彼女たちの人間としての豊かさに圧倒されつづけました。そこには活字や映像を通して知り得る情報はなくとも想像力がありました。言葉で語られる世界はなくとも生きた哲学がありました。机の上の知識はなくとも、絶望と困難を乗り越えて行く知恵と行動力、そして何よりも働く仲間同士が作り上げた相互の信頼がありました。
 科学技術の進歩は私たちの生活をこの上なく便利なものにしましたが、ひとつひとつモノを獲得していくということは、同時に人間が持っている可能性をひとつひとつ失っていくことでもあるのだということに私は初めて気づかされたのでした。
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